act.74  通じてる?


 ココロという名のキメラに出会い、破壊神を目の当たりにしてから数日が過ぎた。
 普段は活発で好奇心旺盛な少女は恋人を探し、残虐で気紛れな破壊神は古代樹と呼ばれる大地をささえる礎の樹を探している。
 そして、そんな一人≠フ少女に従う二人は、なぜかこの状況にすっかり順応していた。
「なあトム」
「なんだ、ジョニー」
 破壊神に出会って生きているのが奇跡であることを、この二人はいまだに自覚できていない。
 二人は道中で手に入れた地図を広げて顔を突き合わせた。黄ばんでところどころが薄かったり消えてしまってはいるが、見知った地名はいくつか確認できる。トムは羽ペンで印をつけ、うーんと唸り声をあげた。
「これで二十箇所目だよな。全部でいくつあるんだろうな、古代樹」
 ジョニーの質問にトムは引き続き唸り声で答える。
 ここはとある町の、とある宿屋の一室である。黒いバツ印は、この宿から少し離れた位置に生えていた古代樹を示している。
 その樹はすでにそこには存在しない。礎の樹は破壊神が触れたと同時に、いつも耳を塞ぎたくなるような儚い女の悲鳴をあげながら絶命していく。
「樹は外に出てるわけじゃねぇからな。確認もできねぇし」
 中にはセタの運河のように水没しているものもあるが、樹の多くは地中に埋もれていた。破壊神オデオは実に器用にそれを見つけ出して殺していく。
 とめても逆に死体が二つ増えるだけだと熟知している従者は、毎度しかめっ面で終始見守っていた。
「古代樹って、なんだろうなぁ」
「……オデオ神に言わせれば、世界を護るための礎らしいが」
 半身であるアルバ神からの応答はまるでなく、結局訳のわからないままになっている。
「女神の四肢の欠片だろ?」
「ああ。それで」
「地中に埋もれた古代樹は幼木なの」
 ふと、聞き馴染んだ少女の声が割り込んできて、二人は地図に落としていた視線を移動させた。もぞもぞとベッドの上でシーツの固まりが動くと、不快な音が室内に響く。
「幼木は眠ったまま長い時間をそこですごすんだって。成木になると、世界を滅ぼすの」
 シーツの海から少女の顔がひょこりと現れる。出会ったときよりもさらに成長したココロは、目をこすりながらベッドをおり、裸足のままテーブルに近づいた。
 言葉も多く覚え、雰囲気も少女から女性へと変化し始めている。彼女の恋人はその変貌にさぞ驚くに違いない――ココロと陸の関係を勘違いしている二人は内心でそう思う。
「成木?」
「うん。いまは幼木だけど、成木にもなるの」
「……あのでかさで幼木か」
 一本一本が空を覆いつくすほどに巨大な樹は、まだ成長途中らしい。地図を見ながら、トムは再び唸り声をあげた。
「成長してるのか?」
「してない」
「してない?」
「うん。きっかけがね、いるんだって。一度成長を始めると世界を喰らい尽くすの。それでやっと静かになるんだよ」
「……ちょっと待ってくれ」
 ココロの言葉を聞いて、ジョニーはぽかんと口を開け、トムは頭を抱えた。
「じゃあ何か? きっかけがあればあの樹は成長して、えーっと?」
「世界を、破壊する。あの樹は大地を守るためだけにあり、守る対象はそれ以外に存在しない」
 唐突に口調が変わった。初めのころは驚倒したこの変貌に、トムとジョニーは「来たな」と表情を引き締める。白い翼が奇妙な音を立ててどす黒く染まり、肥大し形を変えていく。まだ幼さの残る表情はすぐに険を孕んだものに変わった。
「じゃあ、オデオ神は救世主ってことですか」
 トムはパンの乗った皿を少女へ差し出す。
「救世主?」
「古代樹が危険ないんでしょう? 育ったら、世界を滅ぼすんだから」
 真面目に問うと、少女の体を侵食するオデオ神は低く嘲笑してパンを掴んだ。
「古代樹は大地を作る核となる存在だ。女神の欠片は、それと同化してこの世界を安定させている――すなわち」
 パンを掴んでいた手にゆっくりと力が入る。
「オデオ神は女神の欠片ごと核を壊して歩いてるってことですか」
「馬鹿のくせに察しがいいな」
 従者を見下していた少女はわずかに眉を吊り上げ、パンを握りつぶそうとしていた手から力を抜いた。
「すべての欠片が崩れればこの大陸は水没する。どうする? 逃げる場所などないぞ」
「どこに行っても同じなら慌てませんよ。でかい船に乗り込んだって、沈むときにゃ沈みます」
「オレ、泳げないんだけどなぁ」
「教えてやろーか?」
「おお! トム、泳げるのか!?」
「そだな。あそこの壁ぐらいまで」
「す、すげーじゃないか!」
 トムがすぐ近くの壁を指すと、ジョニーが興奮して椅子から立ち上がる。わずか数歩の距離だった。泳ぐというほど泳いだことにはならないのだが、ジョニーはいたって真面目に賛辞を並べている。こういった具合に続けられるわけのわからない会話も、すでに日常と化していた。
「おかしな奴らだな」
 オデオ神はパンを口に運んで苦笑に近い表情を浮かべた。それを盗み見て、トムとジョニーは内心ほっとする。オデオ神は料理も口にするが生食が一番好きで、家畜を丸々一頭、平気で皮膚から体内に吸収≠キる大食漢だ。さらに、目を離すと路地裏に人間を引き込むとんでもない悪食あくじきでもある。
 独特の脂の味がたまらない――冷ややかに笑いながらそんなことをのたまった新しい主人に、従者たちは顔を引きつらせて揉め事は避けたほうがいいと提案した。家畜ならいざ知らず、人間が消えるのは問題になる。首に賞金をかけられたら動きづらくなると命懸けで進言した。
 必死の訴えに納得したオデオ神は、とりあえず最終目的のために食人を断念した。
「何を見ている?」
 硬いパンを引きちぎり咀嚼しながらオデオ神は地図を覗き込む。そして目を見張った。
「いつの間に……」
「これで二十箇所です」
 ジョニーはオデオ神の言葉にそう返す。
「バラバラなんだよな、古代樹。等間隔でもねーし」
「探すの大変だなぁ」
「こんなに歩き回るんだからよ、新しく地図でも作ってみるか」
「オレたちで?」
「そうそう、世界地図をよ?」
「い、いいなぁ」
「地図のすみにトムとジョニーで名前を書いてな。ああ、有名人になれるかも知れねーから、お前、字も覚えなきゃな」
「……わかった」
 すでに有名人になる気らしいジョニーは生唾を飲み込んで粛粛しゅくしゅくと頷く。むろん、地図を作るならもっと時間をかけて方々を歩き回る必要がある。正確なものを作るなら知識も必要だし、何より根気がいる作業だ。簡単になしとげられる物ではない。
 しかしちゃらんぽらんな二人は、すっかりやる気になっている。
「……おかしな奴らだ」
 にぎやかな従者に呆れ果て、オデオ神はパンを片手に部屋着のままそこを出て行った。
 しばらく地図を見つめて大騒ぎしていた二人は、オデオ神が離れたことを確認して深く椅子に腰掛けなおす。
「緊張するなぁ」
「まったくだ」
 額ににじんだ汗をぬぐってジョニーがつぶやくと、トムも素直に認めて口元を歪めた。ニュードルの小姑王子と旅をしていてもここまで緊張することはなかった。気に入らなければ瞬時に命を奪うだろう君主は、暴君を通り越した恐怖の対象でもある。
「しかし、本当に古代樹ってやつはいくつあるんだ? 半端じゃねー数が出てくるんじゃないだろうな?」
「多かったらいいだろ? それだけ安心なんだし」
「……ジョニー、オレたちゃその間、神様のそばにいなきゃいけねぇんだぞ」
 クラウス王子とはわけが違う。クラウスは口やかましい小姑王子だが、小うるさいだけで無害な場合が多い。しかし、オデオ神は有害どころの騒ぎではない相手だ。
 命がいくつあっても足りないだろう。
「逃げてぇな」
 ぽつりとジョニーが口にする。ニュードルの王子つきの従者を示す小さな金の板くらいでこれといって荷物はないのだから、逃げようと思えばいつでも逃げ出せる。だが、どうしても二人はココロのそばから離れる気にはなれなかった。
 キメラの成長速度が並みでないことはわかった。ココロはすでに、女性として扱っても問題ないほどの外見を持っている。けれど中身は出会ったころのままの純粋な少女で、世間のことをあまりに知らなさすぎた。
「仕方ねえさ、最後まで付き合うって決めたんだろ?」
 皿に乗ったパンを見るともなしに見ていたジョニーに、トムはそんな言葉を口にする。アルバ神に呼ばれ、必要とされて二人はここにいるのだ。
「そだな。なあ、オデオ神ははがせないのかな」
「……剥がす?」
「無理かなぁ。あの子、いい子なのになぁ」
 パンを掴んで口に押し込み、ジョニーはもごもごと意見した。なぜああなっているか二人にはさっぱりわからないが、ココロとオデオ神とのあいだには境目のようなものがある。そう思い至って、トムは腕を組んで考え込んだ。
 入れ替わる原因はわからないが、最近はその頻度が増している。さらに、オデオ神が出ている時間が長くなっているから始末が悪い。
 ココロとオデオ神をわけられるならそれに越したことはないのだが――。
「難しいだろうな」
「そうか?」
「ああ、たぶんな」
 割合でいけばオデオ神が優位に立っているに違いない。下手なことをすればココロの命に関わる可能性もある。小細工をして最悪の状況になるとも限らないと考え、トムはあっさりと努力を放棄した。
 ジョニーは、納得がいかないと言いたげにしかめっ面をしながらもごもごパンを頬張って、飲み込みきれずに喉に引っかかったパンに目を白黒させる。差し出された水で流し込むと、肩で大きく息をした。
「大丈夫か?」
「死ぬかと……」
 肩で大きく息をする。涙目のジョニーと苦笑に細められたトムの目は、ともに同じものを凝視していた。
 黄ばんでボロボロになった一枚の地図に刻まれたホルームルクスという見慣れぬ地名。そして、そこに重なる深い霧に鬱蒼とした森、多くの魔獣の影。
 何度瞬きを繰り返しても幻視は消えない。霧はさらに濃度を増し、苔むした森の香りが鼻腔にまで届く。五感だけが見知らぬ土地へと移動したかのような奇妙な状況だ。
「霊山だ」
 ジョニーの言葉にトムは頷く。
「アルバ神か?」
「だったら風景じゃなくて、もっと役に立つ情報を――」
「ジョニー、結界に入った」
「へ?」
「神を宿す人間が、霊山の結界に入ってきた」
「あ、本当だ。……なんで?」
 地図に重なった霧深い森を見ながらしきりと首をひねる。うまくアルバ神と連絡を取りたいところだが、ここ数日間はまったく無反応に近い状態が続いていた。
「呼びかけられるか?」
「うー」
「……オデオ神には気付かれないほうがいい。まあ、連絡とるなんて器用なこたぁできないがな」
 依代の少年が一人、霊山の結界に入った。
 そして、いま一人も、また。


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