叩き壊す勢いで開かれたドアを麗二は驚いた表情で見詰める。
 備品チェックの真っ最中だった彼は、手早く机の上を片付けて不機嫌な少年に向かって口を開いた。
「神無さんなら来てませんよ?」
「……まだ何も言ってない」
「その鼻息なら予想はできます」
 麗二の言葉を聞いて踵を返した水羽は、突然背後に現れた壁にぶち当たって小さくうめいた。
「なんや、急ぎか?」
 保健室の出入り口に立ったまま、小柄な彼が体当たりしても微動だにせず、光晴は彼を見おろして小首を傾げた。
 どうやら鼻を打ったらしい水羽は数歩後退して光晴を睨みつけてから再び向きを変えて麗二に向かって歩き出した。
「お茶頂戴」
 ドスリと丸椅子に腰掛け、横柄に口を開く。すでにその態度に慣れていた麗二は苦笑しながら三人分の日本茶を用意した。
 苛立たしげに湯飲みを睨みつける彼を不思議に思いながら、麗二と光晴はわずかに視線を交わす。もともと気が長いほうではないが、ここ最近、水羽が怒る原因はかなり限られてきていた。
「神無さんに何か?」
「……ちょっとね」
「ちょっとじゃわからんやろ」
「友達ができた……みたい」
「悪い話やない」
「表面上はね」
 湯飲みを手に持ち、水羽は溜め息をついた。
「ずっと一人でいるのは可哀想だとは思うけど……なんだろう、全然喜べない」
「心が狭いんやないか?」
「寛容になる事も必要ですよ、水羽さん」
 諭されて水羽はさらに不機嫌になる。何かが納得しきれないように、彼は湯飲みを口元に運んで傾けた。
「やってることは、たぶんそんなにおかしくないと思うんだ。だけど……だけどこのタイミングって、すっごい最悪」
「何の話や?」
「……教室で神無が華鬼の花嫁だって、言いふらされた」
 ふっと空気が変わる。
 一瞬の沈黙ののち、麗二が湯飲みをテーブルに戻した。
「それはあまり喜ばしい状況ではありませんね」
「あれだけ目立つ男だから注目されるのは仕方ない。……問題なのは、神無が花嫁だって事実を認めてないヤツが多いってこと。それに」
「一般人はノータッチや。こんなん晒し者やないか」
 華鬼が神無を守る立場にあったなら、話は変わっていただろう。彼の庇護がどれほどのものかは予想できないが、少なくとも鬼たちを黙らせるだけの力はある。
 そうなれば、やがて鬼の花嫁たちも認めざるを得なくなっていく。
 だが、現状ではありえない。
 華鬼が神無を守るそぶりを見せなければ、鬼たちにとって神無は鬼頭の印を持った花嫁で、魅惑的な肉の塊でしかない。
 そして、なまじ美しい女ばかりが多い鬼の花嫁たちは、自分に劣る少女に反発しか抱かないのは目に見えていた。
「普通の人間がどう動くか……なんや頭の痛い話やな」
「ちょっとだけねぇ、華鬼が動いてくれると助かるのにって思った」
 ボソリと水羽が呟いてその視線を窓の外に投げる。
「弱気ですね」
「ちょっとだけだよ。ボクだったら悲しませないのに、守ってあげるのにって思うと、本当……なんて言うのかな……こう、ムカムカするよね?」
 満面に笑みを浮かべて問いかけて、水羽は湯飲みをテーブルに戻すとすっくと立ち上がる。
 まっすぐゴミ箱に向かう姿を少しだけ目で追って、光晴は麗二に視線を戻した。
「止めんでええの?」
「ストレス溜めてるみたいなんで、まぁたまには」
 庇護翼の失態でも立腹していたし、彼は神無と同じクラスだけあって残りの二人よりも花嫁の近くにいる分、いろいろと情報が入って来やすい。
 表立った派手な行動は神無の立場を悪くするため、彼も抑制せざるを得ないことを考えれば不憫でならなかった。
 背後から聞こえる派手な音に苦笑して、
「神無ちゃん、心細ないかな」
 一人ごちながら光晴が立ち上がる。
 その姿を目で追って、麗二も立ち上がった。
「渦中の彼はどうです?」
 何気なく問いかけると、光晴は思い出したように手を打った。
「ああ。なんか……様子おかしかったんやけど」
 昨日は神無が料理をタッパーにいれて持って帰った。仲睦まじく食べている姿は想像できないし二人の関係がすぐさまどうこうなるとは思っていなかったのだが、それにしても奇妙な光景を目にして光晴は不気味に思って保健室に報告に来たのである。
「なんちゅーか、心ここにあらず、みたいな」
「……なにそれ」
 唐突に低く問い返され、光晴はコンパクトにゴミ箱をたたみ終えて戻ってきた水羽を見る。
「ソワソワしてる感じ」
「誰が」
「……華鬼が」
 問いかけた水羽以上に奇妙な顔をしながら、光晴は言葉を続けた。
「いつも我関せずでかまえてるから、これがなかなか異様でな? 周りのほうが落ち着かん。まるでなんか探しとるような……」
「神無はすごい緊張して……警戒してたみたいだったけど?」
「警戒?」
「目が合ったら逸らされた。花嫁に拒絶されるのって……応える……」
 どうやら苛立ちの一部に動揺も混じっていたらしい。ほんの小さな動きですら過敏に反応してしまう自分を恥じるように、水羽は動揺を隠そうと口を引き結ぶ。
 その姿を見ながら、光晴は眉をしかめた。
 三翼は神無にとって唯一の守りだ。それは彼女自身もよくわかっているはずだった。
 それを拒絶したとはどうしても考えにくい。
 だが、神無が視線を逸らしたのは偶然なのか必然なのかを見極められないほど水羽が鈍感だとは思えない。
「……なんかあったんか?」
 何かあったとすれば昨日の晩だ。思わず顔を見合わせる光晴と水羽に、
「まさか華鬼が無理やりってのは、ないですよね?」
 素直に下世話な意見をして、麗二が思い切り睨まれた。
 女を切らしたことがない男が、まさかそれだけで浮かれたりはしないだろう。相手の性格を考え、三人は複雑な心境でうなり声をあげる。
「無理やりやったら多少は声が聞こえるやろ。それがなかったんやから……」
「合意」
「吊るすで?」
「ボク、神無探してくる」
 進展のない会話に飽きたのか、水羽は出口に向かう。ドアに手をかけ、彼は振り返った。
「体調悪くて保健室で休んでるって言っといて。神無がここに来てないの、予定外だった」
「オレも探してくる。麗ちゃん、あとよろしゅうに」
「水羽さん」
 廊下に出た少年は足を止めて麗二を見た。
「神無さんのご友人の名は?」
「土佐塚桃子。鬼の花嫁だよ」
「わかりました。神無さんをお願いします」
 ドアが閉じるまで笑顔を絶やさなかった白衣の男は、室内に沈黙が訪れると同時にそれを消し去った。

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