第一話 はじまり はじまり =1=
起立したまま上級生から新入生に贈られる祝辞を聞いて、武蔵イナキは小さく息を吐き出す。
場所は市立深里南中学校体育館。今時これはありなのだろうかと首をひねりたくなる手作りのピンクの花を胸に飾り、新入生一同はどこか落ち着きなく壇上を見ていた。
そんな中で、イナキは
堅苦しい制服は詰め襟のせいで首が絞まって窮屈で仕方がない。ブレザーだったらよかったのに、と眉をしかめたが、毎日ネクタイを結ぶのも面倒臭いかと思いなおした。
詰め襟の学生服は学ランと呼ばれる。春休み中、ダリアがデレデレと嬉しそうに眺めていた服だ。
イナキが成長するのを見越して大きめの物を購入したのだが、本当に大きすぎて登校中は注目の的だった。初々しいのを通り越して、可愛らしかったらしい。
不本意この上ないが、確かに彼はクラスメイトの中ではかなり小さい部類に入る。春休み中にこれでも身長が伸びたのだが、それは友人たちにも言えることだった。
登校した彼の頭を、はたして何人の友人が撫でて行ったことか。
思い出しただけでも腹が立つ。
着席を促されてパイプ椅子に腰掛けたが、イナキは壇上を見る気もしなかった。新入生代表として呼ばれたのが里見小雪であることに少し驚き顔をあげたくらいで、その後は再び同じクラスになってしまった不運に人知れず嘆いている。
彼女には、小学校でクラス担任だった三笠ダリアとの関係がすっかりばれている――と言うより、イナキから告白した。
ダリアが魔界の王だという胡散臭い話も、小雪の耳に入っている。
しかし春休み中、彼女からの接触は一切なかった。あの問題発言をうやむやにしてくれるなら願ったり叶ったりだが、なんとなく、そう簡単にすみそうもなくて憂鬱になる。自宅ではダリアが何やらそわそわしていたし、中学校では小雪が真剣な眼差しを向けてくるし――
「疲れる……」
ボソリと吐き出すと、隣にいた少年がちらりとイナキのほうを見た。
「だよな、かったるい」
着席してなお座高の違いが肩の位置に現れている彼は、切れ長の瞳をイナキに向けて人懐っこく笑って見せた。長い足を所在なげに投げ出しているその姿に、なんだかちょっとむっとしながらイナキは彼に視線を向ける。
同じ小学校の出身でないことはすぐにわかった。甘栗色の髪のあいだから赤いピアスがちらちら覗く。白い肌に高い鼻梁、長い睫毛に縁取られた瞳は、わずかに青みがかっているように感じる。薄い唇を引き上げて、とても同じ歳とは思えない男がイナキの隣に腰を下ろしていた。
「あ、オレは
「……武蔵イナキ。……日本人?」
「クォーター。じい様がイギリス人」
「ふぅん」
その身長がうらやましい。整った顔よりも、長い手足にまず目がいってしまうイナキは朝から何度も溜め息を繰り返す。
五十音順に並ばされ、教室でもそれで席が決まっていたから、しばらくは海斗と名乗った彼が、常にイナキのそばにいるということになる。
どう見ても目立つ容姿の彼が注目されれば、すぐ近くのイナキも自然と目立ってしまう。
もういっそ身長順にしてくれと自虐的に考えていると、反対側に腰掛けていた少年がイナキの脇腹を肘でつついてきた。
彼は小学校で何度か同じクラスになった事がある。前歯の一本欠けた愛嬌のある顔が、驚いたように壇上を凝視している。小波のようなざわめきが広がった。
怪訝に思ってその視線を辿った瞬間、イナキは前のめりになった。
「――1年の国語を担当される、三笠先生です」
少し奥まったパイプ椅子に座っていた女が立ち上がる。サーモンピンクのスーツからでも、人間離れしたその見事な肢体は容易に想像できる。何より、肩を柔らかく流れる黒髪と見事な紫水晶の瞳が印象的な女は、目を見張るばかりの美貌を兼ねそなえていた。
三笠ダリア。
自称魔界の王にして、未来の伴侶となるはずの女。
自宅で別れたはずの彼女がどこかおっとりとした表情で微笑んでいる。マイクの前に立ち、物腰や表情の柔和さそのままに、柔らかく透き通る声がマイクを通ってスピーカーから聞こえてきた。
イナキは言葉もなく彼女の
確か彼女は、小学校の教員免許しか持っていなかったはずだ。常日頃、怪しい日本語を駆使している女がなぜ壇上になどいるのか――
「体育の大久保先生、そして――」
イナキと同じ小学校出身の学生たちは互いの顔を見合わせている。大久保もまた、小学校の先生だったのだ。しかもダリアに好意を寄せているらしく、迷惑なことにやけに接触を図ってきていた。
その男がダリアといっしょに中学校にいる。
何がどうなっているのかわからないイナキは、椅子に座りなおして改めて壇上を見渡した。
そして。
「社会科のヴェルモンダール先生です」
魔将軍の名を朗々と読み上げる声に盛大に椅子から滑り落ちた。