通常、学校行事の多くは決まりであり風習であり、大義名分がたつようになんらかの理由がある。しかし、鬼ヶ里高校執行部が主催する祭りはこの限りではなく、執行部権限を最大限に生かし、やりたいときにやりたいことを、生徒どころか学校そのものを巻き込んで無差別に執り行う。
 その最たる例を目の前に、華鬼は思わず嘆息した。
 校舎一棟が全壊、残る二棟は半壊という状況から考えればとても鬼ヶ里祭どころではないはずだ。段ボールとガムテープ、さらに青シートで急場の補強をすませた校舎は、見た目以上にすきま風が吹き込んで寒く、生徒の多くは防寒具を着込んだまま廊下を行き来しているほどである。暖房も追いついてないんだなと他人事のように考え、華鬼はゆっくりと辺りを見渡した。
 一応、職棟の四階に来た水羽の面子をたて、華鬼は神無とともに鬼ヶ里祭に出席すべく学校に足を運んだ。どうせやることがないだろうと高をくくっていた彼の考えはあまりに甘く、放送部の仕事だと言われ神無は連れ去られ、残された華鬼は生徒会の仕事で生徒会室に連行される真っ最中だった。
「屋台の設置は前日までにすべて完了、八時半から販売開始。一部、火気を使用しない屋台のみ校内での営業許可が出てるわ。合同の展示室、舞台、スポーツ等のレクリエーションに目立ったトラブルの報告はなし。緊急時の対処指示はマニュアルを作成して指示ずみ」
 隣に並ぶ少女は淡々と告げる。執行部の行動力は無謀を極めているが、それもサポートに回る人材が優秀であれば驚くほどスムーズに行くらしい。小さなメモ帳に視線を落としたまま簡単に内容を告げる少女は、生徒会副会長の須澤梓である。相変わらずの美貌をつんとすませたまま、彼女はメモ帳から視線を外した。
「ダンスパーティーの準備は五時から。開催は六時半、すべての行程が終了するのは十時」
 長いな、と胸中で文句をたれると、
「立食パーティーがメインで、ついでに終業式もするらしいわ。今朝校長から連絡があったのよ。どうせ生徒が集まるなら一回ですませようって――その計らいは、賛成ね」
 あっさりと了承してしまうあたり、彼女も大物なのだろう。表情には出さずに感心していると、梓は華鬼に顔を向けてちいさく吐息をついた。
「雪像の採点は各クラスからランダムで人を選び、投票権を与えるの。カマクラは各生徒が一票ずつ投票可能。結果はダンスパーティーで発表。何か質問は?」
「ない」
「……そう。ここ数日は天候が安定してるらしいから、それだけは救いね」
 どこか投げやりに口にする。生徒会と執行部は分裂し、それぞれのトップを華鬼と光晴が仕切るようになってから非常に仲が悪い。その仲が悪いはずの執行部のサポートを生徒会が買って出たというのは異例中の異例だろう。
 しかも、作業の内容を聞く限り、生徒会――梓が表立って動いた可能性が高い。
 意外に思って彼女の顔を凝視すると、それに気づいた彼女は苦笑を返してきた。
「誰かさんが暴れたお陰で大変だったわ。鬼ヶ里祭中止の話もでたの。でも、せっかくここまでやったんだし……それに、校舎がこんなんじゃ勉強にはならないでしょ? どちらのほうが集中できるか考えたら、生徒会は執行部に全面協力するしかなかったのよ」
 言い訳するようにそう言って彼女は凍てつく空を見上げた。空気は瞬時に体温を奪うほどの冷気を孕んでいるものの、日差しが強いせいか窓越しには暖かくさえ思える。
 風が駆け抜けた瞬間、校庭に点在していた青シートがいっせいに取り外された。まばらに散った生徒から驚きと悲鳴、笑いがおこる。シートはそのままかき集められ、雪像を隠すためだけに残されていたパイプの骨組みは次々と取り払われていく。
 八時半になるとスピーカーにスイッチが入り短い音楽が流れてきた。
『全校生徒の皆さん、おはようございます』
 ひかえめで硬い声が途切れると、律儀にお辞儀している姿が思い浮かび、華鬼は思わず苦笑をもらす。
『これより鬼ヶ里祭、開催いたします』
 いつもは桃子と呼ばれる少女が話していたから、神無がマイクの前に座るのははじめてだったのかもしれない。緊張した声のあとには軽快な音楽が流れ、それを耳にした華鬼はちいさく溜め息をついた。
 おそらく神無は、友人が高校を中退したことを知らされているだろう。もしかしたら、悲しんでいるかもしれない。一週間前に桃子を見たとき止めるべきだったのか――ふと切迫した少女の顔を思い出し、複雑な気分になる。
「木籐君?」
 怪訝な顔で名を呼ばれ、華鬼ははっとして校庭から視線を外して歩き出した。
 そんな華鬼を見て、梓は苦笑する。
「本当に変わったのね。ずいぶん……優しくなった」
 生まれてこの方、優しいと評価されたことなど一度もない華鬼は、思いもよらない梓の言葉に耳を疑って彼女を凝視した。
「これで私も踏ん切りがつくわ」
 いぶかしげに見つめられた彼女は肩をすくめ、ちらりと窓の外に視線を流す。校庭には不格好な雪像が並び、至る所に屋台が設置され、着ぶくれした生徒たちが雪像より先に屋台に駆け寄っている。
「オレの仕事は?」
 今日一日は大人しくしているかとあきらめ梓に尋ねると、彼女は目を丸くしてくすりと笑った。
「はじめてね、生徒会長自らが仕事する気になるなんて」
「そのつもりで生徒会室に行くんだろ」
「あら。鬼ヶ里祭は執行部が仕切るお祭りよ、生徒会が動く必要なんてないでしょ?」
「……」
「こうでもしないと放送部の人員が確保できないと思って。ああ、あとは自由行動で好きなことしてていいわ。用事があったら校内放送で呼び出すから」
「……貴様」
「暴れないでね? 出席日数不足で卒業が怪しいらしいから、これ以上停学はまずいんじゃない? 退学にもなりかねないし」
 楽しげな口調に華鬼は脱力する。
「でも、うまく利用すればもう一年、花嫁と同じ学校にいられるわ」
 耳打ちするようにつづけた言葉は、本来なら生徒会に属する者が口にすべきものではない。意外にしたたかな梓に驚くと、
「来年も私はこのポジションにいるわ。参謀が性に合うの」
 何事もないようにすれ違う生徒たちに軽く挨拶しながらそう断言してきた。留年した人間が生徒会長になるのはまずくないかと思ったが、鬼ヶ里に常識が通用しないことなど身をもって知っているため、あえて口を開くことなく溜め息を返した。
「私もそろそろ帰るわ」
 まっすぐ正面に顔を向け、梓は囁く。彼女の視線を追ってその先に男がいることを確認し、華鬼はそれが同胞であることを直感して納得した。どこか気のよさそうな表情を浮かべたその男は、見た目とは裏腹に彼女を庇護し誰にも傷つけられないよう牽制するだけの力を有した鬼なのだろう。その守りがあるからこそ、あれほど注目される花嫁にもかかわらず、求愛しようとする輩が現れないに違いない。
 安堵して梓を迎える男を眺めながら、人は見かけによらないなと考えていると、
「華鬼、神無は?」
 と、聞き馴染んだ声が背後から問いかけてきた。
「放送室」
「あー、じゃああれってやっぱり神無の声か。え? 華鬼一人? 寂しいねぇ」
 振り向くと、ぬっと真っ白な綿菓子が差し出された。
「食べる?」
「いらん」
「おいしいのに」
 綿菓子にかぶりついて水羽が残念そうな顔になる。甘いだけの食べ物がどうしてもおいしいとは思えない華鬼は機嫌のいい水羽に視線をやるだけで口をつぐんだままだ。
「屋台、全部無料だってさ」
「知ってる」
「何か食べたいものある? リンゴ飴どう? 焼きそばとかおいしそうだったな。あ、甘酒もあるよ」
「食事は家でする」
「……それってすごく鬱陶しいけど、いい旦那さんの構図だよね」
「鬱陶しいは余分だ」
 思わず言い返すと水羽がちいさく笑った。和食を得意とする神無は、同じく和食好きの華鬼の好みの料理を用意してくれる。それで慣れてしまうとあえて外で食べる気にはなれなかった。
「でも、今日は屋台ですませないと駄目だよね」
「……そうだな」
「神無が放送部にいるなら今日はカンヅメだろうね。せっかくだからボクといろいろ見て歩く?」
 よくよく考えれば、放送部は元々少ない人員からさらに部長である大田原と桃子が抜け、ついでに響とその庇護翼も病院おくりにしたためどうしても人手が足りないのだ。忙しそうに走り回るカメラ小僧を目で追っているうちに華鬼は憂い顔になった。
 やっぱり来るんじゃなかったと後悔の念が生まれる。昨日さんざん歩き回って疲れた神無をゆっくり休ませた方がよほど有意義な気さえしてくる。
「華鬼? なに?」
「なんでもない」
「ふーん。あ、そーいえば、指輪は? 選んできた?」
「ああ」
「どんなの?」
 訊かれて華鬼は沈黙する。シンプルなものが希望だったのだが、神無が悩みに悩み、休憩を挟んで最終的に選んだものは、ペアリングと表現するのにまったくもってふさわしい一品で―― 一ヶ月後に入荷予定の結婚指輪を思い描くと、動揺せずにはいられなかった。
「ん。何も言わなくていい。なんとなくわかった」
 言葉もなく項垂れる華鬼を見て、水羽は簡潔な一言を吐いた。だいたい、水羽が結婚指輪という聞き慣れない一言を口にしたのが事の発端で、本来なら購入予定などまったくなかった代物だ。
「お前が余計なことを言うから……」
「余計じゃない。……本当に、これだから鈍い男は困るね」
「誰が鈍いだと?」
「しかも無自覚だし。麗二と光晴、思い切り呆れてたよ。鬼ヶ里はじまって以来のヌケ作だって」
 さんざんな言われように釈然としない華鬼は水羽を睨み付ける。いつものように怒気をにじませると、瞬時に変化した空気に気づいて道行く生徒たちが慌てたように視界から消えていった。
「短気だなぁ」
 説明もなく水羽はただ呆れるばかりだ。それがいっそう彼を苛立たせているのだが、やはり詳細を語る気はないようで、その横顔に微苦笑だけを浮かべている。
 そして、とりあえずという前置きとともに、華鬼は水羽に引っ張られるように鬼ヶ里祭に参加することとなった。


 時計はいつの間にか六時をさしていた。三学年合同の展示会や催し物は、班分けされているためかなりの量になる。多目的ホールと講堂は絶えず何かが主催され、その逆に屋内運動場は午後から使用禁止になっていた。
 それもそのはず――と、華鬼はうなる。
 広い屋内運動場はダンスパーティー用の会場に様変わりし、壁際には丸テーブルがいくつも置かれ、料理が次々と運ばれてきた。聞けば、料理はプロを雇って作らせたらしい。湯水のごとく金を使う執行部に頭痛を覚え、これなら梓が怒るのも無理はないと納得した。さらに、見たこともないシャンデリアとミラーボールが天井からぶら下がっている。
 舞台には楽器を手にしたタキシード姿の男たちが打ち合わせをし、ついでになぜか校長までタキシード姿で打ち合わせに聞き耳を立てている。
「……なんか間違ってないか、この学校」
「黙れ。言ったら終わりだ」
 ざわめきの中、そんな会話さえ聞こえてくる。確かに終わりだなと同意して、華鬼は壁に背をあずけて視線だけを動かした。
 次々とドアをくぐって現れる生徒たちは誰も彼もが見事に着飾り、男子生徒は派手な燕尾服やタキシード、ラテンウェアを着込み、女子生徒は恥じらいながらも見目鮮やかなドレスをまとっていた。
 鬼ヶ里祭の予算がいくらなのかは、きっと聞かない方が身のために違いない。お祭り集団が本腰を入れるとろくなことがないなと内心で毒づきながら華鬼は双眸を閉じた。
 ちなみに、会場に連行された華鬼も仕方なく用意された燕尾服に着替えている。いつのまにサイズを測ったものか、袖を通したそれらはオーダーメイドかと首を傾げたくなるほど彼の体にぴったりだった。
 時計が六時半をさした時、マイクのスイッチが入った。
 長々とした挨拶がはじまるのかとうんざりした生徒たちに対し、校長はごく短く、明日から冬休みに入る旨と校舎の修繕の日程だけを告げ、楽しむようにと残して壇上から姿を消した。
「……つまらん」
 いつも学校行事に参加しない華鬼は、ざわめく人々の波に視線をやってちいさく漏らす。なれ合うというのが苦手であるから親しい友人など一人もいないし、唯一まともに話せる相手はどこに雲隠れしたのか姿さえない。
 遠巻きに眺めてくる女子生徒たちもそろそろ鬱陶しくなってきた華鬼は、料理を適当に失敬して、放送室に行き神無を連れて帰宅しようと心に決めてテーブルに向かう。その途中、どこからともなくざわめきが聞こえ、それが伝染するように大きくなっていった。
 不思議に思って視線を彷徨わせ、人混みの中に一瞬だけ見慣れない色彩を発見して動きを止めた。
「華鬼、餞別じゃ」
 唐突に肩を掴まれ、聞き覚えのある言葉とともに頬が一瞬で熱を帯びる。よろめく体をとっさに立て直し、華鬼はすぐさま視線を走らせて声の主を睨みつけた。
「貴様は……!!」
 不意打ちばかりを食らわせる男は丸眼鏡の下の瞳を細め、ふんと鼻であしらって華鬼をめつける。悲鳴とざわめきを聞きながら臨戦態勢に入った華鬼は、対峙する光晴がひどくこの場にふさわしくない格好をしていることに気づいて柳眉を寄せた。
 光晴は華鬼を殴っただろう右手を大きくふり、身をかがめて床に置いたスーツケースを持ち上げた。彼は私服を身につけ、あいた手をコートのポケットに突っ込む。
「もともと根無し草やったからな、オレは」
 まるで独り言でも口にするように、どこか寂しげな笑みで光晴はつぶやく。
「鬼ヶ里に長く居着くつもりははじめからなかった。家ん中も、来たときのままじゃ。なあんも、――思い出くらいしか残っとらん」
 光晴の意図することを悟り、華鬼は拳をとく。
「せやかて、心残りがないわけやない」
 誘うように光晴の視線が動くのに気づき、華鬼がそのあとを追う。するとその先には、人混みの中を麗二と水羽に連れられて進んでくる真っ白な――目にしみるほど真っ白な、純白のドレスをまとった神無の姿があった。
 それはまるで、ウェディングドレスのようで。
「どんなに離れとっても」
 淡々と光晴が言葉をつむぐ。それを聞きながら、華鬼ははにかむような笑みを浮かべる彼女を呆然と見つめた。彼女は麗二に何かを囁かれ、一驚を喫するとほのかに頬を染めた。
「彼女が泣くことがあれば、駆けつける。たとえ相手が誰だろうと絶対に身は引かん」
 まっすぐな言葉に、華鬼は光晴へと視線を戻す。
「必ず幸せにしろ。悲しませるなら、いつでも奪いに来る」
 それは彼なりの激励の言葉に違いない。鋭い眼差しを受け止めながら、はじめて素直に頷いた。
「ああ」
 必ず、と胸の奥で言葉をつづける。光晴は表情をゆるめ、華鬼に背を向けると立ちつくす神無のもとに行って言葉をかけてから、軽くその肩を叩いた。
 まるで後押しされるように神無が歩き出す。
 会場がざわめく。
 会場で一般生徒に紛れ込む鬼たちの驚倒した表情は、どれもこれもが判で押したように彼女に向けられていた。そそがれる視線は以前のようにいびつに歪んだ物ではなく、純粋な驚きと彼女を賛するものだった。
 奇妙に思った次の瞬間、いつもと違った匂いに気づき、華鬼は足を踏み出したままの格好で動きを止めた。
 ゆるりと波打つ大気の中に、嗅ぎ慣れない――けれど、ひどくよく知る匂いが混じる。
 信じられないものを見るように、華鬼の視線は彼女に釘付けになった。二人だけで過ごした一週間、それにまったく気づかなかったと言えば嘘になる。ただ、彼にとってはあまりに意外で、己の中でその事象が結びつかなかったのだ。
 ちいさいけれど、確かな変化。それは、これから未来へと繋がっていくもの。
 目の前まで来た神無は立ち止まり、少しだけ緊張した表情で華鬼を見上げた。
「い、いま、高槻先生が……」
 言葉を探すように口ごもる。淡く頬を染めた彼女の手がゆっくりと持ち上がって、純白のドレスの上から慎重に腹部に触れた。
「……ああ」
 つづく言葉は必要なかった。彼女を包む香りごと柔らかくその身を抱きしめ、華鬼は瞳を閉じた。驚いたように一瞬だけ身を固くした彼女は、そのままそっと彼の背に腕を回した。
 過去に何一つ望まず、彼は、彼の体はただ本能のまま生きることに執着をつづけた。
 名だけを求められ、存在を否定され、一生孤独でありつづけるのだと死の淵に立つたびに思い知った。そして彼は、出会うことを望んで印を刻んだ花嫁さえ拒絶して命を奪おうとした。
「神無」
 その娘はいま、しなやかに現実を受け止め、かけがえのないものとともに彼のそばにいる。
 細い腕でしがみつき、嬉しそうに微笑んでいる彼女を抱きしめていると、長い間ずっと胸の奥で凝り固まっていた所が溶けていくような気がした。
「ありがとう」
 言葉が知らずにあふれ出る。
 それははじめて彼が口にした柔らかな感謝の言葉。微笑む彼女はちいさく、だがしっかりとその言葉に応えて頷いた。

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