破壊しかねない勢いで開かれたドアに、四対の視線が瞬時に向けられる。
 白い空間には穏やかな風が吹き込んでいたが、各々の表情は決して穏やかとは言いがたかった。
「授業中ですよ、水羽さん」
 困ったようにその部屋の主がドアを開けた少年に声をかける。
「神無は!?」
 水羽は乱暴にドアを閉め、室内を見渡した。
「教室出て行ったあとすぐ追おうとしたんだけど! あいつら邪魔ばっかしくさって!!」
「み、水羽さん言葉乱れてます」
「クラスメイト全力で殴らなかっただけ理性的だって言ってよ! 頭にくる!!」
 そう言った彼の視線は、すぐに室内にいる双子に向いた。
「なんで風太と雷太がここにいるの?」
 押し殺したように低い声でそう言われた瞬間、少年たちは椅子に腰掛けたまま背筋を伸ばした。その顔が明らかにこわばっている。
「――神無、何処にもいないんだけど?」
 次の言葉で、双子は怯えた表情になり、寄り添ってお互いの体を庇うような仕草をとる。
「……まさか、昨日の今日でまた失態繰り返したなんて、そんなこと言わないでよ?」
 本来なら体をはって主の花嫁を守るはずの庇護翼が、華鬼に恐れをなして三翼を呼びに行った――それが、昨日の彼らの失態である。
 昨日はそれで運良く窮地を逃れたが、麗二と光晴がもし間に合わなかったら、神無の命に関わったかもしれない。
 あの場合、風太と雷太は神無から離れるべきではなかった。
 常に危険と隣り合わせにいる花嫁を守らなければならない庇護翼に、選択の余地などないのだ。
 庇護翼は花嫁を守るためにいるのだから。
「風太、雷太」
「水羽、ストップ」
 窓辺に佇んでいた光晴が、真っ青になる双子を見かねて口を挟んできた。
「こんなことで揉めんなや。どうも状況がおかしいんじゃ。神無ちゃんを連れて行ったの……」
「黒いスーツに紫のシャツ、黒ネクタイの男なんだ!!」
 光晴の言葉に反応するように、慌てて風太が声を発する。
「連れて行ったって……それって、華鬼の親父さんの庇護翼……?」
 水羽が目を見張ると、双子は何度も頷いた。
「オレたち、向かいの校舎から廊下にいる朝霧さん見つけて、そしたら」
「中庭に男がいて、朝霧さんそれ見て急に走り出したんだよ!」
 矢継ぎ早の双子の言葉に、水羽が無言のまま眉を寄せる。
「おかしいんですよね。婚礼の時、華鬼の生家には連絡が通らなかったとかで誰も来ていないはずなんですが」
 小首を傾げて麗二が呟く。
「けど、中庭にいるの黒スーツの男でさ、どうも朝霧さん、知り合いみたいで」
「中庭に出た瞬間、ナイフ投げられてた」
「はぁ!?」
 意味がわからず、水羽が双子を見た。
「ナイフって、親父さんの庇護翼が?」
「別人やろ。ほれ、ごっつう趣味悪いで」
 そう言って光晴が差し出したナイフは、両刃がついている形状のダガーと呼ばれるものだ。日常では使いにくく、あまり一般的とは言いにくいそのナイフは、切ることよりも刺すことを目的に作られているものでもある。
 その刃は変色していた。
「毒を仕込まれてます」
 麗二が小さくそう言った。
「神無を狙ったのは別人?」
 確認するように水羽が双子に問いかけると、彼らは同時に頷いた。
「うん、場所全然違ったし――それに、そいつら朝霧さん守ったんだ」
「ら?」
 雷太の言葉に水羽は小首を傾げている。すると、今度は風太が口を開いた。
「8人いたんだよ、そこに。中庭にいた男合わせて――そいつ、うしって呼ばれてたんだけど」
「うしなんて名前のヤツおったか?」
 唸りながら光晴がナイフに視線を落とす。
 彼はいったん鬼ヶ里を出るとかなり長期間音信不通となり、他の者よりも鬼ヶ里の情報には疎いのである。
 己の情報が当てにならない彼は、どう判断していいものかわからず困惑したような表情をしていた。
「聞いた事ないんですけどねぇ……」
 しかし、長く鬼ヶ里にいる麗二さえ耳にした事のない名で、彼もまた判断に困って柳眉を寄せた。
「でも、うしって言ってたんだよ、朝霧さん!!」
 見事にハモりながら、双子が必死で叫んでいる。
「ボクも聞いた事ないな……? だいたい、神無が華鬼の実家の鬼なんて知ってるわけないでしょ。婚礼に間に合ったのって、たまたまこっちに来てた渡瀬くらいで……」
「渡瀬? ああ、斎主務めた男か」
 壮年の鬼の姿を思い浮かべ、光晴が再び小さく唸る。華鬼が式場につく前に婚礼を始めたとんでもない男が渡瀬という名の鬼だ。
 あまりいい印象は抱かない。
「斎主……?」
 光晴の言葉を反芻した麗二が目を丸くし、それから小刻みに肩を揺らした。
「それで……うしさん」
 顔をそむけるようにして肩を揺らしている麗二の姿に気付き、光晴と水羽は顔を見合わせた。
「何がおかしいんや?」
「さぁ?」
 必死で笑いをこらえている麗二は、
「斎主はね、あまり一般的ではないのですがいわいのうし≠ニも言うんですよ」
 そう言って、光晴と水羽を見た。
 きょとんとした二人は、すぐさま同じように難しい顔を作って唸り声をあげた。
「――いわいの、うし?」
「うしさんやな……」
「神無さんらしいですね」
 笑いを引っ込め、麗二は小さく頷いた。
「でもそれ名前じゃないじゃん」
 脱力したように呟く水羽に、麗二が表情を緩めた。
「渡瀬より覚えやすいじゃないですか。神無さんはうしさん≠ノ会いに行ったんですか?」
 麗二の問いかけに、双子が頷いている。
「それで、そのままさらわれた!」
「……黙って見てたの?」
「だ、だって水羽! むこうは8人いたんだよ! あそこでやり合ってたら、ナイフ投げた奴の思う壺だろ!!」
「……」
「皆、朝霧さん守るために動いてた。だったら、そのまま守ってもらったほうが安全じゃないの?」
「毒仕込むようなエゲツナイ真似するんや、その判断は間違いとも言えんやろ」
 双子を庇うように淡々と告げる光晴の視線が、慌しい足音を響かせている廊下に向いた。複数の足音が保健室の前で止まるやいなや、先刻の水羽と同様に乱暴にドアが開けられた。
「麗二……!!」
 息を切らせた拓海が口をパクパク開けている。すぐ後ろについていた一樹が、麗二を見つけると大きく息を吸い込んで口を開いた。
「鬼頭が連れて行かれた!!」
 室内にいた男たちが、唖然としてドアを見詰める。
「花嫁と一緒に生家に……!!」
「一樹!」
 声を絞り出し、ようやくその事を伝えた一樹の名を水羽が鋭く呼ぶ。
「それ、どういう事だよ!?」
「わかりません! ただ何かを言われて、それで……!」
「自分から? あの華鬼が?」
 唸るようなその言葉に、光晴が水羽を見た。
「なんや?」
「絶対おかしい。華鬼、実家嫌ってるはずだし。――親父さん、どんな手使ったんだろ」
「……そこにいたの、黒いスーツの男でした?」
 麗二がドアに立つ二人に声をかけると、二人は同時に頷いた。
「12人」
 拓海が短く答えると、
「神無さんの方を合わせれば20人ですか」
 と、麗二が呻いた。
「親父さん、庇護翼全員出してきたな……力ずくでも連れてく気だったんだ」
 それだけの人数を割けば、いくら華鬼でも従わざるを得ない。彼の父は、確実に彼を自分の元に連れ戻すための人数を準備したのだ。
「庇護翼20人!?」
 光晴の声が裏返っている。
「なんやその人数!!」
 通常、庇護翼は鬼頭が三翼をつけ、それが最多となる。これは三老と呼ばれる鬼が生まれたばかりの鬼の力量を計り、そしてその地位を決める事によって生まれる古来からの慣わしでもあった。
 それは彼らにとって、変わる事のない常識=B
 その中で、華鬼の父親は異例の存在ともいえる。
「そんなんメチャクチャやろ!?」
「……あそこ、特殊な家なんだ。これってマズイよね」
 水羽の言葉に麗二が頷いた。
「いくら三翼でも、鬼頭の生家に無断で立ち入る事はできませんから」
 許可がおりれば別だろうが、そう簡単にはいかないだろう。華鬼が了解するはずはないし、同じように、華鬼の父親が許すはずもない。
 神無が向かった先は、彼女を完全に外界から切り離してしまう危険のある場所だった。
「せやかて、ここでウダウダ悩むんは性に合わん!」
 光晴は制服のポケットから携帯をつかみ出した。
 短い操作のあとで耳に押し当て、やや間をあけて口を開く。
「トキちゃんお久!! 悪いんやけど、大至急車一台手配してくれん? 遠出のキャンプ予定! 食料と水、しこたま積んどいて!!」
 用件だけをまくしたて、そのまま電源を切って携帯をたたんだ。
 一連の行動を男たちが固唾を呑んで見守っていると、光晴は携帯をポケットにしまいながら不敵に笑ってみせる。
 そして、まっすぐに麗二と水羽を見て口を開いた。
「いざとなったら車ごと鬼頭の生家に突っ込む。異存あるか?」
「なし」
「名案です」
 少年は片手をあげ、白衣の男は深く頷いた。

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