ミヤツ刑事は時計を見た。
8時45分。時計塔の怪盗が来るまで、あと15分。
決戦のときは間近に迫っている。
「持ち場につけ! テメーの一生かかってんだ、腹ァくくれ!!」
ミヤツ刑事の声が届く場所にいた警官はざっと青くなった。転職は最大の禁忌だ。確かに前例がなくはないが、生涯後ろ指をさされて生きていかなければならない。
一つの事に打ち込み、己の名を残すことが誉とされるのだ。己を見極められずに職を退けば人生の敗者≠ニ呼ばれ、死んでも消えない汚点となる。
かといって、無職でいるわけにもいかない。
家も食事も何とかなるが、死ぬまで他人にこびへつらって生きてゆくことになる。
それは生涯の恥辱。
だからミヤツ刑事の「時計塔の怪盗を捕らえることができなかったら全員クビ」という旨の発言は、恐ろしく効力があった。
警官たちの顔はいつも以上にひきしまっている。
「さぁ、オレたちも行くか」
ミヤツ刑事は鋭くあたりを見渡して、黒衣の少年に声をかけた。
場所はリュードレイ東部に位置するグラハム美術館。さして大きな美術館ではないが、500年前に建造された白亜の荘厳な文化遺産である。展示するものも美術品だが展示する場所も美術品という、ある意味贅沢な建物だ。
照明は
照明器具を配置させたかったのは山々だが、昔からの館長のこだわりで、ここには松明しかない。
建物内にはいたるところに松明がかかげられていて不便はまったく感じないが、一応用心してミヤツ刑事とササラはお互いに懐中電灯を一本ずつ所持している。
その建物に配置された警官は300名――リュードレイ中央警察のほぼ全員が出払っているといってもいい。さらに東部警察から50名。
おかげでどこを歩いても警官だらけだ。
時計塔の怪盗を捕まえる意気込みが度を過ぎ、捕まえる気があるというより、来させない気なのではないかと住民たちは呆れかえっている。
それほどの厳戒体制。
たかが泥棒の小娘一人にかける人員ではない。
「シェリー王女の王冠、か」
ミヤツ刑事はぽつりと言った。
「ティアラじゃなくて、王冠?」
女だったらティアラだろう、とミヤツ刑事は単純に考えているらしい。真珠やダイヤで作られたティアラは高貴だが愛らしいイメージがある。彼なりにこだわりがあるようだ。
「シェリー王女の父が他界するとき、王位とともに王冠を受け渡したそうです」
ササラの言葉に、ミヤツ刑事がわずかに眉を上げた。
「シェリー王女は10歳で王位を継承しています。王冠は彼女にあうように作り直されました。――スターサファイアをはめ込んで、ね」
「ああ、嘆きの石とか言う、呪われた宝石か」
記憶の糸をたぐり寄せる。
確かもともとは指輪であったと聞いている。嘆きの石といわれるように、そのスターサファイアをはめ込んだ指輪はことごとく死を招いた。
ただし、持ち主が非業の死を遂げたのではない。
持ち主の周りにいる大切な者たちが次々と死んでいったのだ。だが、その死に嘆きながらも指輪の持ち主は、石の魔力に囚われたかのように指輪を手放すことができなかった。
誰ひとり愛する者がいなくなったとき、石ははじめて持ち主を呪う。新しい主人を手に入れるために。
そして悲劇は繰り返される。
嘆きの指輪――嘆きの石。
人を虜にする魔の宝石。
その最後の犠牲者が、シェリー王女。
王位とともに王冠を渡されたときには、彼女はすでに石の虜となっていた。
「……アルゼアの呪われた皇女」
ミヤツ刑事がうめくように言った。
「豊かな国だったという文献があります。彼女が王となるまでは」
「呪ったっていうのか? 石が、大国を」
「わずか三ヶ月で滅びました。それがどうしてなのか、理由はいまだに謎のままです。
黒瞳がわずかに細められる。
証拠はない。しかし噂は残る。
アルゼアの皇女は呪われていたのだと。嘆きの石が、緑豊かな国に死の息を吹きかけたのだと。
「それを狙うっていうのか、時計塔の怪盗は」
「盗んで
二人の視線の先には、小さな台があった。赤い布のかけられた高さ一メートルほどの小さな台。
その上にあるのは、大きなスターサファイアの埋め込まれた王冠。使われたダイヤは150個、ルビーは20個と記録されている純金の呪われた象徴。
思わず吸い寄せられてしまいそうな危ういきらめきがある。手にしてはならないと、本能が危険信号を発するような王冠。
「位置につけ」
歪んだ美の象徴が松明の火で揺れている。それから目を離さずに、ミヤツ刑事は物陰に向かって低い声で命令を下す。
広めの室内には、六本の石柱がある。壁に使われている石と同じ場所から切り出されたと知れるそれらの影には、警官が配備されている。
窓は西側と南側に一つずつ。日中は日の光を取り込むために、三メートル頭上の天井にも天窓が一つ。
ふわり。
松明の明かりの中で、有り得ないほど白い影が舞い降りる。
遠くで9時をしらせる鐘が鳴る。
純白の時計塔の鐘。
その音に誘われたかのように、真っ白な乙女が王冠の横≠ノいた。
「こんばんは」
澄んだ少女の声が、白亜に反射する。
「シェリー王女の王冠、いただきにあがりました」
350人の警官の目をかいくぐって少女はそこにいた。
時間さえ