act.84  分岐点


 肉がこげる匂いがあたり一帯に広がる。
「塩はー?」
「しお?」
「えーっと、香辛料? とか?」
「味付けならこれだろ」
「お、サンキュ」
 白く立ちのぼった煙に目をやった要は溜め息とともに団らんから背を向ける。
「あれ? 要、食わないのか?」
 くぐもった声で言われ、要は火を囲んでいた陸に視線をやってから再び背を向けた。
「うまいぞ、肉」
「……さっき食ったばっかりだろ?」
「肉は別腹!!」
 こんがり焼いた肉を頬張り陸は上機嫌で答える。近くにはぐったりと大地に伏した巨大な動物がいた。そこから平気で肉をはいで火であぶり焼きにしている姿は要の許容範囲を超えまくっている。
 溜め息をついて項垂れると、隣にリスティが腰かけて同じように重い息を吐き出した。
「……食べないの?」
「ちょっと」
 いかにも金持ち出身とわかるリスティは背後を気にしながらかすかに笑う。凄惨な調理風景は直視しがたいと思っていた要は溜め息を引っ込めて苦笑した。
「普通さ、魔獣なんて食わないよね」
「そうですね。魔獣自体が希少と言うのもありますが、それ以前にあの姿なので食欲がそがれるはずなのですが……」
 しかし背後では火と肉を囲んで大騒ぎだ。どこの肉がうまいだの柔らかそうだのと、ついさっきソレと格闘していたとは思えないほど誰も彼もが嬉々として肉の塊を咀嚼している。弱肉強食とはよく言ったものだが、ここまで極端だとさすがに要ではついていけない。
 二人並んで透明度を取り戻した赤泉を眺めていると、リスティの隣に王都ルーゼンベルグの王がどかりと腰をおろした。
「氷は止まったらしいな」
 手にした魔獣の肉を豪快に食いちぎりながらつぶやく。確かにトゥエルの言う通り着々と広がりつつあった氷の壁は冷気とともに静まっているようだった。
 そして、女神の心臓を取り込んだ湖は沼以上に「底なし」になった。何度のぞいても、透き通る水底に地面らしきものがないのだ。さほど規模が大きくないのだから全貌がわかってもいいはずなのに、赤泉と呼ばれる湖は女神の心臓を取り込んだままなんの変哲もなく存在し続けている。
「ところで、リスティとか言ったな?」
 唐突に声をかけられ、驚いたようにリスティはトゥエルを見た。
「あの馬がなついていたという事は、女なのだろう? オレの子を産んでみる気はないか」
 くだらない冗談を言っている場合かと怒鳴るために男を見ると、意外にも真剣な表情で口説いている真っ最中だった。ぎょっとしたリスティとは反対に、男の寿命がさして長くないことを思い出した要は思わず言葉を失っていた。
 王と呼ばれる男には嫡子がいない。縁者はいるが、あまりに血が遠すぎるために技量は問題ないが国王として祭り上げるにはいささか後ろ盾が弱いときている。王宮に入れば間違いなく潰されるという話だった。
 彼に子供ができれば、信用のおける数人の後継人をつけることで余計な火種を作らずにすむ。だが、世の中はそううまく回ってくれなかったらしい。
「わ、私は……」
「教養もある、礼もわきまえている。妻としてむかえるにはなんら問題がない」
「そこの!」
 不意に鋭い声が割り込み、二人の間に影ができるとともに剣が振り下ろされる。すんでのところで止まった剣先は、そのままトゥエルに方向を変えた。
「いい加減にしろ」
「……別に貴様のものではないだろう、放蕩王子」
「なんだと? 狂王が」
「恋愛は自由だ」
「強要するののどこが恋愛だ?」
「――貴様、この女のなんだ? 恋人か?」
 ストレートな問いに、クラウスは一瞬、戸惑うように肩を揺らした。確かにかなり微妙な関係であることは間違いない。若干ずれているものの、リスティはクラウスに絶大な信頼を寄せ、クラウスもリスティを保護するように守っている。一見すれば恋人同士のようにも見えなくもない。
 しかし、経緯が微妙なのだ。要が陸から聞いたところによれば、もともとリスティは跡取りとして――つまり、男として育てられた。これで男装の麗人という話ならわかりやすかったのに、リスティ自身が両性具有ときている。一同としては、特殊なその存在をどう扱っていいのか困っているのも事実なようだ。
 一応は、女性、としての扱いが定着しているようではあったが――。
「恋人でなければ問題ないだろう?」
 答えに窮するクラウスを眺めながらトゥエルは勝ち誇った表情になる。
「オレには……リスティを無事にカルバトス候のもとまで連れて行き、一言文句を」
 クラウスが苦悶しながら言葉をつむいでいる途中、
「貴様は馬鹿か」
 と、鷹揚な声がかけられた。一瞬、トゥエルのセリフかと思って流血沙汰を予期した要はわずかに身を引いたが、声は彼よりはるかに高く、細かった。
「私を口説いてるんだろう。よそにちょっかい出す暇があったらこっちで私の世話でも焼いてろ。ああ、すまないな。見境がない上に配慮もない男で」
 きっぱりと言い切って、白く小さな手がトゥエルの首根っこを掴む。見れば仁王立ちしたラビアンが肉を片手に冷ややかに微笑んでいた。
 こちらはこちらで訳のわからないカップルだ。いつもはトゥエルを煙たがっているラビアンは、彼を立たせてその場から離れていく。入れ違いに陸が苦笑しながら要の隣に腰を下ろした。
「なんか、機嫌よさそう」
「誰が」
「あの王様」
「ああ、確かに。……あんな言われかたしたら普通は怒らないか?」
「んー、どうかなぁ」
 胃を伸ばすように体を伸ばす幼なじみを見て、ちらりと魔獣の成れの果てを確認してから要は陸に視線を戻す。
「……腹は?」
「いっぱい。で、さ。どうする?」
 一瞬視線を交わし、質問の意味を理解して要は赤泉に視線を投げた。
「ここに女神の心臓があるんだから、ここも守ったほうがいい」
「魔獣から? それとも、オデオ神から?」
「両方。でも、古代樹の破壊活動も止める必要がある。赤泉の水、使い方わかるか?」
「わかるけど、でもうまくいくかなぁ。レナさんの話だと、いけるかもしれないとは思うけど」
 言葉を濁す陸に視線が集まる。トゥエルの背を睨みつけていたクラウスは怪訝な顔をして口を開いた。
「あの水が使えるのか?」
「あれって、擬似血液になってると思う。心臓が入ったから」
「……擬似血液」
「赤泉の名前の由来もそこなんじゃないかな。どう思う、要」
「たぶんね。どうやってあの水深から心臓を取り出したかは知らないけど、血流が途絶えたから欠片が弱くなったんだろうな」
「問題は血が巡るのにどれくらい時間がかかるかだよな」
「それ考えると、直接血を運んだほうが手っ取り早い」
「制限時間は?」
「心臓が祠にあった時間を考えると血の能力自体はしばらく続くとみて問題ない。血の効力は未知数」
「量は?」
「この湖だけで世界中をささえたなら、少量で充分だろうな」
「……つまり?」
 大人しく会話を聞いていたクラウスがたまりかねて声をかける。彼らにとって、神を宿す少年たちの会話はあまりに要領を得ないのだ。いちいち注釈を入れてもらってもなんら気にならないほどつかみどころがない。
 話しこんでいた陸と要は同時に顔をあげた。
「つまり、女神様の欠片と同化した古代樹を、オデオ神が壊せないように強化できるかもしれないってこと」
「オデオ神はココロの中に――キメラの中にいる。昔ほどの力は備わってないはずだ」
 いつの間にか火を囲んでいた者たちが集まってその会話を聞き入っていた。別の肉体ではあるいは、もっと凄惨なことが起こる可能性も考えられたのだ。安堵する面々とは反し、陸だけがひどく沈んだ顔を隠すように伏せる。
「古代樹と言うのを破壊させなきゃいいのか?」
 機嫌のいいトゥエルを鬱陶しそうに押しやりながらラビアンが尋ねると陸と要は頷く。当面の問題は大地をささえるために存在する古代樹の破壊なのだ。女神の四肢をすべて砕けばいずれここにやってくるだろうが、それは決して阻止できないものではないはずだと主張して考え込む。
「……どっちが古代樹の方に行く?」
「オレが」
 要の質問に陸が答えた。予期していた反応に要は頷いて、クラウスたちを見る。
「鉢合わせになる可能性が高い。たから、危険だけど」
「願ったりだ。……オデオ神には借りがある。しっかりと返してやる」
「では、私も!」
「リスティ様が行かれるのでしたら、自分もお供いたします!!」
 クラウスに続きリスティ、レイラが名乗りをあげる。さすがに焦りながらクラウスはリスティに向き直って視線を合わせた。
「わかっているのか、遊びじゃないんだぞ」
「わかっています。クラウス様こそわかっていらっしゃいますか? どこにいても、世界が滅びれば人間は死んでしまうんですよ?」
「……危険を承知で行かせるわけには」
「クラウス様、リスティ様は命にかえても自分がお守りします。傷一つつけさせません」
 クラウスの言葉をさえぎってレイラが発言する。身長百八十センチを超える女とは思えない凛々しい女に断言されると、さすがのクラウスも気圧されしたのか一瞬たじろいだ。
「ふん。一人前の男なら、自分の女くらい自分で守れ。これだからニュードルの第四王子は小うるさいだけの小姑王子だと悪評が立つんだ」
「……なんだと? もう一度言ってみろ」
「なんだ、知らないのか? 界隈では有名だぞ。使用人をやめさせるのがうまい小姑王子が――」
「トゥエル!」
 ラビアンの声とともに、彼女の足がトゥエルの足をぐりぐりと踏みにじる。白銀の髪に真紅の瞳という個性的なバルトの王女は、ちっとも笑っているようには見えない「笑顔」をクラウスに向けた。
「了見が狭くて申し訳ない。馬鹿は馬鹿なりに楽しい会話にしたいようだが、コイツは究極の口下手なんだ。だから許せ」
 全体重をかけて足首を回すラビアンに言われ、あっけに取られたクラウスは妙な呻き声をあげながら大人しく踏まれている男を見て肩を落とした。
 口論するのも馬鹿馬鹿しいと思ったのか、彼はリスティを見る。
「絶対にオレより前に出ず、危険だと思ったら逃げろ。それが約束できるなら同行を許す」
「はい!」
 ぱっと笑顔がむけられるとそれ以上の言葉は口にできないようで、クラウスはもう一度だけ肩をすくめた。結局は当初のメンバーの振り分けとなり、陸とクラウス、リスティ、レイラが古代樹探しに出ることが決まって、赤泉から水を汲むためにポチから荷物を降ろした。
 ごそごそと皮袋をさぐり、陸は怪訝な表情になる。
「どうした?」
「……荷物が増えてる。レナさん、補充しといてくれたんだ」
 火打石や飲み水を入れるための皮袋、保存用の木の実、ナイフ、ロープ、蝋燭、薬草、布など様々なものが追加されてよく見れば皮袋はパンパンに腫れあがっていた。
「気付かなかったなぁ」
「いや、気付けよ。ってか、普通気付くし」
「そーなんだけど。あ、ロープ半分にしようか。ナイフ二本入ってる。……蝋燭、いる?」
 そうやって荷を分け合って、水用の袋だけは陸たちが全部受け取ってそこに水をたっぷりと補給する。さすがに重いだろうと心配していたが、ポチはすべての荷を鞍に設置されても平然しており、さらにリスティを背に乗せようと身をかがめるほど元気だった。
「じゃあ、健闘を祈る」
「ああ。またな、要」
 高く上げた互いの手を軽く叩く。小気味よい音が、広がり始めた雲の奥で響いていた。


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