喉の奥で言葉が一瞬だけ途切れた。
 華鬼の瞳が冷酷に睨み据える。神無はそれをまっすぐ受け止めながら、ようやくの思いで言葉を続けた。
「私は、あなたの子供を産めません」
 皮肉な話だと、心の中だけで囁く。
 こんな出来損ないの女を花嫁≠ノ選んだのは、いったい何の間違いなのだろう。
 まるで鋭利な刃物のような危険で残忍なこの男を求める女は多いはずなのに、何故そんな男が自分などを選んだのだろう。
「産めない?」
 地の底から響くような低い声で、華鬼はゆっくり問いかける。確認するような口調だ。
 手首を掴んでいた華鬼の手に、力がこもる。
「せ――」
 神無は人より、発育が遅かった。
 同じ年頃の少女たちは、皆一概に女性としての成長を始め、体つきが自然と丸みを帯びていった。熟れきらない果実ではあるが、みずみずしくハリのある彼女たちのその体は、神無と比べるとあまりに違いすぎていた。
 いつも部屋に閉じこもり、外界への接触を極力避けてきた少女。
 身長は標準より少し低めではあるが人並みと言えた。しかし、その体重は成長を止めたかのように増えることがなかった。
 女たちから見れば、さぞ貧相に映っただろう。
 痩せすぎた体はうらやむに値しないほどの細さだった。
 そしてその成長の遅れは、外見だけではなかった。
 鬼の花嫁≠ナある少女。
 華鬼にとっては子供を生ませるための、ただの道具=B
「生理がない。だから、あなたの子は産めません」
 女としての成長をやめた体は、花嫁としての価値すらない。
「……道具としての役目も果たせないか」
 苛立ちが、瞬時に殺意へとかわる。
 肌を刺すほどの怒りが神無に向かっている。
 こうなることは、わかっていた。
 もともといらないのなら、利用できない物をそばに置く男ではない。
 なぶり殺しにしないだけ少しは優しいのかもしれない。
 冷たい手が、神無の首に触れる。
 ゆっくりと力が入っていく。
 神無は自分を殺そうとする男を、ただじっと見詰めていた。
 黄金に輝く美しい瞳。殺意と怒りしか読み取れなかったその瞳の奥に、何か別の感情が見え隠れする。
 神無はかすむ目を凝らした。
 それは、悲しみのような動揺のような、不思議な感情。
 おおよそこの鬼には似つかわしくない、苦悩の色。
「なに……?」
 解放されていた手をそっと自分の首を絞める腕に伸ばした。
「何がそんなに、苦しいの?」
 ピクリと華鬼の体が揺れる。
 木籐と呼ばれ、鬼の頂点に立つ男。彼は誰よりも恵まれた環境で、誰よりも祝福されて生きてきていたのではないのか。
「華鬼――」
 冷酷なはずの鬼の表情が、ほんの一瞬苦痛に歪み、すぐに殺意へと塗りつぶされた。
「私……」
 死ねば苦痛はここで終わる。そう、朝霧神無という少女の苦痛は、ここで終わる。
 だがこの目の前の男の苦痛はさらに加速するだろう。
 そう感じた。
 もし、それを止める術があるのだとしたら――
「……く……」
 名を呼べと言われた。
 必ず駆けつけると、守ってくれると。
 三人の鬼から当たり前のようにかけられた優しい言葉。今まで誰にももらったことのないその言葉にすがるには、まだ少し勇気が足りない。
 それでも、本当に望むままに手を差し伸べてくれるなら、守って欲しい。
 この、殺意に塗り固められた美しい鬼を。
 残忍で悲しい鬼を。
「三翼……!」
 押しつぶされた声で神無がようやくその名を呼んだ刹那、頭上を何かが横切り、気道を圧迫していた冷たい指が離れていった。
 急激に流れ込んだ酸素に驚いて、神無が大きく咳き込む。
「オレの首のほうがもげるかと思ったわ、神無ちゃん呼ぶの遅すぎじゃ」
 少し呆れたような声が神無の耳に飛び込む。
 なんとか声のするほうに顔を向けると、彼女の目にぼんやりと男の影が映った。
 苦笑しながら、光晴がそっと神無を抱き起こす。大きな手が優しく背中をさすった。
「あと一分呼ぶの遅れたら、絶対光晴飛び出してたね。押さえるの大変だった〜」
 神無の前にいるのは水羽である。彼は華鬼と向かい合ったまま、溜め息混じりに肩を落とす。
「気配消すのも大変なんですよ」
 と、光晴のさらに後方から、麗二が間仕切りをどけながら言った。
「いやもう、ホンマごめんな? いざって時に呼ばれんと困るから、ちょぉ様子見させてもらった。気ィもんだわ」
 は〜っと光晴が大きく溜め息をつく。
「貴様ら……!」
 声を荒げた華鬼の口元が赤かった。おそらく、水羽が殴ったか蹴ったかしたのだろう。彼は乱暴に口元を拭うと、燃えるような目で睨みつけてきた。
「オレに逆らう気か!?」
「――逆らうも何もないでしょ、華鬼」
 水羽が冷えた声で言う。いつもより幾分低めの声音が、その心の内を語っているかのようだった。
 少年は冷酷な主を見ながら、抑揚なく言葉を続ける。
「ボクたちは、華鬼に何も命令されてない。だから、華鬼の命令には逆らってない。これはボクたちの意志」
「せや。も一つ言わせてもろたら――」
 言葉を切り、光晴は愛情が染み入る優しい目で神無を見た。
「神無ちゃん、ごめんな?」
 小さく囁いて、身をかがめた。
 抱き起こした少女の胸元に――そこに咲く刻印に彼は迷うことなく唇を寄せた。
 かすかな痛みに、神無が体を震わせる。
「あの……?」
「必ず守る。何があっても」
 戸惑う少女に微笑みかけて、光晴は茫然としている華鬼を睨んだ。
「これで、五翼」
「――では私も」
 光晴の行動に納得したように頷いて、麗二がベッドに座り込む神無を抱き上げる。
「全身全霊をかけ、貴女をお守りします」
 彼はそのまま、光晴と同じように呪いのように咲く妖花へと口付けた。
「これで七翼」
 かすかな痛みの後に、やはり同じように麗二が言い放つ。
「ま、当然でしょ」
 水羽もベッドから降り、ツカツカと神無に歩み寄った。
 何が起こっているのかさっぱり理解できない神無は、麗二の腕から解放されて、近づいてくる水羽を不思議そうに見詰めている。
「これね、求愛なんだよ?」
 神無にだけ聞こえる声で、水羽がそう言った。
「え――?」
 水羽の言葉を神無が心の中だけで反芻はんすうしていると、彼はクスリと笑って乱れたままのその細い体を抱きしめる。
 そして再び、かすかな痛み。
「――全部で九翼」
 上げた顔を、水羽はまっすぐ華鬼に向けた。
 皮肉に歪められることの多かった彼の顔は、怒りでこわばっていた。
「これで神無は、華鬼だけの花嫁じゃない。ついた庇護翼も九翼、過去最多だ」
「屈辱は屈辱で返します。さぁ鬼頭=A私たちをないがしろにしたこと、死ぬほど後悔していただきましょうか?」
「お前になんぞ、指一本触れさせん」
 三人の言葉を聞いた瞬間、息苦しいほどの威圧感が室内を満たした。
 華鬼の瞳が鋭くなる。
 それを平然と受けながら、三人の鬼は神無を守るように立っていた。
「求愛……?」
 神無は乱れた着物を慌てて直し、水羽の言葉を繰り返す。
 胸に咲いた花に、小さく灯がともった。

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