第一話 はじまり はじまり  =2=


 科目によって担当する先生が変わるとは面白い。小学校ではすべての授業をクラス担任が受け持っていたから、その違いがダリアにとっては新鮮だった。
 教頭が見事に禿げ上がった頭を光らせながら話をしている。ダリアがそれに耳を傾けていると、視界のはしに見慣れた側仕えの姿が入ってきた。
 そこで彼女はようやく小首を傾げる。
 ヴェルモンダールが教師として中学校に来るとは想像もしなかったのだ。朝はそんなそぶりなど見せもしなかった。しかし、突然思い立って行動するタイプではないから、きっとそれなりの意図があるのだろう。
 自己完結して頷いていると隣でゴソゴソと白い塊が動いた。ちらりと視線をやると、待ってましたと言わんばかりに白い歯を輝かせて大久保が笑顔を向ける。
 なぜか妙に馴れ馴れしい男は、ヴェルモンダールと同じように中学校の教師として彼女の隣にいる。
 中学校の教員免許を持っていると語る姿は目にしたが、だからといって、こんなにタイミングよく隣にいるのはおかしい。
 教頭が話を終え皆が席を立ったのを見て、ダリアは眉間にシワを寄せながらも立ち上がった。いろいろ疑問はあるが、ひとまず他の教師にならってホームルームのために教室に移動を始めた。ここら辺は小学校と大差ないのだなと納得して廊下に出ると、汗ばんだ手が肩に置かれた。
「ダリア先生は一組の副担任でしたよね!」
 見れば、大久保が妙に親しげに隣に並んできた。周りの視線が痛いような気もしたが、ダリアはいつもどおり柔らかく微笑んでみせる。
「大久保先生は?」
「二組です! 運命を感じませんか!?」
「……はぁ」
 どこに何をどう感じればいいのか――大久保の言いたいことは、ダリアにはよくわからない場合が多い。
 彼女はもともと関心のある事項以外はさほど気にとめない性格なのである。しかし、周りの人間がどこか呆れたような顔をするから、それが好意からの行動である事も気付かずに彼の言っていることがおかしいのだと判断した。
 ダリアは隣に並びながら浮かれたように話す大久保から視線を逸らし、背後から控えめについてくるヴェルモンダールを見た。
 なぜか苦笑を返された。
 校舎の構造からぞろぞろと連れ立って歩くことになってしまうので、やけに注目を浴びてしまう。ダリアはわざと速度を落として顔をヴェルモンダールに向けた。
「ヴェルモンダール……先生」
 にっこり微笑むと心なしか彼の顔が引きつった。助け舟くらい出せと言ってやりたいが、彼とは一応初対面という事になっているのでぐっと我慢して言葉を選ぶ。
「ご出身は?」
 一瞬、ヴェルモンダールの笑顔が凍りついた。社交辞令の問いに奇妙な間合いでアメリカです、と返答が来る。
 提出した書類に記したはずだが、さては手を抜いたなと、ダリアは咳払いした側仕えを呆れたように見た。すると彼はあからさまに視線を逸らした。
 ――何かあるらしい。
 あとで問い詰める必要があるなとヴェルモンダールの顔を見詰めると、
「英語を教えてもよかったんじゃないですか? 日本語も上手いのに」
 会話に割り込むように大久保が口を挟んできた。
「英語……ああ、私は歴史のほうが……得意でして」
「そうですか。ダリア先生は?」
「日本の生活が長いので」
 嘘を並べて白々しく笑う。何か質問される前に別れてしまおうと、歩く速度が早くなった。
「でも、まさか大久保先生まで中学校に来ているとは思いませんでした」
 話を途切れさせない大久保に、ダリアは話題を変えさせるために笑顔で問いかける。珍しくダリアから声をかけられたものだから、彼は目を丸くしてから苦笑した。
「いやぁ、本当に運命ですよね」
「……」
 さすがのダリアも疑問に思う内容をどうやらその返答で済ませてしまう気らしい。探るように見詰めていると、何かを勘違いしたらしい大久保の顔が見る見る赤く――赤黒くなる。
 不気味だ。
 半歩離れたダリアには気付かずに、大久保は頭を掻きながら照れ笑いしている。
 和気藹々わきあいあいと言うには不自然な会話をしながら廊下を歩くと、階段をのぼる集団とそのまま廊下を突き進む集団に分かれた。ダリアたちは三階に向かい、その廊下の途中で次々と教師たちがそれぞれの教室に消えていく。
 ヴェルモンダールが四組の教室に入って少し歩くと、名残惜しそうに大久保が別れを告げた。
 容姿が目立ってしまうので、せめて行動は目立たないようにと気を配って演じている教師≠ヘ穏やかで人当たりのいい、親しみのあるタイプだ。忠実にそれを再現しながら大久保に軽く会釈をして前方を見ると、一組のクラス担任である男はすでに教室のドアを開けていた。
 イナキは二組だった。そして、小雪も確か二組だった。
 小走りにドアに向かいながらも、ダリアはちらと二組の教室に視線をやった。
 イナキのクラス担任になれなかったのは残念だったが、国語の授業の時には彼に会いにいける。不純なことでニヤついていると、不意に刺すような視線を感じて立ち止まった。
 凛と、空気が張り詰める。
 とっさにダリアは振り返った。
 人ではない。人とは異なる、それはとてもよく知る気配だった。
「紛れてきている――? ここにか」
 教室からもれてくるざわめきが一瞬で消えた。
「目的を言う時間くらい、くれてやるぞ」
 囁いた直後、遠のいた喧騒が雪崩のように押し寄せてきて、その騒々しさにダリアは柳眉を吊り上げた。張り詰めていた威圧感が跡形もなく消えている。
「……目的を聞き損ねた」
 魔王たる女を前にしても臆することのない者がいる。
 驕りではないその実力に、ダリアはしばらく無人の廊下を見渡していた。

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