=二人目=
大量にある衣装の中から神無はさんざん迷った末に、フリルたっぷりな白いシャツに光沢のある黒いロングスカートというひかえめな一着を選んだ。セットで用意されたほうきと三角帽から推察するに、どうやらそれは魔女の衣装らしい。
キッチンの奥でこそこそ着替えをすませると、甘い香りがただよってきた。
「お、おおおお。かわええなあ」
目深にかぶった帽子のつばをぎゅっと握って会釈すると、光晴が満面に笑みをたたえてカップを差し出してきた。
「ありがとうございます」
もう一度ぺこりと頭を下げ、ほうきを壁に立てかけてからカップを受け取る。ソファーをすすめられて腰かけ、カップを両手に包んで息をついたあと口をつけたところではっとわれに返った。
「あ、あの、……」
華鬼に飲ませたかったのだ。慌てて腰を上げたところで意外な人物が現れた。神無がダイニングキッチンの出入り口を凝視していると、振り返った光晴も驚きに目を見張った。
険しい表情で立っていたのは華鬼である。光晴を一瞥すると、華鬼が眉をひそめ険しい表情がさらにいっそう険しくなった。
華鬼と光晴はもともとそれほど仲がよくない。神無の体にも自然と力がこもる。
コクリとつばを飲み込んだ、そのとき。
光晴が編みカゴを手に取るなり華鬼のもとに駆け寄った。
若草色のマントをバサリと払う。
「ふははは! よく来た、子どもたちよ!」
――どうやらそのセリフは彼なりの決まり文句らしい。嬉々とした光晴とは反対に、華鬼が殺気立った。
「なんの真似だ?」
「トリック・オア・トリート!」
「…………」
すうっと華鬼の目が据わった。が、光晴は意に介さず声を弾ませる。
「トリック・オア・トリート! はい、続けて!」
「…………」
神無はハラハラと二人のやりとりを見守る。
「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!」
「――コーヒーを飲ませなきゃ血祭りにするぞ」
どうやらちょっと付き合う気になったらしい。しかし、言っていることがずいぶんと物騒だ。それに気づいた光晴が「ん?」と、首をひねる。
「なんやフレーズがだいぶ変わってる気が……まあええわ。はい、アメちゃんな」
コーヒーを飲みに来た華鬼に、強引に青いパッケージの小袋を押しつけ部屋に招き入れる。
「あっちに服があるから着替えとき」
もはやなんの行事でなぜ着替えなければならないのかもわからない。強引に進められていく謎のイベントに、華鬼の顔にも困惑の表情が刻まれていた。華鬼は神無をチラ見すると目を瞬き、すぐに部屋の奥へ視線を向ける。
華鬼の横顔が、さらにいっそう困惑していく。
どうするのかと見守っていると、華鬼はハンガーラックの前をウロウロしはじめた。神無は少し考え、華鬼のためにコーヒーを淹れようと立ち上がる。前に光晴が淹れたのを見ている。エスプレッソ用のボタンを押して、抽出されたコーヒーをカップに入れる。それから冷蔵庫からなにかを取り出し――。
「……?」
なにを取り出していただろう。コーヒーメーカーと冷蔵庫の前をウロウロしていると、背後で光晴の声が聞こえてきた。
「あ、水羽? ちょっとキッチンに来んか? ……いや。たいした用事やないんやけどな」
わざわざ電話で次なるターゲットを呼び出している。耳をそばだてつつ冷蔵庫からチョコレートシロップを取り出し、他になにが必要だったかと思案していると、背後に人の気配がした。脇から伸びてきた腕が牛乳とホイップクリームを掴んで引っ込んでいく。弾かれたように振り返った神無は、間近に迫ったカボチャ頭にぎょっとした。三角の両目、滴型の鼻、三日月のようにつり上がった口にはがたがたの歯が不気味に並んでいた。
「……華、鬼……?」
服装はそのままに、華鬼は巨大なジャック・オー・ランタンをかぶっていたのである。カボチャの奥からじっと見おろされて身じろぐと、彼はきびすを返してすたすたと遠ざかっていった。神無も慌ててそのあとを追う。コーヒーメーカーの前で立ち止まった華鬼が振り向きざま神無に手を差し出す。反射的にチョコレートシロップを差し出すと、抽出されたエスプレッソにチョコレートシロップを入れ、適当にかき混ぜて別のカップに牛乳をそそいだ。考えるようにコーヒーメーカーを眺め慎重に操作しているところを見ると、彼もまたこうした機械には慣れていないのだろう。それでも最後には見事なカフェモカを作ってソファーに腰かけた。
神無もいそいそと華鬼の隣に腰かける。二人のあいだには微妙な距離があった。これから水羽がやってきて、光晴がさらに麗二やもえぎを呼べば、もともと全員が座れるほどスペースがない状態なのにさらに座る場所がなくなってしまう。
神無は思案し、そっと華鬼との距離を詰めた。
すると彼が少し離れたのである。
神無は小首をかしげ、華鬼ににじり寄る。また華鬼が少し離れる。
それを何度か繰り返すと華鬼はすっかりソファーの隅に追いやられてしまった。
そんな状態でも華鬼がここから離れようとしないことを不思議に思いながら、神無はカップを両手に持った。小さく息をつき、カフェモカを口につける。
なめらかな泡が舌でとろけ、甘い香りが口いっぱいに広がった。