『押しつけハロウィン』



  =一人目=

 日曜日の午後。
 きれいな秋晴れに洗濯物はからりと乾き、掃除もはかどる。体を動かし少し汗ばんだところで時計を見るとあと十分で三時だった。
 神無はちらりと部屋の奥を見る。
 華鬼は隣室だ。
 三時といえばコーヒータイムである。二人で差し向かいにのんびりとコーヒーを飲む姿は想像できないが、淹れたら飲んでくれるかもしれない。料理は食べてくれるのだからコーヒーも大丈夫であるはずだ。
 一つうなずいた神無はいそいそとキッチンに向かった。
 柔らかな木目を生かしたカントリー風のかわいらしいキッチンには、揃いのマグカップがちょこんと置かれている。それに手を伸ばした神無は、ふっと動きを止めた。
 つい先日、光晴がコーヒーメーカーを購入した。大奮発したという黒い筐体のそれはどっしりと重厚感がありつつも上品で、おまけに多機能という優れものだ。ミルクフロッサーもついていていろいろなコーヒーが楽しめると言って、光晴が手ずからご馳走してくれた。
 甘くて軽い口当たりと立ちのぼるコーヒーとチョコレートの香り――こんなに美味しい飲み物があったのかと驚いたのは記憶に新しい。
 神無はそろりと手を引いて、逡巡しながらキッチンを出た。そのまま廊下を渡り、玄関で靴を履くなりエレベーターに乗り込んだ。
 コーヒーメーカーは、いつでも自由に使えるようにと一階のダイニングキッチンに置かれている。甘くて美味しいあの飲み物を渡せば、いつも険しい華鬼の表情も少しはやわらぐのではないか、そんなことを期待しつつ神無は足早にキッチンに向かう。
 ドアを開けると、羽飾りを挿したつばの広い帽子をかぶり、若草色のマントをひるがえしつつ中世風の派手な衣装に身を包んだ光晴が、どっしりと仁王立ちしていた。
 寸劇でもするのだろうか。光晴の目元でキラキラと輝く仮面――ベネチアマスクを凝視した神無は、混乱のままぴたりと動きを止め、するりと足を引いた。
「ふははは! よく来た、子どもたちよ!」
 ばさっと若草色のマントがひるがえる。裏が赤地だ。左腕にかかえられた小ぶりの編みカゴにはカラフルな小袋がぎっしりと詰め込まれている。そんなところにも驚愕していると無自覚のうちに逃げ足が加速した。
 するすると遠ざかる神無を見て光晴がぎょっとする。
「は!? ちょ、待って、神無ちゃん! 逃げんといてっ」
「…………」
「もうすぐハロウィンやろ!? ハロウィンちゅーたらトリック・オア・トリートやろ!?」
「トリック・オア・トリート……」
 ぴたりと神無の足が止まる。
 十月に入ると聞かれるようになるフレーズだ。トリック・オア・トリート――お菓子をくれなきゃいたずらするぞ、そう言いながら家々をまわりお菓子をもらうのがハロウィンのイベントである。神無が繰り返すと光晴がこくこくとうなずいた。
「けど、誰も付き合ってくれそうにないから強制参加にしようって思ったんや」
 どうやって強制参加させる気なのかと神無は戸惑いの表情で光晴を見た。
「んじゃ、俺に続いて復唱な?」
 嬉しそうに光晴に言われて、神無はますます戸惑った。
「トリック・オア・トリート!」
「……ト、トリック・オア・トリート」
「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!」
「お、お菓子を、くれなきゃ……」
 おきまりの台詞ではあるのだが、慣れない神無にとっては気恥ずかしくて言いづらい。神無は上目遣いにもごもごと言葉を継いだ。
「い、いたずらするぞ……っ」
 しばらく沈黙が続いたと思ったら、光晴がよろめいた。
「……ど、どうしよう。いたずらされたいんやけど……っ」
 趣旨がずれてきている。もう一歩後退した神無を見て、悶えていた光晴が正気に戻った。
「お菓子! お菓子あげるから! な? なっ?」
 手招きする姿が怪しさを加速させる。警戒心全開にした神無に光晴が口元を引きつらせた。
「アメちゃんやで!」
 ハート飛び散るセロファン紙に細いリボンでかわいらしくラッピングしたアメを差し出され、神無はアメと光晴を何度か見比べてからするすると近づき、両手を差し出した。ぽんっと置かれたかわいらしい小袋に神無の口元がわずかにほころぶ。それを見て、光晴も嬉しそうに目尻を下げた。
 さわさわとラッピングを撫でていると、コーヒーメーカーが視界に飛び込んできた。
「ん? なんや、飲みたいんか? カフェモカでええか?」
 以前、光晴が作ってくれた飲み物はカフェモカだった。神無がうなずくと、光晴の目尻がいっそう下がる。
「せやったら奥で着替えて待っといて。すぐ作るから」
 奥、と、覗き込むとハンガーラックが置かれ、派手な色彩の服がずらりと並んでいた。黒や赤や青、緑、紫、ピンクもあればオレンジもある。ドレス風のものからタキシード、明らかに布の面積が少ない衣装、さらにカウンターには大きなカボチャが鎮座していた。
「今日はハロウィンやろ?」
 困惑する神無の背に、光晴の浮かれたような声が弾けた。



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