act.75  見つけ出せ


 小さな山村で霊山の話を聞くと、そこは霧深い樹海で魔獣も多く、近くの者は決して足を踏み入れない場所だと教えられた。
「行くか」
 青ざめてとめる村人に馬もどきと恐竜もどきをあずけ、俄然やる気を出したのがパーティーの指揮をとるニュードル第四王子クラウスである。どうやらこういった状況は慣れているらしく、ボディカードのレイラよりも率先して歩き回っている。密集した木々を目算して中剣を手にするあたり、初めての経験というわけでもなさそうだった。
「頼もしい王子様」
 剣をかまえた陸は前方を歩くクラウスの背をちらりと見つめる。先頭がクラウス、次がリスティ、陸、最後がレイラとなっていた。
「旅好きですから、慣れてると思います」
 振り返ったリスティは小さく告げる。
「これほど心強いと思ったことはありませんが」
 慎重ではあるが怯まない姿はなかなか堂に入っている。道中で陸の服を新調したのだが、そのときの几帳面を通り越したチェックさえなければかなり好印象だ。そして、素直に従っているリスティは騎士に守られるお姫様然として、なかなか様になっているから面白い。
 服装も、性別不詳からどちらかというなら女性向なものに変更されている。こちらのほうが気兼ねなく気を遣える≠ニいうのが、リスティをのぞく三人の共通意見で、動きやすく好みのデザインを選ばせたら本人もそれなりに納得しているらしい。
 リスティは見た目が華やかなので、着飾ってくれると映えるだろう。今度はドレス姿が見たいなと、単純な男は単純なことを考える。
「霧が濃いな」
 低い女の声が背後から聞こえた。
「気を付けて下さい、魔獣がいるらしい」
 陸にとってはどれもこれもが魔獣の部類なのだが、どうやら性質が悪い種類もいるらしい。人語を操ったり、ずば抜けて力が強かったり頭がよかったりとマチマチだが、魔獣の多くは人を好んで襲うという。
 霊山は人間に荒らされぬよう、霧と魔獣によって守られている――村人は口々にそう呟く。普段なら胡散臭いと笑うたぐいの話だが、この状況では笑いすら凍りついた。魔法こそ使わないが、危険を冒してまで会いたい相手ではないだろう。
「魔獣に会ったらどうするの?」
「今のところは逃げるしか……」
「そっかー。霧がもうちょっと晴れてくれるといいのになぁ」
 霊山のふもとには祠がある。――いや、あった、という話だ。村人が言うには、年々霧が濃くなって、山全体を覆っていた霧が森にまで流れ込んで、今なお広がり続けているという。霧の立ち込めた森を手探りで探さなければならないのだ。一応、村人に要あての伝言を頼んだが、同じ道で進んできている確率はあまり高くないだろう。
 夢でもう一度会うことができたら細かく情報交換したのだが、生憎あの奇跡は一度しか起きなかった。
 陸は要の指から抜き取った指輪を片手でいじりながら溜め息をつく。
 村で待つ事も考えたが、入れ違いで要だけ森をさすらうことになればあとの報復が恐ろしい。なにより祠が待ち合わせ場所なのだから、村で待つこと自体が彼の逆鱗に触れるとも限らない。
 思案の結果、効率が悪かろうがまず行動することに決めて森の中を彷徨っている。
「それにしても、太陽まで見えなくなるなんてなぁ」
 村は快晴だっただけに異様な感じだ。明らかに自然とは言いがたい現象が神の御業と言われると、陸は素直に納得したくなる。
「リスティ」
 前方を歩いていたクラウスが足をとめた。
「着ていろ。気温が低くなった」
 霧は水滴となって体に付着して体温を奪うばかりか、クラウスの言うとおり気温自体も下がり始めていた。丈の長いコートをリスティの肩にかけた彼は再び歩き始める。
 この二人の関係も微妙と言えば微妙だなと陸は考えている。もともと同性だと思っていた相手が、半分は異性だったとわかったら――しかも、方向はおかしいながらも慕っているのであれば、今まで通りに対応するわけにはいかないだろう。
「ねえねえ」
 歩く速度を落としながら陸はレイラに耳打ちする。
「あの二人って、仲がいい?」
「……クラウス様とリスティ様ですか?」
「うん」
「幼少の頃から……リスティ様はクラウス様の目と髪が大好きでしたが」
 なぜそうも片寄った思考に走るのかがよくわからない陸はわずかに口元を引きつらせた。何度聞いても変な趣味だ。しかしまわりはそれを納得している。だから余計に陸にはわけがわからない。
 ただ、お互いに気遣う様子は見て取れる。
 意外にお似合いかもなぁと呑気に考え、意見を聞こうとして陸は振り返って足をとめた。背後にぴったりとついてきていたはずのレイラの姿がなく、かわりに濃密な霧が空間を埋めていた。
 うっすらと木の影が見える。しかし、動くものはなかった。
「……レイラ?」
 名を呼ぶが、返事どころか物音一つしない。陸は正面を向き、大声を張り上げた。
「止まれ! レイラがいない!」
 告げてから息を呑む。彼の前方にも霧が押し寄せ、拍車をかけるように視界が悪くなる。
「クラウス! リスティ!? おい、どうしたんだ!?」
 足を踏み出すと、地面に落ちていた小枝が折れて小さな音が聞こえた。どんなに霧が濃くても、数メートル離れた相手の足音が聞こえなくなるはずはない。ここは森だ。音源などいくらでも地面に落ちているはずだった。
「クラウス!?」
 足を踏み出すと再び小枝が折れた。下がっていく気温とは逆に、体温が上がっていく。剣を握り締める手に力がこもった。
「……魔法、使わないんじゃなかったの?」
 静まり返った霧の森の中で重い足音が聞こえてきた。近づいてくるその音はリズミカルで複雑だった。少なくとも二本足の生き物ではないと陸は判断した。
 遠くで影が揺れる。
 ゴクリと唾を呑み込んで、陸は辺りを見渡した。この霧ならば鼻はあまり利かないかもしれない。木の影に隠れればやり過ごせる可能性がある。
 周りを見て足を一歩踏み出した途端、足元で小枝が小さな悲鳴をあげた。
 黒い影がピタリと動きをとめる。
 距離はまだ少しあるのに影は思いのほか大きい。視線を走らせ、木までの距離を確認した瞬間、どっと低い音が陸の耳朶を打った。
 慌てて剣を握りしめながら無我夢中で駆け、木陰に隠れようとした彼は何かにぶつかって大きくよろめいた。
 小さな悲鳴が響く。体勢を整えた陸は、尻餅をついている少年に目を瞬いてから駆け寄った。
「逃げるんだ、魔獣が――」
 少年の長い銀髪が揺れる。ふと上げた目は血のように赤く、憤慨する表情は言葉を飲み込むほど鮮烈だった。
「人を突き飛ばしておいて謝罪もなしか」
「え? え? ああ、ごめ……」
 言葉の途中で視界が暗転し、生暖かいものと生臭さが押し寄せてきた。
「暗……ッ」
 こりこりとしたものが頬に当たるのが不快で、それ以上に頭部を包む生暖かさがあまりに気持ち悪い。ぬるりと頭を撫でられ、陸がわめき声をあげた。
「ずいぶん……躾けのいい馬だ」
 しみじみと少年の声が聞こえる。
「放せ。それはうまくないぞ」
 低い音が鼓膜を揺らすと、生暖かい闇が去って白い世界が姿を現す。
「ポチ! お前、脱走してきたのか!?」
 慌てて飛びのいてヨダレをぬぐいながら文句を言うと、馬ことポチ≠ヘ鼻息荒く足を打ち鳴らして陸を見て、ふいっと視線をそらして銀髪の少年に擦り寄った。
「ってか、お前本当に馬か――!?」
 旅のあいだ、さんざん口にした悲鳴を繰り返し、陸はポチを指差す。周りの人間が哀れむほど、あるいはどちらが主人なのかわからなくなるほど、陸はポチに冷たくあしらわれてきている。
 そして、こんな所に来てまでそれは変わらないらしい。
「珍しいな、純血種か。田舎のバルトでさえ見かけないぞ」
 少年が嬉しそうにポチを撫でる。珍しいことに、ポチはされるがまま大人しくしていた。
「お前の馬か?」
「い、一応」
「そのわりにはなってないな」
「返す言葉もありません」
 項垂れながら頷くと、目の前の少年は声をあげて笑い出した。
「霊山に入る人間はいないと聞いたが、お前のような奴に会えるとはな。迷うのもたまにはいい」
 陸ははたと気づいて顔をあげる。この霧の中を村人は好んで歩かない。金を積んで道案内を頼んでも、誰一人として首を縦に振らなかった。
 それなのに、陸の目の前には人間がいる。
 陸はふてぶてしい少年を凝視して手を打った。そういえば要にはいっしょに行動している人間がいる。確か――。
「男女!」
 指差し確認で叫ぶと遠慮なく向こう脛を蹴飛ばされ、彼は再び呻き声をあげた。
「初対面の人間にずいぶんな挨拶だな? 貴様は誰だ?」
 真紅の瞳に睨みつけられ痛みに苦悶しながら陸は口を開いた。
「大海陸。要の、幼なじみ」
「……要の? ……ああ、聞いたな、りく……おい、手を見せろ」
 思案しながら請求され、陸は涙目のまま手を差し出した。すると少年はその手を取り、逆の手を差し出すように命じてくる。素直に従うと、真紅の瞳が細くなった。
「本物らしいな」
 細い指が、肉に喰らいついている誓約の指輪に触れた。次の瞬間、どうしても抜けなかった指輪が緩くなり、するりとはずれた。
「それ! 要の!」
「元は私のものだ」
「そうなの?」
「そうだ。まったく、父上に合わせる顔がなくなる所だった」
 少年はそう呟きながら指輪をはめる。神々の遺産、誓約の指輪は、細い指に合わせるように形を変えた。サイズ直しがなくていいのは便利だなと感心していると、少年は指輪をはずそうとしていた動きをとる。
「……はずれん」
「え?」
「この不良品め!」
 指輪に地団駄を踏みながらあらん限りの罵声を浴びせて少年は顔をあげる。ふんっと鼻で大きく息をついて口を開く。
「私はバルトの第一王女、ラビアンだ。言っとくが、私がはぐれたんじゃない。あいつらがはぐれたんだ」
 仁王立ちの王女様は唖然とする陸にむかって声高にそう告げた。


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