電話を耳に押し当てるとすぐに不機嫌そうな少女の声が聞こえた。取り繕うつもりが微塵もないようだ。
 くっと喉の奥で笑うと、それが聞こえたらしい桃子の声が怒りに震えた。
 いい加減にしてよ、と鋭い言葉が来た。
「何が」
 すでに意思は伝えてあるにもかかわらず、桃子はその考えが納得いかないらしい。桃子は響よりも立場が弱いはずなのに身の程を知らない言動が多い。それがどうにも愉快でならなくて響は空を仰いで瞳を細めた。
 見事な青空だ。この寒さなら雨が降れば雪になるだろうが、雨雲は見当たらない。風がないお蔭で小春日和といってもいい暖かさだった。
 それを眺めていると携帯から小さく弾む息が聞こえてきた。
 眉をひそめると同時に、響の目の前にある一つきりのドアが開いた。
「よくわかったな」
 本気で感心していると、携帯を乱暴にたたんでポケットにしまいながら桃子が大股で近づいてくる。花嫁らしくないその動きが面白くて小さく笑うと、桃子の顔がいっそう不機嫌になった。
 携帯をしまって屋上のフェンスに背を預けたまま、響は彼女の行動を眺める。
「何やってんのよ? 今なら丸腰じゃない、三翼しかあの子を守ってないのに」
 桃子は響の隣に並び、フェンスに手を伸ばしてそれを掴んで引っ張る。大きく揺れたフェンスに背を預けたままの響は、別の意味で眉をしかめて彼女を見た。
 彼女は怒りに歪んだ顔を校庭に向けている。
「いつまでも友達ごっこなんて真っ平」
「楽しそうじゃないか」
「――本気で言ってる? バカじゃないの?」
 影では鬼頭と並ぶとまで言われたことがある鬼をここまで小馬鹿にする花嫁も珍しい。怒りをあらわにする桃子に、呆れる以上に感心して響は体を反転させた。
「オレの目的は鬼頭であって花嫁じゃない。奴がいないところで花嫁いたぶっても面白くないだろ」
「木籐先輩がいなくなって二ヶ月もたってる。帰ってこなかったらどうする気?」
「次に選んだ花嫁でも標的にするか」
 笑んで返すと、悪鬼の形相で睨まれた。あくまで鬼頭の花嫁である神無に執着する桃子は、より大きなダメージを与えることを望んでいる。そのために響と手を組み、彼女は傍目から見てもわかるほど着実に神無の信用を得ていた。
 その努力を別のことに使ったらどうだと提案したら、侮蔑の眼差しを向けられたことがある。
「お前の鬼は大変だろうな」
 ぽつりと本音を漏らすと、大げさなほど桃子の肩が揺れた。
 金網を掴んだ手に力がこもる。伏せられた顔にどんな表情が浮かんでいるかはわからないが、きつく唇を噛む姿が、激情にまかせて怒りを表に出す以上にその心の内を語っているようだった。
 どうやら過去に自分の鬼と何かあったらしい、という事まではわかった。しかし響はそれ以上興味もわかず、彼女から視線をはずして辺りを見渡した。
「ムカつく」
 しばらくして、ぞろぞろと連なって校舎に吸い込まれる黒い影に視線を落とし、桃子は苛立たしげにフェンスを蹴った。
「木籐先輩の居場所、わかんないの?」
 吐き捨てるように聞いてくる。諸々の怒りが自分に向いてしまったらしいのを自覚したが、響は気にせず口を開いた。
「生家にはいなかった」
「……なによ、それ」
「一度行って確認したが大騒ぎもしてない。居場所を調べる術がない」
 人の口座から勝手に莫大な金額を引き落とし、そして始まったのは半壊した日本家屋の解体と、洋館の建設だった。由紀斗や律の口座からも同様に金が引き落とされていたから、おそらく華鬼と三翼の口座からも遠慮なく引き落とされているのだろう。喧嘩両成敗とでも言いたかったのかもしれない。
 家一軒建てるにしては破格な引き落としは、建設中の建物を見れば粗方納得できた。
 そして、鬼も花嫁もそのことで手一杯らしく、響が再び生家に訪れた時には、華鬼の姿どころかその名すら一度として呼ばれなかった。
 失踪については連絡が入っているはずだが、あまりの無関心ぶりに響のほうが呆れたほどである。
 桃子はちらりと響を見た。
「一応、働いてたんだ」
「一応な」
 響の回答に少しだけ怒りを納めて桃子は口をつぐんだ。本当に何も動いていなかったと思っていたらしい。
 人がまばらになった校庭を見て桃子は腕時計で時間を確認する。そろそろホームルームの始まる時間だと思いながらその様子を眺めていると、視界のはしに黒いものが映った。
 校門の外に黒塗りの車が滑るように移動して停止する。すぐにドアが開き、面識のある鬼が姿を現した。
 黒いスーツに紫のシャツに黒ネクタイ。
 引き結んだ口元と静かな眼差しは厳格な性格をそのままを表しているようだった。
「誰?」
 見慣れぬ男に桃子が問う。登校途中の生徒たちもちらちらと男を見ている。
「鬼頭の父親の庇護翼」
「あの人が?」
「渡瀬だ」
 ネクタイを締めなおし、その場にひどく似合わない鬼は正門をくぐって悠然と校舎に向かって歩き出した。
 硬い表情は以前見たときと変わらないようにも感じたが、それでも響は男が緊張していることに気づく。
「――ようやく動きがあったようだな」
 我が子に関心がないのではないかと思うほど放任していた男の庇護翼頭――彼が動いたとなると、相応の理由があるのだろう。
 その様子を眺め、響は口元を歪めた。

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