act.83  漂着


「世界にはもともと陸地がなく、巨大な海によって構成され、生命は海底にのみ存在した。ある時、太陽を恋してやまない魚が空を見続け、いつまでも見上げている姿があまりに不憫で、神と呼ばれた者たちは魚のために陸地をあたえた」
「なに?」
「……楽園の原形。平野と山と谷、孤島をいくつも作って彼らはそれをしばらく観察した。長い長い年月がたつうちに魚は命がつき、かわりに草木が鮮やかに世界を彩り始めて神々の目を楽しませた。人というものの原形を作ったのも、その頃。……すでに魚のことなど誰も覚えてはいなかった」
「……なあトム」
「なんだ、ジョニー」
「オデオ神、どうにかしちまったのか」
 黙りこんだまま窓辺に椅子を引き寄せ空を眺めていたココロが唐突に語り始めた内容を耳にし、ニュードルの第四王子の元従者、現オデオ神従者のトムとジョニーは互いの顔を見合わせて盛大に首を傾げた。
 キメラであるココロの体に入り込んだオデオ神は気紛れに表面化する。古代樹と呼ばれる大地を支えつづける化石の樹を破壊するとき以外も頻繁に「出て」くる。初めのころは少し不快なことがあれば物を壊し家屋を半壊させ、腹が減れば人を喰らい、気に入らない対応をする人間相手に平気で殺傷事件も起こしていた。
 最近は現状なるものを理解し、渋々ながら処世術も身につけてきた。
 しかし、ときどき一般庶民である彼らには理解できない行動をとる。空を眺めながらの盛大な独り言も奇行の一部に加えられそうな勢いだ。
「あー、腹減ってるんじゃねぇか?」
「ああ、腹か」
 クラウスの従者である二人は旅費すべてを国にまかなってもらっていたので、手持ちの金はないに等しい。よって、宿代も食費も服も、すべて国のツケで払ってもらっている。
「……国に帰ったら借金まみれだな」
「路銀はとうに底をついちまったから仕方ねぇさ。いつまでただ働きすりゃすむんだか……頭が痛ぇ話だ」
 盛大に溜め息をつきながら部屋を出て宿の主人に頼んで食事を作ってもらい、とぼとぼと部屋に帰る。香辛料のきいた料理は食欲を誘うが食べたいという欲求は生まれず、彼らは仲良く部屋に戻る。
「食事いかがっすかー?」
 軽く問うと、オデオ神は熱心に空を見上げていた。快晴の空には興味をひかれるほど珍しいものがあるわけでもなく、トムとジョニーは腑に落ちない顔を見合わせた。
 当然ながら、顔を見合わせても理由などわからない。機嫌をとったほうがいいのかとも考えたのだが、なにせ女にはとんと縁がない二人は、見た目はすっかり女性となったオデオ神をどう扱っていいものかと考えあぐねる始末である。中身が凶暴な神様で、きっと性別は男なのだろうが、外見は色白で華奢で一瞬目を奪われてしまいそうなほど可憐なのだ。
 いっそ不細工な男だったらよかったのに、と思わなくもない。
 宿主であるココロが外見そのままに可愛らしい性格なので、自分たちが危険だとはわかっていてもどうにも見捨てられないでいる。
「先に食うか」
「だな。せっかく作ってもらったし」
 ちらとオデオ神に視線をやってトムとジョニーはテーブルにつく。どんなに食欲がなくても食べられる時に食べておくのが旅の鉄則だ。とくにこんな状況に身を置いている二人は、まるで使命のように大皿に向き合った。
 三人分の食事は大皿に山盛りの炒め物だった。穀物から野菜、肉までを一度に炒めた豪快料理に取り皿が三つ、スプーンが三つ。行く先々の宿で不審な目を向けられつつも、定番となる料理に手をのばす。
 すると、空を眺めていたオデオ神が立ち上がった。
「主人より先に食うな」
 横柄に文句を言い、どかりと音を立てながら椅子にかける。そして一瞬だけ目を閉じると、背中から生えていたどす黒い羽が不気味な音をたてて変化していく。すでに見慣れた光景ではあるが、目の当たりにするたびにその変貌にぎょっとしてしまう。
 しかし今回の変化は歓迎すべき変化だ。食事する事も忘れ、二人はスプーンを持ったまま石像のように固まってうつむいたオデオ神を見つめる。白い翼がふわりと空気をかき混ぜてからようやくあげられた顔は、険を含まない、どこかあどけなささえ残す表情を浮かべていた。
「ココロ?」
 恐る恐るジョニーが尋ねると、コクリと頷き返す。緊迫した空気を崩し、トムとジョニーは盛大に溜め息をついた。
「さすがに緊張するな、オデオ神だと」
「だいぶ慣れたんだけど、やっぱりな。オレたちが利用できる間は殺さねーだろうが、気紛れだからなぁ」
 気に入らなければ、人の命など小指の先ほどの価値すら認めずさっさと始末してしまうような邪神だ。さすがに能天気な二人でも緊張せざるを得ない状況である。深く息をつき、二人はココロに視線を戻す。
「さっき、なんでオデオ神はあんな話したんだ?」
「……陸が、女神の心臓に血を与えたから」
「へ?」
「オデオ神が焦ってる。大陸中に散った女神の欠片に、血が巡る」
「ココロ、言ってる意味がわかんねぇよ」
 両手をあげたトムに瞬きを返し、彼女は虚空を睨んだ。
「女神の四肢の欠片は霊山の霊泉を中心に大陸中に流れたの。でも、魔獣が多すぎて祠に移動させられた。祠は安全だったけど、血流が途絶えて欠片が――」
 ふっと、ココロは言葉を切った。
「欠片が?」
「古代樹に定着した欠片が不安定になった。だから、必死で女神が誤魔化していたのに、その揺らぎを太古の神が気付きこの世界が存続していること知った」
「ほーそうかそうか。……ジョニー、翻訳頼む」
「わかんねーよ!」
 言葉は聞き取れるのにまったく理解できない。まるで文字がびっしり並んだ小難しい本を目の前にしているような感覚だ。はじめは片言しか話せなかったココロは日をおうごとに言葉を覚え、難しい会話もできるようになった。それは喜ぶべき事実だが、同時に難解なことを言い始めて理解に苦しむときがある。
 基本は肉体労働者な二人は困り顔を引きつらせた。ひとまず小皿に料理を小分けしてココロに渡し、じっくりと腰をすえる。
「つまり、陸ってヤツはオデオ神の邪魔をしてるんだな?」
「うん、そう」
 では、オデオ神とは真逆の未来を望んでいると判断してもいいだろう。充分に応援する価値がある。しかし、ここであからさまに喜んではいけないのを承知している二人は渋い顔になった。
 スプーンを握りしめて食べ物をかき込むココロを見つめ、慎重に言葉を選んだ。
「そいつとは連絡取れないのか?」
「連絡? 陸と?」
「ああ。居場所とか」
「霊山の場所、よくわからない。感覚でつかめるだけ。欠片を全部砕いたら、心臓が露出するからどこにあるかわかると思う」
 意外に笑えないことをココロが語る。つまりは大地を支える化石の樹を破壊してまわれば、彼女の恋人にたどり着くという計算らしい。そりゃあ先が思いやられるなと口にして、トムは料理を口に運ぶ。
 ジョニーは黙々と食事をはじめた二人をしばらく凝視して肩をすくめた。
「どうした?」
「いや……なんか最近、妙に寒くなった気がして」
「そーいえば冷え込むな。この時期には珍しい」
 いまは緩和されているが、つい数日前は本当に異常気象かと思うほどの冷え込みがあった。それが女神の心臓による変異だとも気付かず、二人は窓の外を見る。
 さっきまで晴れ渡っていた空に暗雲が広がる。ゆっくりと着実に、それは世界をつつみ始めていた。


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