一限目と同じように室長が教壇にあがると、室内のざわめきはいっそう大きくなった。
 チャイムが鳴ってもいっこうに着席しないクラスメイトを一瞥してから、彼は眼鏡のフレームに人差し指をそえてプリントを眺めた。思わせぶりな態度はよくあることなので誰もそれを指摘せず、各々が鬼ヶ里祭の話題をでもちきりだった。
「神無!」
 近づいてくる桃子を見ていた神無は水羽に呼ばれて視線を背後へと向けた。
「ダンパ、ボクと踊らない?」
 笑顔で訊ねられ、神無が驚いて表情を変える。とっさに開いた口が言葉を発する前に、桃子が慌てて神無と水羽のあいだに割り込んできた。
「神無は木籐先輩と踊るの。早咲は別の人にしてよ」
「華鬼が踊ると思う?」
 率直な問いに桃子が不満そうに顔を歪めた。一般生徒はパートナー選びに苦労する場合が多いのだが、鬼の花嫁たちは本人の意思に関わらずもともと決まった相手がいる。普通の状態なら当然その相手と踊ることになるはずだった。
「ね? ボクと踊ろうよ。麗二は教員だし、光晴は執行部だからあんまり自由時間とれないと思うんだよね」
 確かに言われたとおりなので納得すると、それを了承と受け取ったらしい水羽がにっこり笑う。
「勝手に決めないでよ」
 焦って神無が訂正しようと水羽を見ると、桃子が代弁するように鋭く彼を睨んだ。
「消去法だよ。土佐塚は相手いるの?」
 鬼に連れてこられた花嫁なら当然はじめから相手はいるはずだ。唐突におかしな質問をする水羽に首を傾げると彼は真面目な顔で桃子を見つめていた。
「いるけど」
 一瞬返答につまった桃子は嫌そうに顔を歪めて返す。華鬼のことはよく質問してくる桃子だか、自分の鬼のことに関しては不思議と口にしたことがなく、その事実に気付いた神無は少し疑問を抱いた。頻繁に電話やメールをやりとりしているのが彼女の鬼なのだろうと思っていたが、彼女が自らすすんで話してくれた記憶が一度もないのだ。
 少し意外そうな顔をしながら水羽が肩をすくめた。
「ボクにはいないし、神無もパートナーがいないなら問題ないだろ? 神無、いっしょに踊ってね」
 少女より可憐な笑顔で問われ神無は思わず頷く。よし、と満足気に水羽が返すと、彼の携帯電話が小さく鳴った。彼はすかさず内容を確認して、返信を打ち神無に視線を戻す。
「光晴、雪集めだって。身動きとりやすいから本当は撮影班希望だったんだけど。でも、あれだけ馬鹿力だから案の上だったな」
「早咲は雪像班?」
「うん」
「土佐塚も?」
「当然! せっかくならメイン作りたいし」
 確認する水羽に桃子が頷き、
「彼氏も雪像班希望なんだよね」
 と、再び嫌そうに溜め息をつく。
「嬉しくないの?」
 メールを読んだあと怒っていることもあるが頻繁に連絡を取るほど仲がいいのだ。それなら、クラスが違っていても敷地が同じなら顔をあわせることも多いからもっと喜びそうな気がするのだが、桃子はひどく不機嫌だった。
「嬉しくない。なに考えてんだかさっぱりわかんないし」
 神無からの珍しい問いに桃子はそう答えてうなだれる。いつも率直すぎて驚く彼女だから当然反対したのだろう。気難しい相手なのかもしれない。憂欝な顔で何度も溜め息を繰り返す彼女を不憫に思いながらかける言葉を探していると、教壇から手を打つ音が聞こえてきた。
 ワンマンでマイペースな室長は、黒板に鬼ヶ里祭の割り当てと人数を記して副室長を呼びつけた。
「第一希望最優先、定員オーバーの場合はジャンケンで決める。質問は?」
 慣れた様子で意見をつのり、雑談に花を咲かせる教室を一瞥してから指示に入る。話をやめないながらも生徒たちは室長の指示通りぞろぞろ移動し、黒板にある希望の班に名を記入しはじめると、そこは瞬く間に黒山の人だかりができて大混雑した。
「ちょっと待ってて、あたし書いてくる。早咲もいい?」
「うん、よろしく」
 すでに神無を勘定に入れている桃子が水羽に断ってから人ごみにまみれると、取り残された二人は避難するようにその場を離れて黒板を眺める。すぐに要領よく人垣をかきわけ黒板に名前を書いて桃子が手をはたきながら戻ってきた。
「お疲れー」
「衣装班が結構多いみたい。あと、雪収集」
「みたいだね」
「木籐先輩って何やるのかな。同じ班だと会えるんじゃない? 聞いてる?」
 水羽と会話をしている途中で桃子は感心して黒板を見ていた神無に声をかける。驚く彼女は素直に口を開いた。
「帰宅部……」
 華鬼の性格なら、自分から学校行事に参加するのはまず考えられない。人に合わせるという発想が皆無の男は、おそらくどこかで時間を潰すか家に帰ってしまうに違いない。
「授業中にも作業するんだから帰宅はないって。つまんないなー」
 華鬼は誰からも敬遠されるか目の敵にされ、遠巻きに注目を浴びることはあっても積極的に関わろうとする者は少ない。だから桃子のようなタイプはかなり異例で、本気で残念がる彼女を神無は不思議な気分で見つめた。
「いっしょにいて楽しい相手じゃないとは思うけど」
 華鬼のことをよく知る少年が至極まっとうなことを口にすると、
「あたしはいいの! 神無はいっしょのほうが嬉しいでしょ?」
 彼の一言をぴしゃりと封じて桃子は神無に話題をふる。きっといつも通り会話らしい会話など何ひとつないだろうが、いっしょにいられるのは確かに嬉しい。つられて小さく頷くと、桃子が勝ち誇ったように手を打った。
「ほら、神無だって言ってるじゃん! 木籐先輩、雪像班やってくんないかなぁ。ついでにダンスのパートナーも先輩だといいのにね?」
 それはさすがに無理だろう。桃子も半ばあきらめた口調でつぶやいて、思い出したかのように携帯をポケットから取り出しメールを打った。
「分担連絡しろってうるさくってさ」
「彼、が?」
「そ」
 軽く答えて彼女がメールを打つあいだに第一希望を書き込んだ生徒の波が黒板の前から去っていき、代わりに室長と副室長が定員を確認して採用者に赤丸をつけていく。
「ダンスの練習は体育と美術の時間に行う。最終的なツメはパートナーと組むが、基本は授業で身につけてもらうからな。礼儀作法からみっちり叩き込まれるから覚悟するように」
 副室長に作業を任せ、室長はざわめく教室にそう怒鳴った。所々でおこる抗議の声を軽くあしらい、手元のプリントをめくって説明に入る。要領を得ないうえに十一月もすでに半ばに差し掛かり始めた時期からの企画だけあって、いろいろと予定が立て込んでいるらしい。簡単な言葉で室長がそれを告げると、じゃあやめろよと文句さえ出はじめた。
「執行部のお祭りは全員参加が基本なんだよ。文句なら執行部に言え。意見箱はいつもの五倍用意したとありがたいお達しつきだ」
 初めから苦情は予定されていたのだと言わんばかりだった。呆れる生徒に室長は冷ややかに微笑を浮かべて言葉を続けた。
「いいか、オレには何も言うな。オレのことは一方の意見しか伝えない伝書鳩だと思え。明日以降、授業内容は配ったプリントどおりに変更になるからな」
 前の席から回ってきたプリントを一瞥して皆がぎょっとする。授業の半分が鬼ヶ里祭に当てられるとの旨を記した紙は、今後の予定を細かく示していた。
「って、テストは?」
「学期末試験は捨てろ。オレは執行部の罰ゲームで頭が痛い」
「捨てろって――!?」
「授業内容をみっちり書き込んだプリントが諸先生方から用意されてるから、それで勉強でも紙飛行機作りでも、何でも好きなことをしてくれ。もうなんだな? 有り得ないだろ、この学校は」
 表情は菩薩だが烈火のごとく怒っている室長は、声のトーンをできるだけ落として微笑んだ。
 執行部と言えば光晴が仕切る学園の祭事にかかわる機関だ――彼の意思なのか、はたまた執行部全体の趣味なのかはわからないが、ずいぶん大掛かりな行事になることだけは確かだった。学園祭より手間がかかるかもしれないと神無はひとしきり感心する。
「あ、雪像班決定みたい」
 定員以下の書き込みしかなかった班は早々に赤丸がつく。それを確認して桃子がメールを送信すると、間をおかずに聞き慣れた着信音が鳴り、彼女は内容を確認して溜め息をつく。
「あっちも雪像班に決まったって。今度友達に紹介しろってハートの絵文字つき。……気持ち悪い」
 脱力して悪態をつき、桃子は短く文字を打って携帯をしまった。楽しみにしていたはずの祭事さえどこか不満そうなのが神無には不思議でならない。相手が鬼なら多少の例外はあったとしても、皆一様に整った容姿で大切な花嫁にはつねに優しく、いっしょにいるなら申し分のない男のはずだった。
 腑に落ちない神無は水羽としゃべる桃子の横顔をじっと見つめる。そして、その途中で鋭い視線を感じて首をひねった。
 慣れた敵意は肌に刺さる。少し緊張してあたりを確認した神無は、すぐに玲瓏とたたずむ少女に目をとめた。艶やかな美貌を歪め、江島四季子がまっすぐ神無を睨み、少しはなれた場所にいる関根ユナをしたがえて威風堂々と教壇に上がった。
「ごめんなさい、まだ名前書いてなかったの」
 怪訝な表情をした室長に四季子はそう謝罪し、細くしなやかな指で流れるようにチョークを持て黒板に向かった。
 誰もが一瞬見惚れるような笑顔で自分とユナの名を記し、彼女は教壇をおりて神無に近づく。
 言葉など何もない。ただ強い意志を秘めた瞳だけが神無を凝視して歪んでいった。
 よろしく。
 赤い唇がゆっくり動くのが視界の端に映った。
「これで雪像班はちょうど定員だな。他は――」
 室長の声が室内に反響する。
 身じろぎさえ忘れた神無は、二つ増えた赤い丸を無言で見つめていた。

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