小鳥のさえずりが聞こえる。
 雲ひとつない青空。ぬけるようなあお。空気が澄んでいる。
 一陣の風か吹きぬけると、大木が青々とした葉をゆらす。驚くほど広い公園には、子供たちの元気な声が響いている。
 少年が芝生に足を取られて盛大に転んだ。
 それを見て、子供たちが大笑いをしてはしゃいでいた。
 いつもの風景。何の変哲もない日常。
「いい天気」
 大きな真っ白いリボンのついた、純白の服を着た少女がまぶしげに空を仰ぐ。靴も靴下も、本当に何もかもが真っ白な少女。
 時計塔の怪盗と呼ばれる少女。
「天国、行けたかな?」
 先刻、絵を燃やした。名画と呼ばれ、人々に愛された「乙女の眠り」と呼ばれる清楚で穏やかな絵だった。
 総てを捨てて絵を描き、絵に囚われ、そうして死んでいった老婆の、それは最初で最後の願いだった。
『さぁな』
 興味なさげに、真紅の石――クリストルが返す。
『オレはそれより、あそこで燃えてるガキのほうが気になるぜ』
 うんざりといったような口調に、少女怪盗が視線をさまよわせる。
「あ……」
 漆黒の少年が一人、むっつりと立ち尽くしていた。純白の少女――クリスとはあまりに対照的なその姿。髪も瞳も真っ黒で、シャツもズボンも靴までもが、本当に呆れるぐらいに黒一色。デザインは凝っている様だが、ここまで黒で固められてしまうとセンスのよさも霞んでしまう。
「おはよう、クリス」
 小さな紙袋を手に、顔に張り付くような笑顔でササラが近づいてきた。かなり不気味だ。
「お――おはよう、ササラ。き、昨日はご苦労様」
 うわぁ、と、クリスは心の中で引きつった声を出す。
「まんまとお前にしてやられたよ。あそこにトラップがあるとはね?」
「ケガなくてよかった」
 すかさず切り返すと、ササラは盛大に溜め息をついた。
「もういいかげん辞めたらどう?」
 とすんとクリスの横に座り、ササラは溜め息交じりでそう言った。
「え?」
「怪盗屋。調子のりすぎだよ、お前」
「ダメ」
「……転職しろって言ってるんじゃないよ。辞めろって言ってるの」
「ヤダ」
 は〜っとさらに盛大な溜め息。
 片手に持っていた紙袋からサンドウィッチを取り出すと、その袋をクリスの方にさしだした。クリスが首を左右に振ると、気に留めたふうもなく紙袋を芝生に置く。
「お前、わかってるの? 現行犯で捕まれば、極刑だよ。槌鉄だ。もう10本――殺してくれって叫ぶ数だ」
「……」
「潮時だろ。怪盗クリスの名は――時計塔の怪盗の名は、もう時代に残ってる」
「ダメなの。まだダメ」
 サンドウィッチにかぶりつきながら、ササラは何度とも知れない溜め息をつく。スクール時代から知ってはいたが、本当に、あきれるほどの頑固者。見てくれはかわいい。明るい栗色の髪はサラサラで背の中ほどまで伸ばされ、ライトグリーンの瞳は宝石のように輝いている。ころころ変わる表情も好感を抱く要因で、一途なところも決してマイナスのイメージはない。
 ――なかったはずだった。
 てっきり花屋や、服屋になるだろうと思っていた少女が、まさか怪盗業についてしまうなどとは努々ゆめゆめ思うこともなく。
 さらに探偵屋となった自分が彼女を追いかける羽目になるとはまったくもって予想外で。
「何でこんなことになったのかなぁ」
 ついつい本音が零れ落ちる。
「そうだ! ササラが探偵屋辞めて、怪盗屋になればいいんだよ!!」
「極論!! それ極論すぎ!!」
 があっと少年が吼えた。
「なんで? 二人でやれば効率いいよ!」
「オレは今の仕事に誇りもってんの! 転職なんてする気ゼロ!!」
 そういって、がつがつサンドウィッチを頬張る。黒で固めているせいか、雰囲気は物静かな薄幸の美少年チックだが、実はなかなかササラは豪快な性格をしている。同時に繊細なところも持ち合わせていて、意外に奥の深い少年である。
「もったいないな〜ササラ、白い服も似合いそうなのに」
「二人で真っ白怪盗か。冗談じゃない」
 そう言って、二つ目のサンドウィッチにかぶりついた。
「だいたいね、転職なんて人生の敗者のすることだ。何のために五歳から十年間もスクールに通ってると思うんだ?」
「……生涯の職≠見いだすため」
「そうだろう。何年もかけて決めた職をどうしてかえる? 零落れいらくもいいところだ。町中の笑いものだよ」
 ササラの言葉に、クリスはあいまいに笑った。
 子供たちは五歳でスクールに通いだす。その目的はただひとつ。生涯の職≠見つけるためだ。
 期間は十年間。その中でいろいろなことを学び、体験し、己に最もあった職を見つける。中にはわずか五年で生涯の職を見つけ、早々とスクールを卒業する者もいれば、なかなか決められず十年間ずるずると居続ける者もいる。
 クリスとササラは九年目でスクールを卒業した。スクールを卒業し、職を持てば、一人前とみなされる。一人前になった証として、子供たちは己の家と、己の生涯名乗る名を手に入れるのだ。
 人には二つの名がある。
 幼少のころに親からもらった名と、成人してから自らにつける名。
 名は己の生きた証。
 名を残すことは、命を残すこと。
「お前が、クリスを名乗るとは思わなかったよ」
 ふと、ササラが言った。
「お前が大怪盗の名を継ぐなんて思わなかった――」
 どこか苦しげに、小さな探偵がつぶやいた。

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