第8話
服は身につけないものらしい。
着ることが当たり前だったダリアは、周りの説得でしぶしぶ服を脱ぐことにした。
「こーゆうのを変態というんだな」
メイドが伯爵を指差して教えてくれた。あの時確か、彼はバラ風呂に入っていた記憶がある。
これがナルシストで変態、手に負えない末期症状。
近付いたら汚染されるとかなんとか言っていた。ダリアは今、そんなことを真顔で忠告するようなメイドが見たら、まず間違いなく卒倒する格好でトボトボ歩いている。
「変な子ねぇ。すぐ慣れるわよ」
落ち込んでいるダリアに、女が鼻にかかった甘ったるい声で告げる。肌にまとわりつくような空気は服を通すといっそう不快だったから、きっとこのまま全裸で過ごしたほうがずっと快適に違いない。
淫魔とはそういうものなのだと自分に言い聞かせ、その淫魔である自分が服を着ないのはそれが自然だからだと心の中で繰り返す。
「でも、女って珍しいよね」
「珍しい。突然変異だよ」
別の女たちが口を開く。
「……珍しいのか?」
不思議そうに問いかけると、そこにいた個性的な女たちはそれぞれに頷いた。
「普通は両性具有なのよ。人間界に降りて、精を集めて子供生ませるの」
「……どうしてだ?」
真剣に聞くと、女たちは顔を見合わせて小首を傾げた。
「どうしてだろう?」
「だって昔からそうだし。悪戯するんだよね、面白いの」
「中には精自体が食料になる子もいるんだけどねぇ、ほとんどは遊びみたいなもんだし……お仕事だよ、お仕事」
「そうそう、お仕事!」
自分に言い聞かせるように女たちが頷いている。結局自分たちが何をしているのか、何をしたいのかもわかっていないのだろう。
淫魔とはひどく怠惰な種族らしい。
どうにも肌に合いそうにないのだが、行くあてもないダリアは彼女たちと行動を共にしている。一緒にいれば、ひとまず食べ物に困ることはないのだ。
彼女たちの生活は驚くほど不規則だった。
朝も昼も関係なく、寝るわ起きるわ騒ぐわで、時々誰かが食料を調達するために姿を消す。腐臭を放つ大地には木はおろか草さえ見当たらないのに、いったいどこから食料を手に入れてくるのか謎だった。
知識の乏しいダリアは、様々なことを疑問に思いながらも結局何一つ聞くことができずに現在に至る。
城を出てどれだけ時間がたったかはわからなかったが、一人だったら決して生きてはいけなかっただろう。
「あ、グール」
美しい指で、女が前方を指した。
子供ほどの大きさの薄茶色の動物がこそこそと歩き回っている。彼らは何かの周りにたかり、体を小刻みに揺らしていた。
「近くにオークがいるんじゃないの? 離れよう」
血走った目であたりを警戒するグールを見て女がそう提案する。グールがたかるその中心から、血まみれの白い手が現れて粘着質な大地に力なく落ちた。
魔界は弱肉強食の世界だ。
生き残りたいなら強くなるか、強い者に媚びへつらうしかない。
そんな世界で、淫魔は確実に後者にあたる。
促されるままダリアはその場所から離れた。あそこで喰われているのはきっと仲間だろう。それがわかっていても助けようという発想がまるでない彼女たちは、己の保身を最優先に動く。
心が歪んでいくような生活が続いた。何を犠牲にしてでも自分だけは助かろうという発想が根強い彼女たちは、仲間すらも平気で裏切った。
彼女たちが集団で動くのは、それが便利であり、そうすることによって自分たちが助かる機会を確実に増やすためでもある。
苦渋に満ちた顔で背後を見やっていた時、前方で騒ぐ女の声が聞こえて強引に腕をひかれた。急激に視界が歪む。
直後にぬめり続けた大地が不意に硬く変化した。
輪郭を崩した世界は瞬く間に別のものにすりかわった。その状況が呑みこめず唖然とするダリアの顔を女が覗き込む。
「あんた、本当に何にも知らないのね? ここが人間界」
サラリと心地よい空気に驚いていると女がそう教えてくれた。
ダリアは思わずあたりを見渡す。伯爵とメイドの会話で何度も出てきた場所に、まさか自分が来ているとは思ってもみなかったのだ。
魔界とは違う闇には多くの木々と、小さな建物がひしめき合っていた。
「どうやって来たんだ?」
「沼のほとりが歪んでたでしょ? そこを通ったのよ」
「久しぶりだよね、界と界が繋がったの。魔力が強いと自力で繋げるらしいけど、そゆことできないもんね」
女たちが声を弾ませる。
「ねぇどこ行く? ここどこだろ?」
「適当に飛ぼうよ」
「座標、固定しないの?」
「危ないよ」
「だってできないじゃない。知らないんだもん」
意味のわからない言葉を交わしつつ、女たちが手を握り合って体を寄せた。
「何をするんだ?」
思わず聞くと、彼女たちは目を丸くする。
「何も知らないのねぇ。座標固定。移動術よ」
「……移動術」
「魔界じゃ難しいけど人間界なら楽勝。ほら、おいで」
女が妖艶な笑みを浮かべた。
「オトコ漁りに行くよ」
クスクスと耳障りに笑い、淫靡な空気をまとう。
粘つくような表情に嫌悪感を抱きながらも、ダリアは彼女たちの輪の中へと入っていった。