私立鬼ヶ里高等学校は地元では名門で通っている。創立百周年といわれると、確かにその響きだけで名門と誤解されがちだ。
 学園は山ひとつをそのまま所有している。広大な土地には十年前に金に糸目をつけず建て替えられた立派な校舎がある。準備室やトイレにも金を惜しむことはしなかったようで、全室@竰g房完備。床暖房まで備えている。
 校舎の前方には山を切り崩してできた広いグラウンドがある。テニスコートが四面、サッカー場が二つ、野球場が一つ、ラグビー場、ハンドボールに長距離ランナー用の整備されたコースや、その他もろもろの運動施設がある。温水プールは五十mが十コース――無駄に金をかけたといってもいいだろう。バスケ部や剣道部、卓球部などが使用する屋内運動場も、柔道部や空手部の使う闘技場も、これが高校生の通う学校の設備かと呆れるほどだ。
 鬼ヶ里高校は男女共学の全寮制の高校である。
 校舎を挟んで東が男子寮、西が女子寮。男女共学で全寮制と聞くと、だいたいの人間は眉をしかめる。いくら校舎を挟んでいるとはいえ、同じ敷地内に同じ年頃の好奇心の強い子供たちが集まるのだ。決して間違いがないとは言い切れないだろう。
 だが、意外にもそういったトラブルは少ない。
 それは校舎の北に監視するように教員宿舎があるためであり、徹底した寮長の監視があるからでもある。
 鬼ヶ里の各寮には四人の寮長がいる。
 各学年をまとめる三人の寮長と、全体を統べる総寮長――それは男女の寮を完全に統率する8人の要人である。
 恐ろしく頭の切れる八人の寮長のおかげで、鬼ヶ里寮はさほど教師の手を煩わせることなく円滑に運営されている。
 そして、鬼ヶ里にはもうひとつ珍しい体制がある。
「なんかさ、執行部の会長! 生徒会長殴ったらしいよ?」
 広い屋内運動場には、整然と並んだ生徒たちの後ろ姿がある。壇上には、まっすぐに背を伸ばした初老の男が一人。
 初老の男は、生徒たちを見詰めながら長かった夏休みの成果と、これから始まる新学期の話を延々と続けている。
「執行部って――士都麻先輩が木籐先輩を!?」
 校長の話に飽きた女生徒が、ぼそぼそと話し始めた。あわや乱闘かというその光景は、生徒たちの話題をさらっていた。
「もぉあの二人、マジ仲悪くない?」
 少女が声のトーンを落とす。
 学園には、生徒会と執行部の二つが存在する。
 生徒会会長は木籐華鬼。女癖が悪く、いつも人を小馬鹿にしたようなその物言いがすっかり板についた辛辣な男。教師うけは恐ろしく悪いが、生徒には意外と人気があり、気付くと生徒会長なんていう立場に祭り上げられていた。
 黙っていれば端整な顔立ちから注目をうける容姿ではあるが、最近では突飛とっぴな言動や行動が生徒たちの注目を集めているような、そんなタイプだ。
 生徒会の主な活動は、学園の統治。自発的かつ未然にさまざまなトラブルを消化していくための機関であり、学園運営にかかる問題ごとも、教師に行く前に必ずここをとおる。寮長の指名も生徒会の大切な仕事のひとつで、に入りさいをうがつのが彼らの仕事。
 生徒会のボランティア精神を彷彿とさせるその活動がなければ、鬼ヶ里高校の教師一同は一ヶ月で過労死するだろうといわれる。無論、華鬼は何もしていない。トップがまったくやる気がなくとも、その下につく人材が優秀であれば事なきを得るのだといういい例だ。
 もっとも、その優秀な人材が華鬼を慕って集まってきたのだから、世の中おかしなもので。
 現在その生徒会に唯一楯突いているのが、本来なら足並みをそろえなければならないとされる執行部である。
 執行部の会長は士都麻光晴。長身のすらりとした容姿の彼は、細いフレームの丸メガネを愛用している。どこに行っても頭ひとつ高いゆえによく目立ち、おかしな言葉使いで気付くと常に人の中心にいる。華鬼同様、端整な面差しだが、人当たりのよさと人を気遣うことにけたその性格で、学園でもダントツ支持率が高い。
 はじめは光晴を生徒会長に推す声が多かった。
 だが、執行部は球技大会だの学園祭だの文化祭、修学旅行などの娯楽全般を大いに盛り上げるためにのみ心血を注ぐ機関だ。つまりお祭り好きの人間が中心となって動いている。
 生徒会長より執行部会長のほうが彼の本領を発揮できるとふんで、生徒たちは彼を執行部会長に、そして空席だった生徒会長の座に華鬼をすえた。
 かたや学園運営などのまつりごと≠つかさどり、かたやただ本当のお祭り″Dき集団――
 華鬼と光晴がそれぞれのトップに立つまでは、この相反する機関も仲良くやっていたらしい。
 今は昔の話ではあるが。
「なんか、出合い頭にガツッとね? 木籐先輩の肩に手乗っけて、そのまま思いっきり殴ったんだよ」
「痛そぉ」
 女生徒が小さく悲鳴をあげる。
『では、生徒会長より一言』
 少女たちの声を掻き消すかのように、澄んだ声が響く。壇上には校長の姿が消えている。
 そこにいるのは、目を見張るほど玲瓏とした少女。豊かな緑の黒髪が艶やかで美しく、大きな瞳には長いまつげが影を落とし、高い鼻梁と小さいがふっくらとした薔薇色の唇は、絶妙なバランスでその美を際立たせている。制服の上からでもはっきりとわかるその見事な肉体は、高校生というには成熟しすぎている。だが、彼女の持つ独特の高潔なイメージが、決して彼女を下卑た妄想へ落とすことはなかった。
 生徒会副会長の須澤梓すざわあずさである。
 副会長の声につられて、少女たちは壇上を見た。
 舞台のそでから、男が歩いてくる。どこか気だるげな足取り。全生徒の前であるというのに、あまりに自然体すぎる。
 梓がわずかに苦笑した。
 女を虜にしてやまない男は、己の持つ魅力にも興味がないらしい。長い手足も均整のとれた肉体も、鋭く人の心臓を鷲づかみする悪魔のような魅惑的な眼差しも、本当に何一つ興味がないのだ。
 華鬼がマイクをぶんどった。
『よくわざわざここに戻ってきたな。朗報をひとつやろう』
 くっと喉元で笑って、華鬼は生徒たちをめつけた。
『花嫁が届いた』
 あまりにも不遜に、生徒会長はマイクを手に嘲笑している。
「あ、あのバカ――」
 ぎょっと執行部会長――士都麻光晴が顔色を変えた。
『今夜、オレの結婚式がある』
 始業式の壇上で、木籐華鬼は最大級の爆弾をいともあっさり投下させた。

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