番外編 乙女は苦悩する



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 そして数時間後、刻子は二つのプレゼントを手に入れた。
 一つは写経に打ち込んでいる雅に、深く鮮やかな青色のインクとともに指にしっくりと馴染む青い模様も繊細なガラスペンを。
 もう一つはぼろぼろのカバンを大切に使っているジャンに新しいものを。
「ときちゃんは実用的だねえ。もっとこう、いろいろあるだろう。あえて迷惑なものをプレゼントして相手の愛を推し量ったりとか!」
 どこの宴会に乗り込むつもりだと問いただしたくなるピコピコハンマーを持った佐々子が意気込むと、
「遺恨を残すような提案するなよ」
 ピンクなゲームソフトを手にした金之助がボソリと告げる。
「……金ちゃんは弟たちへのプレゼントを選んでいたんじゃないのかね?」
 ちらりと佐々子に手元を見られ、金之助が後退った。
「う……っ」
「露出度最多のゲームなんて、遺恨だらけのチョイスじゃなかろうか」
「ほ、ほしいものを訊いてから買ってやることにしたんだよ!」
「最近のサンタさんは生皮だねえ」
「うっせ!」
 希望通りのものが買えて機嫌のよかった刻子は、言い合う二人にくすりと笑う。結局、弟たちへのプレゼントを後日買うことにした金之助たちと別れ、刻子は帰路についた。
 帰宅したとき、古賀食堂はすでに開店準備をはじめていた。
「ジャンは?」
「買い出し。もうそろそろ帰ってくるんじゃないかしら」
 答えたのは取り皿を準備するはる子である。彼女は刻子の手元をちらりと見た。
「なあに? プレゼント?」
 緑と赤の派手なラッピングは不動のクリスマスカラーだ。刻子はカバンごと袋を抱きしめた。
「ジャンに?」
「み、雅にもちゃんと買ったから!」
 赤くなって答えると「ふうん」と素っ気ない返事がくる。さっさと着替えてしまおうと足早にはる子の後ろを通り過ぎると、
「でも、その頃にはジャンは日本にはいないのよねえ」
 思いがけない一言に刻子は立ち止まった。
「日本にいないって……」
「ずっとイタリアに帰るって言ってたでしょ?」
 はる子の言う通り、ジャンはイタリアに帰ると言っていた。トラブルも収まったし、帰るなら今がチャンスだろう。そうわかっているのに動揺で心臓がバクバクしてきた。
 疑問が胸の奥にくすぶっている。
 イタリアに帰ったジャンが、果たして無事に日本に戻ってこられるだろうか。
 過去に一度、彼はイタリアに帰っている。
 そのときは戻ってきてくれた。だから信じて待っていればいい。そう思うのに、ぬぐいきれない不安がある。それはジャン自身の過去であり、悪魔であるクロの存在――そして、ヴァチカンという、刻子の知らない世界そのものだった。
 もし、ジャンが戻ってこられないような事態になったら。
 もし、連絡すら取れない状況になったら。
「あ、あの、お母さん……」
 ジャンについていきたい。
 だが、そう切り出すことができず、刻子はぐっと唇を噛んだ。「なんでもない」と言葉を取り消すと、きょとんとしたはる子がエプロンで手を拭きながらカウンターの奥に引っ込み、すぐに戻ってきた。
「はい、これは刻子に」
 そう言って渡されたのは、飛行機のチケットだった。
 行き先はイタリアだ。出発日は冬休み初日、何度見ても間違いない。チケットを裏返し、指でこすり、呆気にとられたまま顔を上げる。
 驚きすぎて声も出ない刻子に、はる子が腰に手をあてて苦笑していた。
「心配なんでしょ。一緒に行ってきなさい」
「で、でもっ」
 ついていきたいとは思ったが、いざ背中を押されると躊躇ってしまう。
「ジャンと二人でって……っ」
 日帰りで出かけるのとは訳が違う。刻子に好意を持ち、刻子もまた好意を持っている相手と二人きりで長期旅行というのは、あまりにもハードルが高すぎる。
「刻子は男っ気が全然なかったでしょ? 雅くん以外に親しい男の子はいなかったし、お母さんちょっと心配してたのよ」
 はる子の指摘に刻子はぴたりと口を閉じた。
 男っ気どころか高校に入るまで親しい友人がいなかったのが刻子である。周知の事実とはいえ、それを改めて指摘されるのはさすがに恥ずかしい。
「ジャンは外国の人だし不安がないって言えば嘘だけど、人となりも知ってるし、なによりあんたを大切にしてくれるでしょ。だったら大丈夫よ」
 生放送中にプロポーズしてきた神父は、今やすっかり古賀食堂の看板息子だ。人となりどころか彼の趣味や嗜好を皆が完璧に把握している。
 刻子にべた惚れなジャンが無体なことを働くなんて考えられないと、はる子は確信を持っているらしい。
 真っ赤になって押し黙る刻子をよそに、はる子の鼻息が荒くなった。
「それに! Wウエディングもいいかなって思ったりしたわけよ、お母さんは!」
 誰と誰の結婚式なんだと問いたいが、怖くてとても訊けなかった。
「お、お父さん! お母さんが変なこと言い出した!」
 刻子が叫ぶと、泰造はさっと顔をそむけて両耳を押さえた。おまけにしゃがみ込んで呪文まで唱えはじめた。
「聞こえない、聞こえない、聞こえない」
「お父さん――!?」
 そうしてジャンの知らないあいだに二人だけの旅行が着々と準備されていくのであった。


                      =了=