授業が終わり、神無はカバンを手に校舎を後にした。
 校庭や屋内運動場からは部活に励む生徒たちの声が聞こえてくるが、どこに入る気もない彼女にとってはあまり興味のない事だったし、実際に彼女を勧誘する人間もいなかった。
 あの中の何人かが鬼で、何人かが鬼の花嫁。
 一見普通の人間のようではあるが、そうではないのだ。
 絶えず向けられる視線は、外の世界よりも陰惨な光りを帯びている気がしてならないが、それがすぐに自分に危害を加えてこないのは、庇護翼たちがいてくれるお蔭だと思う。
 神無は一人トボトボと歩きながら、ふと視線をあげて女子寮を見た。
 校舎とは違い、その外装は幾分疲れたかのように色落ちしてはいるが、内装はきっと質素とは言いがたいものだろう。たぶん、居心地が悪いに違いない。
 無遠慮に響いてくる前方の音に耳を傾け、神無はこれから自分が生活していくだろう女子寮から視線を外した。
 職員宿舎の四階の一部は、全壊≠轤オい。
 昼頃に足場が組まれ、現在は小型のクレーンやトラックが何台も横付けされていて、男たちが全壊した四階の一部――つまりは華鬼の部屋を修理している。
 飛び散る火花を見上げ、神無は唇を噛んだ。
 あの部屋であの鬼と一緒にいる事と、女子寮で鬼の花嫁たちと一緒にいる事――どちらが自分にとってよかったのかを考えてしまう。
 どちらも苦痛しかもたらさない物だとわかっているのに。
「あら、神無さん?」
 呼ばれて、神無はハッとして華鬼の部屋だった場所から視線を外した。
「どうされたんです、こんな所で」
 両手に大荷物をぶら下げたもえぎが立っている。どうやら街まで降りて買い物をしてきたらしいのだが、その量は半端ではなく、荷物を持つ手が小刻みに震えていた。
「も、持ちます!!」
 慌てて手を出すと、もえぎが苦笑した。
「大丈夫ですよ、それよりドアを開けていただけます? どうしようかと困ってたんです」
 明るく笑いながら、もえぎが職員宿舎の別棟の小さなドアを見た。確かにこの大量の荷物を持ったままドアを開けるのは大変だ。
 小走りで建物に行き、ドアを開けて振り向くともえぎが優しく瞳を細めた。
「神無さんの服も買ってきましたから、見ていただけます?」
「え……」
「サイズは七号でよかったかしら? 久しぶりに若い子の服売り場に行けて楽しかったわ」
 唖然とする神無を置いて、もえぎがドアをくぐった。
「本当は一緒に買い物に行きたかったんですけど。今度一緒に行きましょうね?」
「あ、あの……!」
「はい」
「そんなの……悪いです……」
 確かに身一つでここに来たのだから、自分には何もない。これは仕方のない事かもしれない。
 しかし、彼女は――
「私は、そんな事してもらう資格は……」
 口ごもる神無に、もえぎが微苦笑した。
「遠慮はいりません。それに、好きでやってるんです」
「……た、高槻先生の……求愛の――……」
 続く言葉が見付からなくて、神無はただまっすぐもえぎを見詰める。どんな理由があるにせよ、それが自分の意思でなかったにせよ、幸せそうだった彼らの間に入ってしまったことに違いないのだ。
 優しくされる資格はない。
 疎まれる事には慣れている。
 もう慣れ切ってしまっていたから、だから無理はして欲しくなかった。
 もえぎは両手の荷物を廊下へ置いた。中を確認して二袋だけ水羽の部屋の前に置き、そしておもむろにメジャーを手にする。
 彼女は神無を建物に導いてからドアを閉め、
「ちょっと失礼します」
 と断ってから神無の脇に腕を差し込んでメジャーを回した。
「求愛の件は、麗二様の判断です。それを咎める気はありませんし――逆に何もせずにあなたを見捨てたら、そっちのほうが問題です」
「……あの……?」
 メジャーを二回神無の胸に回して、もえぎはにっこり笑った。
「でも、珍しい物を見られましたので――私としては、よほどあなたを守りたいのだとホッとしました」
 何をさして珍しい物≠ニ表現したのかには触れず、もえぎはメジャーをしまいながら言葉を続けた。
「サイズはいいようです」
「……?」
「下着。可愛いのがいっぱいあって、目移りして困っちゃいました」
 コロコロ笑う彼女は、紙袋を指差している。本当に何から何まで買ってきてくれたらしく、神無は真っ赤になってうろたえた。
「洋服ダンスも可愛いのがあって、無理を言って今日配達にしてもらいました。運びきれなかった服も一緒に届きます」
「で、でも、部屋がまだ……!」
 女子寮には据え付けの洋服ダンスがあるかもしれない。服は有り難いが、タンスは無駄になる可能性がある。
「大丈夫です、話はつけてありますから」
 邪気なく彼女は微笑んでいる。
「一応、それぞれのお部屋に合わせて洋服ダンスと服、パジャマや――下着なんかも、トータルで選んできました」
 何かがひどく引っかかりながら、神無はもえぎを凝視した。
 それぞれのお部屋、ともえぎは言った。
 何かが違う。
 割り当てられる部屋は一人部屋であれ相部屋であれ、普通は一室だろう。女子寮は確かに広いが、一人が何部屋も占拠できるほどではないはずだ。
 鬼頭の花嫁だから特別待遇というのも違う気がする。
「いずれ四階の修理も終わったら、もう一つタンスを選んできますね。鬼頭の趣味はよくわかりませんから、私の好みで可愛い感じの――」
「ま、待ってください!」
 珍しく大声をあげた神無に驚き、もえぎが目を見張った。
「そ、その、タンスを運ぶ部屋って……」
「ですから、三翼のお部屋。鬼頭と三翼の花嫁は、鬼と一緒に生活できるよう別棟の一部が割り当てられてるんですが、四階があんなでしょ? 求愛されてる事ですし、ここは三翼のお部屋に順番にお泊りするのがいいかと言う案で」
 誰の案だかすら問い詰める事を忘れて、神無は楽しそうに未来予想図を語る頼もしい女性を茫然と見詰めた。
「基本的に鬼は花嫁の嫌がる事はしませんから――鬼頭はどうも違うようですが、三翼は大丈夫です。意志をしっかり持ちましょうね、神無さん」
 返す言葉もなく立ちすくむ神無に、もえぎはガッツポーズで頷いた。

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