【その後】


 流れる景色は闇をまとい始めていた。
 卒業式を間近にひかえたこの季節、まだ思った以上に日のくれるのが早く、同様に寒気が押し寄せるのも驚くほど速い。
 昼間はずいぶん暖かくなったが、夕刻ともなればまだ真冬並みの寒気が無情に体温を奪っていった。
 しかしそれも今はアルミとガラスに遮断されている。
 イナキは車窓から夕焼けを眺めていた。幸い車内はすいていたため容易に座席を確保する事ができた。他の乗客も悠々と席につき、楽しげに語らっている。
 慣れない遊びに没頭したためか、いつもとは違うけだるさがある。ジェットコースターから始まった遊園地デートは、お約束のように観覧車で締めくくられた。
 図書館や自室で本を読み漁る休日は彼にとってごく自然なものだが、たまにはこんな休日の過ごし方もいいかもしれない。
 そういえば、ダリアはイナキが部屋に篭りきりでも、文句ひとつ言わずにそれに付き合っていた。
 時々は彼女のために出掛けるのも悪くない。
 楽しそうにはしゃいでいた彼女を思い出して小さく笑った。
 すると、こつりと肩に何かが当たる。
 見れば、静かにとなりに座っていたダリアはすやすやと寝息をたてていた。さっきまでは物珍しげに外を眺めていたのだが、どうやらはしゃぎすぎて疲れてしまったらしい。
 身分や年齢を考えれば、これはきっと呆れる場面なのだろう。
 だが、思わず笑みが深くなった。
 乗り継ぎがないからこのまま寝させてやろうと考えていると、どこからともなくヒソヒソとささやきあう声と笑い声が聞こえてきた。
 見られているな、と直感で判断すると、イナキも瞳を閉じた。
 いっそ寝たふりをしていたほうがよけいな詮索をされなくていい。されたとしても、聞こえないふりをしてやり過ごすことができる。
 そう考えている彼の意思とは反するように、穏やかな寝息に引きずられて唐突に眠気が襲ってきた。
 一瞬閉じた目をわずかに開き、イナキは手を伸ばす。すぐに触れたダリアの手をそっと握って、意識を手放すように双眸をとじた。
 繰り返される振動が眠りを深くする。
 混迷する思考で、それでも彼は思考をめぐらせた。
 彼女の過去に何があったかは問題ではないのだと思う。気にしていないわけでは決してないが、彼女を傷つけてまで気にすべきことでもない。
 腹が立つかと問われれば素直に頷いてしまうが、もちろんダリアに対してではない。
 それは過去に彼女を傷つけた相手に対しての怒りであり、それをうまく受け止められない自分の未熟さに対してのものだ。
 けれどいつか――
 いつかちゃんと、体ごと、心ごと包み込みたい。
 目に見えるへだたりが埋まるまで繋いだ手を放さないように、イナキは柔らかく包み込んだその手に力を込めた。
「必ずそこに行くから、待ってて」
 無意識にささやかれた小さな言葉に応える声はない。閉鎖された空間には人々の生み出すざわめきと、穏やかな寝息だけが繰り返される。
 少年の言葉に応える声は、確かになかった。
 ただひとしずく、彼女の頬を滑り落ちた雫以外には。

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