act.81  誕生日


 唸り続ける女から住居の場所を聞き出して移動すると、言われたとおり山中にぽつりと一軒の丸太小屋が建っていた。一瞬怯んだ一行は、それでもノックをして小屋へと足を踏み入れ、すぐ目についた簡素なベッドに女を寝かしつけてから薪に火をつけ暖を取った。
 ここにまともな医療器具がないことなど誰の目から見ても明らかだ。それなりの生活をしてきた八人は、質素この上ない家に困惑の色を隠しきれなかった。
「えーっと、産婆さんっているのかな?」
「ってか、だいたいここがどこなのかわからないだろ。いたとしても道がわからなきゃ呼びに行けない」
「と、とりあえずお湯でも沸かす?」
「お湯?」
「破水してるみたい」
「……オレ、そこらへん全然わからない」
「あー、もうすぐ生まれそうってこと?」
「素人で取り上げられるものか?」
「難しいと思う」
「圭吾生まれた時どうだったっけ?」
 前触れなく弟の名を出され、陸はとっさに虚空を睨んだ。そもそも出産経験がある時点で条件が違っているので、その知識はあまり参考にならないことは漠然とわかっている。
 しかし、一応記憶を掘りおこしてから口を開いた。
「んー。難産だとかで、大騒ぎしてたなぁ。でも普通、初めての出産って陣痛はじまって数時間は産まれないし」
「単純に聞いていいか、陸」
「なに?」
「この面子でどうにかしろと?」
「やーそれはちょっとなー」
 顔を突き合わせて陸と要は同時に首をひねってそれぞれのメンバーを見て、いかにもこの場面に役に立たない面々であることを確認して溜め息をつく。護衛であるレイラとジョゼッタは妊婦を囲んでオロオロするだけだし、トゥエルとラビアンは契約の指輪を間にはさんで口論を始め、そんな二人をうっとり眺めるリスティ、さらに困惑したクラウスと続く。
 間違いなく役に立たない。むしろ邪魔な域に達している。旦那さんはどうしたんだと問えば、女は乱れた息のあいだでようやく狩りに出かけていると答えた。予定日過ぎてもなかなか陣痛が始まらなかったことから、まだ当分は生まれないだろうと勝手に解釈してしまったらしい。
 そして、医者の所在を聞けば、森を抜けた小さな集落にいるとだけ返事がきた。
「森を抜けたって」
「どっちに行けば抜けるんだ?」
 顔を見合わせると、女が必死に窓を指差した。
「その道を、まっすぐ」
「わかった!」
 直進するだけなら話は早い。幸い足となる馬らしき生き物≠ェいることを思い出した陸が小屋を飛び出すと、草をんでいたポチはいかにも鬱陶しげに顔をあげて飼い主を一瞥した。
「ポチ! 人助けだ!!」
 駆けよった瞬間、ポチは陸に向き直って前足をあげた。とっさに前に突き出した手が馬の足をしっかりと掴み、陸は奇妙な声をあげて後退した。
「お、お前、危ないだろ!? 今の間違いなくみぞおちに入ってたぞ!」
 ポチは大きく息を吐き出すとふいっと顔を逸らす。舌打ちさえ聞こえてきそうな表情に陸の顔が引きつった。
 無言の主張に陸が地団駄を踏むと呆れ顔の要が安全圏内で溜め息をつく。
「乗れるの? その馬もどき」
「オレが行ってやろうか?」
 情けない姿に失笑したのはトゥエルだった。王都の王様は悠然と近づき、鼻息を荒くしたポチが威嚇するように頭をさげて前足で大地を荒々しく蹴った時点であっさり歩むのをやめた。
 それからしばらく無言でポチを見て、するりと剣へ手をのばす。
「……丸焼きにして栄養にしたほうが早く目的地につけそうだな」
「バカか。馬のほうが速いに決まってるだろ。希少な純血種を喰らうな」
 ボソリと口にしてトゥエルが剣を抜くと、彼を押しのけて少年の格好をした銀髪の少女がポチへと歩み寄った。ぎょっとしたのは押しのけられた当人である。そして、見るからに凶暴そうな馬に近づくラビアンを止めに入ったのがリスティ。
「あ、危ない!」
 さんざん虐げられた陸がとっさに駆け出し、すぐに足をとめた。いつもムカつくほど人を小馬鹿にした態度を崩さない馬は、近づいた二人にたいして威嚇するどころか上機嫌でひょいひょいと頭をさげている。しかも心なしか目じりが下がっていた。
「……ジョゼッタ、近づいてみてくれない?」
 難しい顔をした要が女騎士に頼むと、彼女は剣に手をかけたまま慎重に近づき――そして、やはり凶暴さの欠片もない馬に首を傾げた。
「なあ要、これってさ」
 状況を理解した陸が顔を引きつらせて幼なじみの名を呼ぶと、幼なじみはぬるい笑顔とともに後方を振り返ってレイラを見た。
「あともう一人女を近づければ確定するけどやってみる?」
「……お、お前絶対馬じゃねーだろ! 馬面した人間だろ! その化けの皮剥すぞ!!」
 陸の叫びなど聞こえないように女に囲まれてポチは機嫌がいい。そして、背中に手をかけたラビアンが乗りやすいようにと身を低くする。呆れるように苦笑してラビアンが鐙に足をかけて飛び乗ると、ポチは妊婦が指した方角へ颯爽と駆け出した。
「本当、アイツ馬じゃないって……」
 陸はひたすら項垂れる。ポチと大格闘を繰り広げた、あの苦労だらけの旅路はなんだったのだろうといじけながら集落へと続く道を見た。
「……とりあえず冷えるから家の中に入れ。防寒対策したら水を取りに湖へ戻ろう」
 慰めの言葉も思いつかないのか、近くの木に仲良く寄り添った陸の腕を要が苦笑とともに引っぱる。
 それから大量の水を小屋に運んで沸かし、悲鳴をあげる妊婦に半ばパニックをおこしながら清潔そうな布をかき集めた一行は交代でラビアンの帰りを待ち、数時間後に普通の老人にしか見えない医者を連れて戻ってきた彼女に賞賛の言葉を投げ――。
 男は全員、とっぷりと日の暮れた寒空の下に追い出された。
「これはどうかと思うんだよ、要くん」
「オレもそう思うけどな、陸くん。しかし、見ず知らずの女性の出産に立ち会うなんて非常識なのには違いないんだ、実際」
 歯の根が合わなくなるような空気の中、なぐさめ程度の防寒服を着て焚き火を囲んだ陸と要はガタガタ震えながら両手を火にかざした。
「ずいぶん長いな」
 曇った窓ガラスに揺れる明かりを見たクラウスは、肩をすくめてそれだけを語った。トゥエルはというと、
「子供か」
 と、感慨深げに口にしたきり黙りこんでしまっていた。ラビアンを口説きまくっている彼としては、羨ましい光景なのかもしれない。そうして天空を彩る光の粒がさらに傾いた頃、けたたましいほどの泣き声が小屋の中から響いてきた。
 一瞬なにが起こったのかわからなかった男性陣は、生まれたぞ、と元気にドアを開けたラビアンに歓声をあげた。
「男の子だ」
 その言葉を聞くなり部屋に飛び込むと、出産後の女は思いのほかケロリとした顔で礼を言い、小さな命を胸に抱きよせて柔らかな笑みを浮かべた。
「レナさんも無茶ですよ」
 丸椅子に腰かけた老医師は大きく息を吐き出し肩を揉みほぐして苦笑する。
「自分で産湯を用意しようだなんて」
「違うのよ、先生。まさか今日生まれるなんて思ってないじゃない。だから用意しておこうと思って赤泉せきせんに行ったのよ。あたしと先生だけじゃ、産湯が用意できないでしょ?」
 明るくレナと呼ばれた女は返した。
「赤泉に浸かった子は丈夫な子になるって皆が言うから」
「そんな迷信信じてるのかい」
「迷信じゃないわよぉ。サラエの子だって、アランの子だって病気知らずじゃない」
 暖かいスープを受け取りながら二人の会話を聞いていた要は、聞き慣れない単語に首を傾げた。
「せきせん?」
「そう、あの湖がそういう名前なの」
 泣き止まない我が子を見おろした女は服をはだけて母乳をあたえる。慌てて視線をそらせると、女は笑いながら言葉を続けた。
「赤泉は女神様の心臓を意味するの。あたしの家は、霊山に一番近い場所に建てられて代々湖を守っていた――最近では魔獣が多くてここに家を建て直したんだけどね」
「女神!?」
「そうよ? 霊山の祠には心臓があるけど、それは本来湖にあるべきものだったの。魔獣が多くなりすぎて、だからご先祖様が祠のほうが安全だと判断して移動させたって聞いてるわ」
「レナさん、そんな迷信を旅の人に教えるものじゃありませんよ。本気にしたらどう――」
「陸!」
 老医師の言葉をさえぎるように要が叫ぶ。皮袋に入れた蠢くものに視線を落とし、同時に息をのんだ。
「心臓が血を得たらどうなると思う?」
「そんなこと」
 わからない。けれど、このまま何もしないでいるわけにはいかない。
「……やってみる価値はある、という事だな」
 納得したトゥエルがつぶやく。他の人間も異論はないようで、視線の多くはドアへと向かった。
「せっかちさんねぇ。明日でも赤泉は逃げていかないわよ」
 くすりと赤子を抱いたレナが笑う。奇妙な旅人たちの会話を平然と受け入れて彼女は一つの提案を出した。
「夜道は危ないから夜があけたらお行きなさいな。雑魚寝でよければ床を提供すわ。助けてもらったお礼にこんな事しかできなくて申し訳ないけど」
 その申し出は実際にありがたかった。魔獣の多くは結界の内側で氷付けになっているとはいえ、すべてがそうであるとは限らない。心臓を湖に戻した後のことを考えていなかった陸は要の顔を見て大きくひとつ頷いた。
「お願いします」
「ええ。先生もそれでいい?」
「歩いて帰るのもさすがに辛いんでそうさせてもらいますよ」
 ちらりと外を眺め老医師は苦笑を返す。そして、皆と同じように温かいスープを受け取って口に運んだ。
 気忙しかった旅にふと緩やかな時間が流れる。母乳をあたえ終わった母親は、ぐずる我が子をあやすように子守唄を口ずさみはじめる。
 ゆっくりとしたフレーズの、それはどうやら数え歌らしい。誰もがはじめて聞く唄なのに妙に懐かしい気さえする。
 ひとつとや。
 柔らかな歌声は、過去に失われたものを形にしていた。


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