華鬼の父親――忠尚を、神無はやはり観察するように車窓から見上げた。
 声にドスが利いてはいるが、それは華鬼のような圧倒的なものではなく、まるでとって付けたかのような違和感がある。
「聞こえないのか?」
 忠尚の問いかけに、神無は慌てて車のドアを開けた。
 とたんに視界を覆いつくす光りに、神無は目を閉じる。薄暗い車内とは違い、そこは眩暈を起こしそうなぐらいの日差しが降り注いでいた。
「……噂通りの醜女しこめか……」
 ボソリと忠尚がそう呟いた。ようやく開いた神無の目に映った彼の表情は、とても友好的なものとは言いがたく拒絶の色が強くにじみ出ている。
「渡瀬」
 興味をそがれたように、彼は運転席から出てきた男に声をかけた。
「あれに早く次を見つけるよう言っておけ」
「――はい」
 忠尚はそう言い残すと踵を返した。
 あれ、とは華鬼の事。
 次を見つけるというのは――次の花嫁を探せという事。
 そして醜女とは、すなわち。
「失礼な男ねぇ、これなら普通でしょ」
 茫然と去っていく男の背を見送っていた神無の耳に、呆れたような女の声が届く。
「渡瀬、鬼頭に余計なこと言うんじゃないよ」
「しかし、伊織様……」
「お黙り。やっと迎えた花嫁じゃないのさ。そう簡単に次を選ぶもんじゃないよ」
 呆れたような女の声が、そう語る。
「それで、鬼頭の花嫁――名前、なんての?」
 随分と横柄な口調で問いかけられ、神無は声の主を探して視線を彷徨わせる。
 そして、ゆったりと歩いてくる女に視線を止めた。彼女は短く切りそろえられた漆黒の髪を風に乗せ、白い布の塊を胸に抱いて微笑んでいる。
 美しい女だ。
 まるで彼女が鬼そのもののように、真紅の唇を歪めるようにして笑う。
「あんたの名前」
 思わず見惚れた神無に、重ねるようにして女が問いかける。そう若くないだろう女だが、匂い立つような色香を纏っている。
「朝霧……神無です」
「そ。私は伊織って呼んで頂戴。おいで、部屋に案内してあげる」
 伊織はそう言い、一端止めた足を再びゆったりと運び始める。
「伊織様……!」
「なにさ、文句あるのかい。あんた早く車片付けなよ。門の前に停めておかれちゃ目障りよ」
 妖艶に微笑んで、女は渡瀬を軽く睨んでから神無に顔を向ける。
「ほらおいでよ」
 独特の雰囲気を持つ女は、小走りについてきた神無を見て満足そうに頷いた。
「本当、普通の子なのに。醜女だなんて失礼ねぇ」
 斜め後ろについた神無をちらりと見やり、女は小さく呟く。その時、彼女の腕に抱かれていた物が、もぞもぞと動いた。
「あら、起きちゃった」
 驚いたような顔は、すぐに滲むような柔らかい笑顔に変わる。
 それは、神無が一度として目の当たりにすることのなかった、慈愛に満ちた母親の笑顔だった。
 神無は伊織の視線の先を見て、目を見張っていた。
 真っ白な布に包まれていたのはまだ生まれて間もないだろう赤ん坊だった。何処かむずがるように、細く目を開けて小さく身じろいでいる。
「赤ちゃん……」
「可愛いだろ。鬼頭とは腹違いの兄弟になるんだよ」
 伊織はどこか誇らしげに隣に並んだ神無に笑いかける。神無は女の顔と赤ん坊の顔を交互に見て、そして華鬼とその父親を思い出す。
 なにか――複雑な気分だった。
 鬼は長い生涯の中で何人もの花嫁を迎え入れはするが、子自体は生まれにくいらしい。それゆえ母親の違う兄弟が何人いても別段驚くほどの事でもないのだろうが、まだこの世界に馴染むことのできない神無には素直に受け入れがたいものがある。
「華鬼の……弟?」
「そうだよ。ただし、鬼頭の兄弟はこの子だけ。忠尚様はどうにも花嫁との相性が悪くてね」
 伊織は門をくぐりながら言葉を続けた。
「やっとできた子供が鬼頭。分不相応な子供ができちまったから、あの方も大変さ」
 苦笑する女の顔を、神無は不思議そうな顔で見詰めた。
 分不相応――その表現は、どこか皮肉っぽく女の口から漏れた言葉だった。
 その意味を説明するように、伊織は独特の口調で言葉を続ける。
「まさか鬼の中でも最下層の男から鬼頭が生まれるとは誰も思っちゃいなかったさ。この屋敷もね、つまるところ鬼頭の名を盾に忠尚様が建てさせたもんでねぇ」
 門をくぐった先にあるその建物は、家と呼ぶにはあまりに大きすぎる日本家屋である。開けるのを躊躇うような引き戸の前には、女たちが無言で立っていた。
「鬼頭様々ってわけ。あんたを迎えに行った鬼はね、全員忠尚様の庇護翼。鬼頭の名を出して服従させた男たち。あそこにいる女は、次期鬼頭を生み出すために躍起になって忠尚様が集めた花嫁ってわけさ」
「次期……」
「トンビが鷹を、そう何度も生める訳ないのにねぇ。鬼頭があんな調子だから、忠尚様も焦っちまう。やっとできた子供はほら、父親そっくりの能無しだったから」
 そうは言うものの、伊織は幸せそうに笑っている。生まれたばかりの息子が本当に愛しいのだと知れるその表情と動作に神無もつられるように微笑した。
「伊織姉さん」
 突然かけられた声に、伊織が顔をあげた。
「鬼頭の花嫁と話がしたいの。はずしてくれない?」
 引き戸の前に立つ女の一人が、穏やかとは言いがたい真剣な顔で彼女に声をかけた。
 他の女たちも同様に硬い表情をしている。
「なんだい、お前たち」
 クスリと伊織が笑う。
「大人気ないねぇ、鬼頭の花嫁をいびる気かい」
「違うわよ!」
 慌てて否定する別の女の顔は、真っ赤になっている。
「話を――」
「どうせ大したもんでもないだろうに。それとも、私がいると話しにくい内容かい?」
 ぐっと女たちが押し黙る。それを見て、してやったりという表情で伊織が笑った。
「鬼頭が自分で選んだんだよ。文句があるなら鬼頭にお言い」
「い、伊織姉さんはいいわよ!」
 まだ若いと知れる女が、真っ赤になったまま伊織を見詰めた。
「赤ちゃんできて、一人で幸せになって!」
「おや、子供が欲しいなら忠尚様におねだりしてご覧よ。鬼頭に頼むよりよほど色よい返事がくるよ」
「い――伊織姉さん、酷い!」
「ちょっと前まで姉さんが一番鬼頭にご執心だったくせに!!」
「赤ちゃんできたとたん達観して!」
「姉さんズルイ!!」
「そんな事もあったかねぇ。子供は可愛いよ、悔しかったら忠尚様ンとこ行きな」
 かわるがわる口を挟む女たちの言葉を聞いて、どこか下品に伊織が笑っている。それにつられてギスギスしていた空気が少しだけ和んでいるようだった。
 神無は伊織を見る。
 華鬼の腹違いの弟を生んだ鬼の花嫁。見た目は抜きんでて美しいのに、語り口とその内容が、かなり浮いているように感じる女性。
 彼女は不満そうに口をつぐむ女たちを見た。
「いじめるんじゃないよ、大切な花嫁なんだから」
 念を押すように伊織が告げると、女たちは互いの顔を見合わせてしぶしぶ頷いた。
「他の花嫁にも言っときな。鬼頭の生家が花嫁いびりなんざ醜聞もいいとこだ。わかったね?」
 その言葉にも、女たちが頷く。
 伊織は満足げに微笑んで、玄関を開けるように指示した。女たちの反感をあっさりと封じてしまった伊織は神無にスリッパをすすめて、そして長く広い板張りの廊下を歩き始めた。
「他にも……花嫁、いるんですか?」
「忠尚様の? いるよ。鬼頭を迎えた女、玄関先にいた女、あとは何処で油売ってるんだか知らないけど――そうだね。今は何人なのかねぇ」
 ひどく適当な答えに、神無は唖然とした。
 鬼は情が深いと聞いていた。
 強ければ強いほど情も深く――花嫁を守るのだと。
 これほど花嫁を迎え入れる鬼は、そうそうお目にかかれないのではないのか。
「子供を生めなくなった花嫁は別荘あたえられて出て行ってるから、忠尚様も正確には把握してないだろうさ。鬼頭の名って言うのはね、良くも悪くも影響力がある。一生を狂わせるぐらいのね」
 どこまで続くのかもわからない廊下を、伊織は緩やかな歩調で進んだ。左右に並ぶ旅館に来たのかと目を疑うほどの量のふすまは、しかし旅館の物とは明らかに違う。
 普通なら対になる柄を組み合わせて使用されるはずのそれらは、一つとして同じ模様ではなかった。
 襖紙は本鳥の子、図柄は墨一色、それは一連の自然を切り取ったかのような緻密な物だった。そして欄間らんまも細やかな装飾がされており、どうやら襖の図柄と続いているらしい。
 華鬼の名を出し作らせたのは、この世に二つと存在しない贅沢なつくりの屋敷である。
 その部屋の一つ一つに、名を刻んだ札が掛けてある。
 個人の部屋らしい。
「忠尚様は」
 独り言のように伊織が呟いた。
「鬼頭に過剰な期待を寄せてた。なのに花嫁を選ぶ気配もなく、おまけに16年間あんたを放っておいていきなり祝儀――それだけならねぇ、忠尚様は笑って済ませたろうけど」
 名のない札の前に立ち、伊織はちらりと神無を見た。どうやら言葉にするのを躊躇う内容らしい。
 神無は不思議そうに小首を傾げる。
 今更何を言われても、さして驚くほどではない。
 動じることなく聞いていた神無に溜め息をついて、伊織は襖を開けた。
「部屋が全壊したとかで――鬼頭、女子寮に泊まった話がここまで流れてきたんだよ。いや、流れたというより、どうにかしてくれって学園から泣きつかれた。とっかえひっかえ遊んでたのは忠尚様も知ってたけど、さすがに今回はね……やっと花嫁迎えたと思った直後の乱痴気騒ぎじゃ、腹に据えかねるわけさ」
 申し訳なさそうに教えてくれたのは、華鬼がここに呼ばれた理由――そして、自分が巻き込まれて連行された意味。
 つまり、華鬼がどんな花嫁を迎え入れたのかを、忠尚は確認したかったのだ。
 そして出した結論が、新しい花嫁を探せというあの言葉。
 この女は駄目だという、彼の声なき声の訴え。
「忠尚様、悪い方じゃないんだよ。ただちょっと盲目なところがあって」
「……はい」
 こくりと頷くと、伊織は虚をつかれたように言葉を失った。
 悪い人なら散々見てきた。酷い人間もよく知っている。彼に悪意がない分、その言葉は素直に神無の心に刺さる。
 神無の存在その物を否定するかのような明確な言葉。
「……あんた、学校でも大変だろ」
 ふと瞳を細めて、美しい女は神無を部屋に導く。
 引き戸の奥には土間のような空間があり、伊織はそこでスリッパを脱ぐとその奥にある襖を開けた。何処となく旅館の雰囲気を漂わせるその向こうには、すっかり変色した畳を敷き詰めた部屋があった。そこは、家具も雑貨も何一つない、あまりに寂しい空間だった。
「ここにいる間はゆっくりしておいで。忠尚様の言葉、真に受けるんじゃないよ。あんたを選んだのは鬼頭で、鬼ヶ里に呼んだのも鬼頭だ。一度ゆっくり話せる時間がいるね?」
「――華鬼と……?」
 思わず問いかけると、伊織が笑った。
 彼女はそのまま部屋から出て、襖に手を掛けた。
「ここ、忠尚様の命令で家具なんかが全部捨てられてるけどね、鬼頭の部屋だよ」
「……え……?」
「夕飯までは自由にしてていいよ。色々歩き回ってごらん」
「え……あ……」
「じゃあね」
 ぴしゃりと閉められた襖を神無は茫然と見詰めた。
 そのすぐ後に物音がして廊下に面した襖が閉められた音が続き、神無はようやく正気に戻ってもう一度部屋に視線を戻した。
「華鬼の……部屋?」
 花嫁なのだから案内されるのは当然なのかもしれない。
 表面上は、華鬼がいまだに女遊びをやめていないという事になっているだけだとしたら、命の危険に晒されている神無の立場はどう説明すれば伝わるのだろう。
 ふりだしに戻ったような気分に囚われて、少女は青ざめたまま、ただ部屋を眺めていた。

Back  Top  Next