くぐもったうめきだけが空間を埋める。
「少しくらいいい思いさせてやらないとカワイソーじゃないか?」
 頭上から非情な言葉が降ってくる。必死で体をひねるが、のしかかった由紀斗の体はびくともせず、両手首を押さえつけている律の手もまったく緩む気配がない。
 こんな状況に陥ったことは一度や二度ではない。
 だが、嬲り殺されるのだと思ったのは初めてだ。心臓が飛び跳ねる。気が遠くなりそうになりながらも、ここで気を失ったら抵抗すらできないことを知っていた。
 気絶していたほうがずっと楽に違いない――しかし、おそらく次に目覚めることはないだろう。
 瞬時にそう悟る。
 生きたいなら抗わなければいけない。黄金の瞳を持つ人の形をした獣から、自分自身を守らなければいけない。
 肩に触れた硬いものが肉にめり込むのがわかった。楽しむように加えられる力には情けなど欠片もない。それが恐怖を増大させる。
「あっちの部屋にしておけばよかったな」
 くすりと律が笑い、手を押さえつけたまま身を屈めて神無の喉に唇を寄せ、ぞろりと舐めあげた。不快さに吐き気さえ覚えて何度も身をよじる。
「防音ならもっと楽しいのに。――に、しても」
「さすがは鬼頭の花嫁、こっちがどうにかなりそうだな。殺すのが惜しい」
「いっそ飼っておくか」
「物好きだな」
「意外といいかもよ」
 黄金の瞳を細めて鬼が笑い、制服に手をかけ力任せに引き裂く。はじけ飛んだボタンのひとつが床で跳ね、小さく硬い音を響かせた。
 由紀斗と律は白く浮かび上がる肌に瞳を細める。無数に刻まれた傷跡も、加虐心をあおり欲情するだけで哀れみなと微塵もわいてこなかった。白い肌が血に染まればさぞ美しいだろう――本来なら女としての魅力など感じない脆弱な体ではあるが、刻印によって放たれた色香は理性さえ簡単に崩していく。
 わずかな抵抗がまるで誘っているかのようで興奮した。怯えれば怯えるだけずたずたに引き裂きたくなる。
 小さな胸の隆起がせわしなく上下し、赤く色づく華がさらに紅く染まる。
「愉しもうか?」
 耳元でささやかれて神無の息が詰まった。彼女は拒絶するように首を振ったが、それさえうまくいかない。
 別に急ぐ必要もない――彼らがそう思い嘲笑した直後、足音が響いた。
「誰?」
 聞き覚えのある少女の声。由紀斗と律は視線を合わせ、確実に近づいてくる足音に舌打ちしながら神無から離れた。
 小さな音がして窓を開ける気配があった。その直後、室内に光があふれて神無は思わず顔をそむけた。
 窓は開いている。あそこから逃げたのだろう。安堵したら、目頭が熱くなった気がして唇を噛んだ。
「――神無!?」
 桃子の声に驚き神無は視線を移動させる。体を起こしてなんとか支えるが、腕にうまく力が入らない。それを見て、桃子が駆け寄って彼女の体に手を添えた。
「どうしたの? 大丈夫?」
 ちらりと辺りを見やってから桃子は低く問いかけたが、神無はそれに答えることすらできずにただ首を左右に振った。
 平気ではない。こんなことに慣れることなどできない。
 だから、あきらめるしかない。あきらめて、少しでも外界から自分を隔離するしかない。長年その身に染み込んできたはずのことを、なぜこうも簡単に忘れていたのか――神無は青ざめながら桃子の手を借りてゆっくりと立ちあがった。
「文化祭の手伝いで遅くなったんだ。音がしたみたいだから何かと思って……ねぇ、本当に大丈夫? 先生呼ばなくて平気?」
 気遣う声に、けれど神無は頷くことはなかった。
「ありがとう、平気」
 極度の緊張で乾いた喉は短い言葉でさえ発するのがつらい。桃子はそんな彼女の顔を覗き込んでから、そう、と小さく返した。
「送るよ。一人じゃ怖いでしょ?」
 長い廊下には消火栓の赤いランプと非常口を知らせる緑のランプ、それにわずかな明かりしかなかった。
 そっと肩を貸してくれる桃子の好意に神無は素直に甘えた。長く続く廊下に響く足音はいたずらに不安を掻きたてるが、少なくとも今は怯える必要などないのだと彼女は自分自身に言い聞かせる。
 すくみそうになる足で神無は懸命に前にすすむ。
 闇の中、嘲笑に似た笑みを浮かべる少女がすぐ隣にいることにも気付かずに。

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