午後の優しい光の中で少女は懸命に首を曲げる。
「う〜ん?」
手にした厚紙を陽にかざしながらくるくる回して、小さくうなり声なんかをあげている。
『うまくできてんじゃねーの?』
赤い石はどこか笑いを含むような声でそう言った。
「う〜ん」
真っ白な少女は、石の――クリストルの声にもうなり声で答える。
『うまくできてるって。そんな凝った予告状出すの、お前ぐらいだぜ?』
「でも」
納得がいかないのだろう。少女は机の上に小さな白い紙を置いた。
『上出来、上出来。お前器用だな』
小さな厚紙にインクは使われていない。紙はかすかな凹凸と切り抜きだけが存在する。それが光の具合によって、見事な絵となり文字となる。
時計塔の怪盗が出す予告状は、博物館に飾られている。もちろん、それは証拠品だ。たとえ現行犯逮捕が大前提の世界でも、警察が保管するのが筋だった。
しかし、クリスの出す予告状は博物館に保管されている。それはひとえに警察が、
「あの予告状は芸術品です」
なんてうっかり公共の場で言ってしまったからだ。
じゃあなんで警察なんかが持っているんだ。芸術品ならしかるべき場所で、しかるべき方法で一般公開されるべきだろう。
警察が押収するなんて横暴だ。
市民は声をそろえて抗議した。堅実な警官が漏らした意外な一言。その真実を彼らも見たかったのだろう。
それは小さな予告状である。
怪盗の出した、犯行を伝えるためのものだ。
警察は散々渋ったが、市民の声を無視することはできなかった。結局は、自分が蒔いてしまった種なのだ。
白い怪盗が出した真っ白い小さな予告状は、感心するぐらいの人を呼んだ。リュードレイ以外の町からもそれ見たさに来る者があとを絶たなかった。
そして、今も着々と博物館には真っ白な予告状が増え続けている。
「これもプレッシャーになってきちゃったよね」
始めは趣味で作った予告状だった。凹凸をつけて、切り抜きをして、建物を模したり風景を描いたりと結構楽しんでやってきたのだ。
「誰かかわりにやってくれないかなぁ」
『お? オレがやってやろーか?』
うかれたような、クリストルの声。
「だめ」
『何でだよぉ』
「だってクリストル、趣味悪いもん。不器用だし」
『ンだよ。愛はこもってるぜ』
とってつけたようなセリフに、クリスは溜め息をつく。過去に大怪盗と呼ばれた男は異様なほど不器用だ。それを見ていると、過去の栄光は確実に「力技」という気になってくる。
「ねぇクリストル」
『あン?』
小さな予告状に視線を落としたまま、少女は口を開いた。
「槌鉄、痛かった?」
石が沈黙した。息を呑むような、そんな間合い。
『痛かったよ。気が狂えないのを呪うぐらいには』
どこか明るく他人事のように、クリストルは返す。
『100本』
「100?」
『そ。100本。オレが痛みを感じた楔の数。大怪盗がうけた槌鉄の数だといわれる数字』
声が続けた。
『けど、違うんだ。ヤツら笑いながらこう言った』
何本目で死ぬか、賭けようか?
と。
世界を騙した報いだとか、そんなことじゃなかったのだろう。執行人たちは、大怪盗を生かす気など始めからなかったのだ。
事実は隠蔽された。
転職した怪盗。執行された罪の重さ。
槌鉄で死ぬ者はいないとされた。あれは極刑だが、それそのものでは死なないはずだった。
たった一人の例外を除いては。
『大丈夫だ』
赤い石は、穏やかすぎる声で少女に語りかける。
『大丈夫。オレがお前を守る。オレの総てをかけて守ってやる』
手を引かせてやりたい。本当なら、巻き込んでしまいたくはない。あの苦痛を少女に負わせるのは、あまりにも残酷だ。
だが、少女は手を引こうとはしなかった。頑ななまでに己の意志を貫こうとする。
ならば自分のとる道はひとつ。
『下を向くな。胸を張れ』
この小さな怪盗を、何者からも守ってやる。彼女の時間は、彼女のためにのみ存在するのだ。
だから誰かに、何かに奪われることのないように。
『お前は、オレが守る』