act.80  同時


「そっちのメンバーは?」
 ひとまず強烈な冷気を放つ氷の壁から離れ、森の中でも安全と思われる場所に移動してから要は陸に問いかけた。雲を突き抜ける勢いでそびえた氷の壁と森の一角にぽつんと存在する湖を交互に見ていた陸は、要の声を聞きながらもはっとして視線を上空へと固定する。
 彼は景色をゆがめて取り込む半透明の壁の一点を凝視していたが、不機嫌な幼なじみに力一杯耳を引っぱられて情けない悲鳴をあげた。
「質問に答えろ」
「って、痛ぇって! 壁! 壁が!!」
「なんだよ?」
「亀裂が――!?」
「どこ」
「……あれ?」
「どこ?」
「い、いてててて! 要! ちぎれる……!」
 もともと容赦というものを知らない要は、変化のない壁を一瞥してから陸の耳を引っぱる。こんな時に冗談を言う男でないことは要が一番よく知っているが、積もり積もった鬱憤をここぞとばかりにはらし、陸の悲鳴をひととおり聞くと納得がいったのか手を放した。
 氷の壁からずいぶん距離があるが、強い風がときおり冷気を運んでくる。一瞬身をすくめた陸は、要が言うように氷の壁になんの変哲もないことに首をひねりながら、その視線を少しはなれた場所にある湖へと向けた。どうやら水底から湧き水があるらしい。こぽりと音を立てて気泡があがってくるたびに綺麗な波紋が湖全体に広がって消える。水自体も驚くほど澄んでいて、飲料水としても申し分なかった。これから何があるかわからないという事で、各自が存分に水の補給を終え、今は可憐に気絶した少女――なのだか少年なのだかよくわからない人物が目覚めるのを待っている。
 うーんと一つ唸り声をあげた陸は、湖の水をふくませた布を手に、慌てたようにリスティの様子を見守るクラウスとレイラを見てから口を開いた。
「寝込んでるのがリスティ。……えーっと、女の子?」
 思い切り首を傾げながら初対面の要に問いかけ、知るかと返答が来ると言葉を続けた。
「男のほうがニュードルの王子様でクラウス。女剣士はレイラっていって、リスティのボディガード」
「ニュードルの?」
 要を押しのけてトゥエルが訊ねてきて、陸は一瞬だけたじろいだ。
「そうだけど」
「……第四王子、クラウス・ヴァルマー」
「有名人?」
「変わり者の小姑王子だ」
「ああ、確かに。……オレは大海陸。要の幼なじみで――」
「神を宿す者、か?」
「アルバ神を」
「頭ごなしに否定もできまい、この状況ではな」
 突拍子もない陸の言葉に見事な赤毛を揺らして男が苦笑する。その瞳は陸の手の中で脈打つ心臓をとらえていた。いまだ脈動を続ける心臓は、動力や熱、さらに送る血もない状態にもかかわらず単調な動きを繰り返している。
 人の臓器ではない。
 見た目はどんなに人のものに近くとも、人のものであるはずがない。
 本来ならさぞ気味の悪い状況だろう。見慣れないものを手にしているのだから、気分が悪くなっても仕方がないはずだ。
 しかし、陸は平然として心臓を見おろしている。
「陸」
 遠くから名を呼びながら、レイラにリスティをまかせたクラウスが戻ってきた。彼はちらりとトゥエルに視線をやってから陸を見つめる。紹介しろという意思のこもった動きに気付き、問われた陸のかわりに要が口を開いた。
「騎士がジョゼッタ、……銀髪少年がバルトの王女でラビアン」
 ぴくりと肩を揺らしてラビアンが進み出てきた。
「少年といっておきながら王女と紹介するな」
「ああ、将来はオレの嫁だと付け加えておけ」
「黙れ、稚児趣味」
「王族で十四歳なら余裕で嫁いでるぞ」
「あー」
 にらみ合う見事に色彩の違う二人を押しのけ、
「そこの変態がルーゼンベルグ王、トゥエル」
 と、要が紅蓮の髪の男を指差した。クラウスの表情が険しくなったのを見て、陸と要が顔を見合わせる。どうやら仲のいい国同士ではないらしいことは旅の途中で知ってはいたが――
「キメラを作ったのは貴様か」
 クラウスが剣を抜いた瞬間、さすがに慌てた。しかし、剣を向けられた男は飄飄としている。ジョゼッタが主人を守るために剣の柄を手にすると、それを軽く制して自らの剣に手をかけた。
「だったらなんだ?」
「……余計な真似をしてくれる。国を治めるのが愚者とは思わなかった」
「なんとでも言え。オレにはキメラが必要だった」
「人を喰らう化け物でもか」
 クラウスの鋭い問いに陸の体がわずかに震えた。会話に割り込んで否定をしようと口を開いた陸は、しかしなにも言えずに唇を噛んだ。
 事実なのだ。陸たちの目の前で同族である者たちを彼女はその身に取り込んだのだ。今でもどこかで同じ事をしているかもしれない。
「クラウス様」
 今はここにいない少女を思い浮かべて押し黙る彼の耳に静かな声が聞こえてきた。そして、視界のはしに大きく揺れる細い体が飛び込む。
「おわかりになっているのに、どうしてそんな言い方をされるのです?」
 続ける声はどこか非難の色が濃い。
 まだ顔色は優れないものの、リスティは努めて陸の手元を見ないようにしながらクラウスへと顔をむけた。
「あれはココロの意思ではありません。それに、何か理由があったのでしょう」
 ちらとリスティは驚いた表情のトゥエルを見る。鼻で笑った男は、口をつぐんだクラウスとリスティを見比べて瞳を細めた。
「こっちのほうが話がわかりそうだな」
「私の目的は、ココロを――破壊神を宿したキメラを自由にすることと、クラウス様の怪我の治療です。そちらは?」
 一瞬押し黙ったトゥエルは肩をすくめた。
「破壊神はキメラに降りたか。……詳細な情報が必要だな」
 溜め息とともにそうこぼし、彼は言葉を続けた。
「当初の予定がかわった。オレが直に手を下したわけではないが――おそらく、そのキメラは王都から出ていった魔術師が作ったものだ。神を捕縛するための処置をほどこしたキメラならよかったが……」
「処置?」
「言葉一つで、脳を破壊する」
 告げられた一言に絶句する。陸は思わず紅蓮の髪の男を見た。
「それって……っ」
「呪術の系等だ。細胞に刻み込む、いざという時の保険のようなもの。王都のキメラはすべてその枷があった」
「……」
「王都では神を降ろすための依代を作ることはできなかった。ならば、王都を離れた魔術師のいずれかがそれに成功し、枷のないキメラを世に送り出したことになる。破壊神がおりたのなら、ただ事ではすまされないだろうな」
 トゥエルは剣から手を離した。
「今は争っている場合じゃなかろう。首が欲しければ、これが終わってからだ」
 クラウスにそう告げると、じっと見つめてくるリスティに視線をとめた。そして、怪訝な顔で首を傾げる。
「なんだ?」
「いえ、見れば見るほど……」
 あ、と陸とクラウスの顔が同時に引きつった。そして、続いた案の定なセリフに溜め息をつく。
「燃えるように素晴らしい色の髪だと」
「……ああ、珍しいらしいな」
「それに、あなたも」
 頬を染めながらリスティは一歩身を引くラビアンを見た。視線が熱いのは気のせいではない。そういえば人体パーツも大好きだったよなと、陸は呆れ顔のクラウスを脇目に顔を引きつらせていた。見事な赤毛に漆黒の肌の男と、銀髪に赤い瞳の少女なら、どちらもリスティのお眼鏡には適うだろう。
 身の危険を感じたらしい二人が後退りをはじめると、それに気付かないリスティは嬉々とした表情で近付いていく。慌てて止めに入るクラウスの姿がなんとも滑稽で笑いを誘った。
「……変わった趣味持ってる人?」
「うん、ちょっと」
 要の質問に陸が深々と頷く。今のところ被害はないのだが、さすがに人体の一部にだけ執着されるのは怖いとみえて、余裕のある笑みを浮かべていたトゥエルさえ完全に逃げの体勢に入っている。
「眼球は平気で心臓が駄目ってのも不思議だよなぁ」
「……不思議って言うか、普通どっちもダメだろ。ってゆーか、なんの話だよ」
「人体コレクションの話?」
 要にはさっぱり理解できないことを口にして、陸は肩をすくめる。
「それより、神様と連絡取れる?」
「セラフィは無理。四肢が砕けてから思い通りに動かないみたい」
「そっかー。アルバも反応ないんだよなぁ。でもさ」
 陸は律動を繰り返す心臓から視線をはずしてトゥエルを見た。
「変なことはわかるんだよな。……あの王様? 病気持ってる?」
「え?」
「……あんまり……いや、なんでもない」
「陸」
「……」
「トゥエルがなんだって?」
「たぶん、あんまり長くない」
 言葉を失って、要は紅蓮の髪の男を見た。確かにときどき様子がおかしい時もあるが、まさかそこまで体調が悪いとは思わなかったのだ。無理をして平静をよそおっている事もあったが、要はこれといって意見さえしなかった。
「元気そうだけど」
「うん。でも長くない。……本人も気付いてるみたいだな」
「……死ぬ、ことを?」
 要は動揺して口ごもる。ぼんやりしていたり苛立ったりと忙しい男ではあったが、いつもの減らず口からはそんなことなどまったく予想できず、おそらくともに旅をしていた人間も気付いてはいないだろう。
 要は陸に向き直った。
「助けられないのか? お前、アルバ神を――」
「こっちも反応がないんだ。それに、何かできたとしても改善はされないと思う」
「そんなのはやってみなきゃわからないだろ」
「自然に再生されない臓器があるんだ。患部を抜いたら、廃人になる」
 言われた言葉を瞬時に理解して要は押し黙った。思わず口元を押さえて、視線を逸らした。
「クラウスは何とかなるかもしれない。オデオ神がかけた呪いなら、解けばいい。けど、あの人のは、無理だ」
「……それを、知ってるのか?」
「……うん」
「それでも平気な顔をしてるのか?」
「……普通にできることじゃないだろうな。どうして笑えるんだろう。……凄いよな」
 結局変わった顔ぶれとなる四人で言葉を交わしている彼らを見て複雑な心境になる。それからふとラビアンの手元を見て要は目を丸くした。
「指輪!」
「あ、取られたヤツ。あれって相性のいい相手を探す指輪なんだろ?」
「え? そうなの?」
「……って聞いたけど」
 不思議な経緯で落ち着いたらしい神々の遺産はトゥエルとラビアンの指にあった。意外に似合っているかもしれないと思い直し、悲運が待つ可能性の高い男を静かに見やる。
 そして、いつまでもきゃんきゃんと騒いでいる姿に肩を落とす。
「他になにか方法があるかもしれない。とりあえず今はオデオ神を止めよう。どこまで情報が――」
 言いかけた要はとっさに陸の腕を引いた。視線が湖のほうへ向き、口が息を呑むように開いていく。そっちにいるのはボディガードのレイラだけだと記憶していた陸は、肩越しに背後を見て要と同じ表情になった。
 湖のほとりでレイラがうずくまっている。なにか異変かと焦った二人は、レイラの影に隠れていた女に目をとめる。レイラの手が必死に女の背をさすっているのを見て気分が悪いのかと思った彼らは、その体が動いた瞬間走り出していた。
 近くに棒とバケツが二つ転がっていた。女は腹をかかえて苦しげに顔をゆがめ、レイラはどうしていいのかわからないようにオロオロしていた。
 女の腹部は異様な張りを見せている。症状など疑うまでもない状態だった。
「妊婦か――!?」
 重なった声が森の一角に木霊した。


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