仲良く肩を並べている二人に、三人は驚いたように顔を見合わせた。珍しいと言うより、初めて見る光景だったからである。
「今どき魚を三枚におろせるなんて」
 お玉と小皿を持って嬉しそうに笑ってそう言ったのは、職員宿舎の別棟を切り盛りする女性、もえぎである。
 気のいい彼女はいつも進んで家事全般を引き受けてくれ、この男ばかりの殺風景な空間を潤してくれた。
「味付けもいいわ。これからも一緒に食事作りましょうね、神無さん」
 もえぎの言葉に真っ白なエプロンをした神無は、小さく一つだけ頷く。もともと口数の少ない彼女を柔らかく見詰めて、もえぎは食器棚に向かった。
「……新妻とオカンやな」
 ぽそりと光晴が素直に呟いた。テーブルに頬杖を付いたまま、ほうけた様に見慣れぬ光景の意見を述べている。
「セットでお持ち帰りしたいですねぇ」
 すぐ隣の席についていた麗二は満面の笑みでそう言って、
「新妻とお姉さんです」
 と、親子ほど年の離れた二人と知っていても、さりげなく訂正を入れる。
「ボク手伝おうか?」
 食べ物の臭いに誘われて、待ちきれなくなったらしい水羽が椅子から立ち上がった。
 外見だけなら美少年と呼ぶにふさわしい容姿である。台所に立っても、恐ろしく違和感がない。
「微妙やな」
「微妙ですねぇ」
 しかし中身が外見と同じとは限らず、鬼の血ゆえか生まれ持っての性質なのか、彼もなかなか気性が激しい。
「麗二! 光晴も!! 食べたいなら手伝ってよ!」
 大先輩を呼び捨てにし、空腹の水羽が豪快にテーブルの上に皿を置いた。
「皿割れるで!!」
 慌てて光晴が立ち上がり、そして麗二を見た。
「あまりこういうのは得意ではないんですが」
 微苦笑で麗二も立ち上がる。
 焼き魚から煮物、天ぷら、おひたしが並ぶ様は、まさに純和風な食卓である。
「冷蔵庫にお刺身の盛り合わせもありますよ」
 にっこりと微笑んでもえぎが大きな冷蔵庫を指差す。
「なんやすごい事になっとるな……」
 唖然としたように光晴が呟いている。もえぎの料理の腕前はたいしたもので、いつも創意工夫を凝らした料理が食卓を飾る事が多い。
 ただ、ここまで徹底して和食を作る事はなく、どちらかと言うなら多国籍風な食事になるのが常だった。
「これ神無ちゃんの趣味か? ……えぇなぁ……」
 突然かけられた声に驚いて、神無が光晴を見た。
「オレ専属のシェフにならん?」
 真顔で光晴が言うと、包丁を持った神無はそのままの姿で止まった。
 間近に光晴の顔があるという事実に動きが止まっているのではなく、どうやら言葉の意味を必死で考えているらしい。
「……光晴さん。公衆の面前で、素で口説いちゃダメですよ。神無さん固まってるじゃないですか」
「せやけど! 和食! エプロン! 新妻さん! 独り占めにしたならんか!?」
「そんな野暮ヤボな事は聞かないでください」
 にっこりと笑いながら、肯定とも否定とも取れない答えを返す。が、ニュアンスからは明らかに肯定の意味が読み取れる。
「ちょっと! 邪魔するぐらいならどっか行ってよ!」
 せかせか歩き回りながら、水羽が怒鳴っている。早く食事にありつこうと光晴と麗二を台所に立たせたのに、気付けば神無を囲んで彼女の手まで止めさせている始末だ。
 これでは逆効果である。
「手伝いたいけど何すればいいかわからんし。――包丁支えよか?」
 相変わらず真顔で光晴がそう言うと、神無の表情がわずかに緩んだ。
「光晴さん、包丁支えたらかえって危ないですよ。怪我させたらどうするんです」
 苦笑混じりにそう言って、麗二はまだ無自覚なまま微笑む神無を見詰める。彼女はふと笑顔を消し、口を開いた。
「怪我は平気です」
 神無が小さくそう返す言葉の意味に気付き、光晴と麗二は一瞬言葉を失った。
 普通なら怪我の度合いを答えるために使われそうなその言葉を、彼女はごく自然に別の意味に置き換えている。
 怪我をすることには慣れている。
 だから、平気だと。
「もう平気なんて言わんでええんや。その為に庇護翼がおる」
「そうですよ。でも――」
 麗二は困ったように溜め息をついた。
「いや〜な男が狙ってるって言いたいんでしょ!」
 食事の支度を手伝っていた水羽は、諦めたように近付いてそう続けた。
「そうなんですよね……名前は――」
「堀川響。透が嬉しそうに報告してきたで」
 溜め息混じりで光晴がそう呟くと、
「あら、堀川君また学生してるんですか?」
 どこかのんびりともえぎが口を挟んできた。
 四つの視線が、驚いたように声の主を見詰める。
「もえぎさん、お知り合い?」
「麗二様、言ってませんでしたっけ? 私が学生のころ、同じクラスで彼と机並べてましたわよ。少し口説かれましたもの」
 もえぎの爆弾発言に、麗二が愕然としている。本当に初耳だったらしい。
「そ、その話は……!」
「冗談でちょっかい出してきただけですよ。本気にするはずないじゃないですか」
「――そ、そうです……ね……」
 平然とそう返すもえぎは鍋を持ってテーブルに移動し、中途半端な言葉をやっと返した麗二は、そんな彼女の背を見送っている。
「お〜麗ちゃんが動揺しとる。珍しいのぉ」
「最近ボロボロだよね、麗二」
「せやな。意外に抜け目だらけ」
「……聞こえてますよ、お二人さん」
 不気味な笑顔を光晴たちに向け、麗二は気を取り直すように大きく息を吸う。そして、不気味な笑顔を見事に消し去ってから神無を見た。
「ひとまず神無さん、今度時間がある時にでも採血しましょうか」
 突飛な事を口にした保健医に、光晴と水羽は顔を見合わせてから納得したように頷いた。
「まぁ何があるかわからんしな。一応念のために」
「う〜ん。使わないのが一番いいんだけどね」
 頷いている男に視線を向け、神無は小首を傾げた。
「採血……ですか?」
「……あんな、神無ちゃん。鬼に厳密な血液型っちゅうんはないんや。強いて言うなら、皆がそれぞれに別々なんや。似たヤツはおる。けど――」
「似て非なる物なのですよ。例えば兄弟でも、血液の型がとても似ていたとしても、別の鬼からもらった血というのはね、一見適合しているかのように見え、でも本当は適合しない」
「せや。色んな弊害が出る。気が狂ったり、体のどこかが変調をきたしたり――突然、死ぬヤツもおった」
 光晴の言葉に、神無は無言のまま聞き入っている。
 鬼頭の花嫁
 生きている事が奇跡のような、そんな少女。
「神無、鬼に印を刻まれた女もね、普通じゃないんだ。鬼の子が産めるようになった女も、もう普通の人間じゃない。大怪我したとき輸血される血が自分の物以外だったら、無事ではいられないんだよ」
「だから庇護翼が付く。何者からも大切な花嫁を守るために」
 水羽の言葉に麗二がそう続けた。
 神無はゆっくりと男たちを見詰め、その話の出た意味を理解したように頷いた。
 華鬼に対する敵愾心てきがいしんを隠そうともしない鬼は、つまりそれほど危険という事なのだ。九翼で守ってなお、守りきれない可能性があると言いたいに違いない。
「保健室の奥に扉があるんですが――知ってます?」
 場の空気を和ませるかのように、麗二は少し軽めの口調で神無に問いかけた。
 神無はしばらく考え、首を振る。
「そこに今度招待しますね。手術台もあるんです。鬼は血の気が多いわりに丈夫で、手術台もだいぶホコリが溜まってそうですが」
「……麗ちゃん。それは嬉しそうに言う言葉とちゃう」
「そうですか? みな健康で、保健医としては嬉しい限りです。……まぁ、たまには腕が落ちるので、練習は必要だと思いますが?」
「オレは絶対嫌じゃ!」
 自分を抱きしめ、まっすぐ視線を向けてくる麗二から離れるように光晴が後退りしている。
「でもさ、光晴ってちょっと失敗しても平気そうだよね」
「水羽〜」
 さらりとそんな事を言う水羽からも離れる。どうにも立場が弱いらしい。
「お話弾んでいるところ悪いのですが」
「弾んでへん! ちっとも弾んでへんし!!」
 もえぎの言葉に誰よりも早く反応し、光晴は素早く神無の後ろに隠れた。驚く彼女の肩越しに辺りを見渡している。
「あらそうですか? 楽しそうでしたよ」
 コロコロ笑って、もえぎがテーブルの横に立った。
「お食事にしましょうか。あ、光晴さん」
 思い出したように彼女は神無と光晴を見詰めた。
「今晩、神無さんをお願いしますね?」
「は? お願い?」
 不思議そうに首を傾げる光晴に、もえぎが笑顔を向けている。神無は次に続く言葉を予期して、真っ赤になったままうつむいた。
「神無さん泊めてあげてくださいね?」
「お! 任せとき!!」
 やたら生き生きとした返事が頭上から降ってきた。

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