鬼頭の庇護翼と対峙したわりに平然と屋敷を見下ろしていた響は、腕をさすっている由紀斗と腫れあがった顔を冷やしている律に目を向けた。
 彼が水羽と争っていた場所は木が数本薙ぎ倒され、大地がえぐれている。
 主が無傷なのは、彼の実力が言葉どおりであることを示していた。
「動けそう?」
 機械的に問いかけられ、由紀斗は頷きながら己の腕を下へ引いた。
 鋭い痛みとともに鈍い音が聞こえ、痛みの波がそれを機に少しずつ弱くなる。低く呻いてから呼吸を整えて由紀斗は律を見た。
「オレは大丈夫。律は?」
「平気」
 腫れた顔を冷やしたまま、憮然と律はそう返す。
 毒の塗られたナイフのお蔭でそれなりに麗二と光晴の足止めをすることはできたが、隼の名を受ける少年の動きをとめるまでには至らなかった。
 期待されていながら十分な働きを示すことができず、響の顔を直視することができない。
 だが、何か言われるかと緊張し続けている二人を責める様子もなく、響は再び屋敷へと視線を戻した。
 そして、小さく声をあげる。
 何かと思ってその視線を辿ると、ゆっくりとこちらに向かってくる壮年の男の姿があった。
 自然と体が緊張するのがわかった。
 桜の木々の間を歩いてくる男の顔には見覚えがある。
 華鬼の父親である鬼――忠尚の庇護翼頭、渡瀬。
 自身が一目をおかれる立場にもかかわらず、恥じる様子もなく最下層の鬼に膝をつく物好きな男だ。
「ここでやり合おうって感じじゃないな」
 余裕の笑みで響は渡瀬を見た。
 けれど彼は由紀斗に向かって手を差し出した。由紀斗は慌ててその手にジャックナイフを渡す。
 よく磨かれたナイフは肉はおろか骨ごと切断できるほどの代物だ。特に鬼は腕力が強い。どんな硬度があろうとも、コツさえつかめばさしたる苦労もなく断ち切ることができる。
 響がそれをかまえると、壮年の男は間合いを測るように立ち止まった。
「血が見たいなら、容赦はしないけど」
 ふっと響が冷酷な微笑で問いかける。
 ゾッとするような、作り物のように美しい笑みだ。この男は、己の感情でその手元を狂わせることなどないだろう。
 唯一心を揺さぶるはずの花嫁にさえ、愛情の欠片すら見せることのなかった鬼だ。
「用件を聞こうか」
 揶揄するように響が問うと、渡瀬は小さく溜め息をつくように息を吐き出した。
「ただの警告です。これよりさきは忠尚様の許可なき者は排除の対象となります。私としては、屋敷の周りで揉め事は避けたい」
「……鬼のくせに」
「誰もが貴方と同じように好戦的だとは思わないでいただきたい。それを承知でくるのなら、こちらも遠慮はしません」
 渡瀬の背後に広がった桜の木々。その中に紛れるように黒い影が移動している。
 響は瞳を細めた。
「最下層の鬼が、鬼頭を守るか。――笑い話だな」
「……鬼頭を守っているわけではありません」
 その答えに、屋敷を見詰めていた響の視線が動く。
「じゃあ何を守るんだ?」
 渡瀬はふと硬い表情を崩す。響の持つナイフに視線を走らせ、彼は瞳を伏せて踵を返した。
 遠ざかろうとする無防備な背に、響はナイフをむける。
 右手を持ち上げ、逡巡したのちに彼はナイフを静かにおろした。
 由紀斗と律は響の動きに顔を見合わせ、次いで屋敷を守るように広がる忠尚の庇護翼たちに顔を向けた。
「――由紀斗」
 同じように屋敷を見詰めていた響は抑揚なく己の庇護翼の名を呼ぶ。
 緊張して主を見ると、その顔が徐々に変化するのがわかった。
「屋敷に忍び込め」
 短く続け、鬼はんだ。

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