【六十五 前編】

 水羽が息を切らせて保健室のドアを開けると、そこにはやはり麗二と光晴の姿があった。年寄り臭いこの二人はもともと気が合うらしく、よくこうして談笑しているのだ。
「あったかいお茶でもどうや?」
 愛用の湯飲みを持ち上げて光晴は水羽に笑顔を向けるが、彼はそんな男に目もくれずに奥にひかえている保健医へと視線を投げる。
「神無来てない?」
 定番となりつつある言葉に、二人は同時に眉をひそめた。
「いっしょやないんか?」
「教室に帰ったら、土佐塚と校庭に行ったって聞いて」
「なら、雪像づくりやろ?」
「そう思って移動したら、放送部の緊急ミーティングに呼ばれたって聞いたんだ。昼に話してた男って放送部の部長でさ、当分病院から出られないじゃない」
「ええ、いくら鬼でもすぐには無理です」
 肯定する麗二に水羽は頷く。
「鬼ヶ里祭まで間がないから、放送部も焦ってるんだと思ってた。――ミーティングが二時間の予定で、もう帰ってきてもいいはずなんだ」
 一同の視線が壁にかけてある時計へとそそがれる。時刻は四時をとうにすぎ、長針はあとわずかで垂直になろうとしていた。
 ゆっくりと広がっていく闇の中にたたずむ少年の声はちいさく震えていた。
「部室に行ったら誰もいなかった。使われた形跡もなし」
「なし、とは?」
「暖房、入ってなかった。ここに来る途中、放送部の部員見つけて訊いたら召集の話はないって――他、捜してくる」
「水羽!」
 踵を返した少年の背に鋭い声があたる。
「落ち着け。無闇に動くんは得策やない」
「そうですよ」
「でも……!」
 悲壮な声をあげる水羽を制し、光晴は携帯電話を取り出した。
「とにかく、神無ちゃんを見つけるんが最優先。オレの庇護翼にも連絡を」
 言葉の途中で光晴は息をのむ。瞳は瞬きひとつせずに開けたばかりの携帯の画面を凝視した。
 遠く、水羽の声が響く。
「繋がらないんだ、携帯。校内放送も使えない。……壊されてる、みたいで」
 鬼ヶ里高校は山中にあるため、コスト面や自然保護を考えて太陽光や風力などのクリーンエネルギーを利用する基地局が置かれている。そこは定期的に巡回され過去一度も故障したことのない施設でもある。
 目を疑うように光晴が圏外と表示された画面を見つめている横で、麗二は保健室に設置されている外部連絡用の電話へと手を伸ばした。彼は受話器を持ち上げ耳にあてるなり、何度かフックを押して無言のまま受話器をおろす。
 その動きから状況が切迫していくのがわかった。
「やりおるな」
 一連の出来事が偶然とは思えない光晴はちいさくうめいた。密に情報を交わしたい状況が目の前にあるというのに、交信手段の一切が断たれているのだ。
 暗い蔭が各々の心を埋めていく。
「神無さんの居場所、学園内とは限らないですね」
「外の可能性もあるってこと?」
「……鬼ヶ里祭か」
「ええ。この時期は車両の出入りが激しい。どれかに乗せられていることも充分に考えられます」
「町におりたら見つけるのは至難や」
「でも、学園内にいる可能性だって……」
 水羽は意見しかけ口をつぐむ。主人の印がある花嫁は、感覚的とはいえ庇護翼が比較的見つけやすくなっている。それに、いまの神無には三翼の刻印もあるのだ。学園内にいればおおよその位置くらい見当がつき、彼女に何かあれば空気が一瞬にして変化するだろう。
 鬼は妊婦に血を混ぜ、母体に眠る女児の遺伝子を狂わせ印≠刻む。特殊な遺伝子を持つことにより鬼の花嫁となった少女たちは、それによって印を刻んだ鬼に感知されやすくなる。それは必然的に守りの要となり、窮地の際には彼女たちを救うためのもっとも確実な手段となるはずだった。
 本来なら、自分の印を持つ花嫁を見失うことなどない。現に彼らはずっと神無の気配を探りながら学園にいた。あまりに近すぎれば彼女に負担がかかるからという配慮で一定の距離をおき、それでも、確実にその気配を捉えていたはずだった。
 しかし、意識を集中させると、何か妙な気配が混じっている。さらに注意深くさぐった直後、刻印の気配が不自然に大きく揺らめいた。
「……っ」
 確かであったはずのものが崩れていく。
 あの秀麗な鬼は、神無に己の印を刻んだことによって、三人と同様に基盤となる華鬼の呪縛がどれほど強いのかを正確に把握している。ならば、印を頼りに花嫁を捜すというその能力を撹乱させるための方法を編み出したことも考えられないわけではない。
 この奇妙な気配が囮で、神無が学園の外に連れ出された可能性もあったが、逆に響が華鬼を嬲ることを目的として彼女を捕らえたなら学園から出るとは考えにくくもある。
「どっちや!? 内か外か……っ」
 光晴の声にチャイムが重なった。五時を知らせるためのものだ。その音に反応し、作業をしていた生徒たちが一斉に手を止めて何事かを話し合ってから道具を片付けだす。鬼ヶ里祭まで一週間という差し迫った時期で、作業延長の書類は毎日のように提出されているにもかかわらず、不自然なほどの統一感をもって彼らは作業を終えていた。
「ねえ、これってどういうこと?」
「……やられましたね、完璧に」
 次々と帰路につく生徒の背を見つめ、麗二はドアへと歩き出す。
「あちらはご親切に最高の舞台を用意してくださったんですよ。昨日の招待客は神無さん一人の予定だったのでしょう。今日は、私たちです」
 苦くつぶやく声に光晴は立ち上がるなりコートを手にした。
「三翼舐めくさりよって……!」
「光晴さん、まだ手を出しちゃ駄目ですよ。――部外者が全員帰ってからです」
「待ってよ! 神無どうするの!? 連れ出されてるかもしれないんだろ!?」
 肩を怒らせて歩調を合わせた二人に水羽が慌てて声をかける。直後、彼の背後に人影が現れた。
「水羽? 今日は電気設備の点検で一斉下校って連絡が――」
 瓜二つの顔はいつも通りの笑顔を浮かべたが、瞬時に異変に気づいて引きつった。鬼の一族には珍しい双子は、鏡に映すかのようにぴったり動きをそろえて一歩後退する。
「……いいところに来たね、雷太、風太」
「え? オレたち、たまたま通りがかっただけで……!!」
「もう帰るつもりだったんだ! 水羽も帰るよな!? って、高槻先生に士都麻先輩まで、笑顔コワ……っ!!」
「ええタイミングや。これで一陣できたな」
「そうですね。あと四人集めていただきましょうか」
「なんの話デスカー!?」
「――雷太、風太」
 がっちり手を握り合って悲鳴をあげる双子に水羽は輝くような笑みを向ける。それがろくでもない命令の前触れであることを重々承知している彼らは、逃げ出さんばかりの拒絶反応をみせる体をなんとか理性で押しとどめていた。
「主人として命令する」
 ひたり、と指先が二人をさす。
「雷太は裏門に行き車両を規制、風太は校内にいる麗二と光晴の庇護翼を捉まえ、雷太のサポートに回って」
「サポートって」
「昼から町におりた車両をすべて捜し出して不審なことがなかったか確認。誰か一人、基地局にも行ってほしい」
「水羽? どうかしたのか……?」
「――神無の姿がないんだ」
 双子はたった一言で状況を把握して顔色を変え、なにかを探るように瞳を閉じた。そして、互いの顔を見合わせる。
「え? でも気配はちゃんと……あれ?」
「……なんだろ? なんか変な感じが……朝霧さん、もしかしてここにいないの?」
「いるだろ、気配がする」
「でもこれって花嫁の気配かな。似てるけどなんか違わない?」
「……本当だ、いつもと違うような……」
「場所、特定できる?」
「……おかしいな」
「オレ、できないかも」
「うーん」
「こんなの初めてだ」
 ぼそぼそと話しあい首を傾げる双子に確信を得て、水羽はまっすぐに彼らを見た。
「一刻の猶予もない。だから、助けて。ボクたちは校内を捜す」
 主人である水羽に真剣に見つめられ、彼らはその顔に戸惑いの色を浮かべる。華鬼の力をそのまま反映し、神無は並みの花嫁にはない独特の「芳香」を持つ。それは庇護翼として彼女を守らねばならない立場にある彼らの理性を簡単に揺さぶってしまうほど強烈なものだった。
 鉄壁の守りをもって花嫁に添うはずの者が、危害を加えてはならない。
 だから彼らは、主人の命に反して花嫁のそばには近づかなかった。これもまた、庇護を第一に考えての行動なのだ。
 しかし現状、そんなことを言っている場合でないことは明らかだった。
 雷太と風太はこくりとツバを飲み込んでから頷く。
「わかった。四人に連絡とって――」
 ぱっと携帯を取り出した風太に水羽は首をふった。
「使えないよ」
「え? 本当だ、圏外……って、もう下校はじまってるじゃん! 早く捜さないと帰っちゃうっ」
「風太、オレ先行ってるから」
「うん、あとで合流な」
「早く来いよ」
「わかってるよ」
「じゃ、こっちはオレたちに任せて」
 最後はぴったりと息の合ったところを披露して、双子は廊下を駆け出していった。

Back(64話後編) Next(65話中編)