act.73  無知


「川って使えないの?」
 陸は鼻息の荒い馬のような動物≠ちらりと横目にそう問いかけた。興奮しているその生き物は、太い後ろ足で土くれを蹴り飛ばして荒々しく首をふる。
「山頂に向かう道に水路はありません。水路ならもう少し早く移動できるんですが」
 少し残念そうにリスティは返して動物にエサとなる飼葉をあたえた。草の入った容器に顔を突っ込んで大きく揺すりながら食事をするさまを目の当たりにし、陸は恐る恐る視線をそらす。
「これ、馬じゃないよね?」
 どう見ても獰猛な生き物を指差すと、リスティはきっぱりと言い放った。
「馬です」
「……馬なの?」
「はい、馬です」
 確かに形は似ている。四本足で足と首が長くたてがみもある。動きもそれそのものだし、ポニーに近いとはいえ、馬と言われれば頷きそうになる。
 しかし、目の前の動物の額には瘤状の隆起があり、仙人のような豊かなヒゲがあった。しかもその口は筒状になり、歯はそれに沿うように生えている。
「……そうなの、これ馬なの」
 いやこれは馬じゃないだろ、ってゆーか未知の物体? と、陸はボケと突っ込みを心の中で繰り返す。
 少し離れた位置で陸がしゃがみこんで馬と名のついた物を観察していると、その隣に大きな木製の容器がどっしりと置かれた。
「感心してないで自分の馬にエサをやったらどうだ。道中振り落とされないためにも誰が主人かはっきりさせるには役に立つ」
 陸はクラウスをちらりと見上げて立ち上がる。
 一晩借りた宿には都合よく馬が三頭いた。どれも気性の優しい子だと目じりを下げる宿屋の親父を思い出し、陸は魂が抜けそうになる。
 この動物は、馬のクセに猫をかぶるのだ。
 馬たちは宿から出て一時間後に大暴れをし、今もエサが口にあわないのか不機嫌な面で眼をたれてきた。
「ありえなーい」
 ヘロヘロ笑うしかないこの状況で、陸はやっぱり笑っている。ボディ・ガードであるレイラが刈ってくれた草の入った木製のバケツを手に、ネジが外れたような笑みのまま馬に近づくと、案の定威嚇された。頭を低く落として前足で大地を蹴る格好は、闘牛を思わせる。
「落ち着け。話し合おう」
 にじり寄りながら馬相手に意見してみる。いっそクラウスの乗っている恐竜もどきを借りようかとも考えたが、どうやらあの奇獣はクラウスだけになついているらしく、陸が乗ろうとすると猛烈な勢いで嫌がった。
 移動に時間をかけるわけにはいかないので馬に乗るしかないのだが、どうにもコミュニケーションの計りにくい相手にお手上げの状態である。
「落ち着け、……えーっと、ポチ?」
 動物には好かれるほうの男は、低くうなりだした馬もどきに足を止める。どうやらその名はお気に召さないらしい――しかし、とっさに思い出す名と言ったら、チャッピーだのタマだのと、さらに馬の機嫌を損ねそうなものばかりだった。
 目をそらせば襲われるに違いない。
 陸はできるだけ腕を伸ばし、飼葉を馬に差し出してじりじりと後退した。その途中で体を起こした馬は、鼻から一つ大きく息を吐き出して、木製のバケツに前足をかけた。
 食べる姿勢とは違うぞと陸が首を傾げるよりも早く、馬はバケツを横に倒し、ふんっと大きく息を吐き出した。
 そして、唖然とした陸にむけバケツを軽く蹴って見せる。
「ああ!? なに!? なんなの!? ってか、お前本当に馬か――!?」
 朝からこの調子で陸は叫び続けている。なんとなくその理由がわかるクラウスとリスティは互いの顔を見合わせて肩をすくめた。
 聞けば、彼は異世界からこの世界に落ちてきたらしい。
 つまりはこの世界の人間ではない。様々な常識の欠落は、確かによほど僻地か隔離された場所での生活を彷彿とさせるほどだ。異世界からの来訪者というのには疑問が残るが、真っ当な生活を送っていなかったことなら信用できる。
「異世界の者」
 ふとリスティがつぶやく。彼と同じように落ちてきた者は、礎の女神を宿していると言うのだから夢物語にも磨きがかかっている。
 破壊と想像をつかさどる神、死と再生をつかさどる神、さらには礎の女神がそろったとあれば、それは確実に神話の時代の到来――しかも、大地創造の部類に入る。陸の様子から知って口にしたとは思えないが、知らずに口にしたというならかなりタチが悪い。
「信じるか?」
「……キメラが作られ、神が降りるような状況です。頭から否定するほど突飛な発言とは思えません」
「……陸とかいったな。あれが連れていた娘がキメラ――破壊神の依代か」
「クラウス様」
 硬い声で呼ばれ、クラウスは馬と格闘する陸から視線をはずした。
「あの少女を助けたいんです」
「カーンとメリーナを喰った邪神だ」
「それは……」
「滅ぼさねば二人も浮かばれない」
「……でも、陸が悲しみます。あの子は……ココロは、人を殺せるような娘ではありません」
「所詮キメラだ。人と同じではない。……心も体も、寿命も、な」
 はっとリスティが目を見張る。人とそれ以外を組み合わせて魔力で繋いだ紛い品は万能ではあるが欠点が多い。異形化、発狂、凶暴化、さらに新たな病の温床となる事もある。幸いにして短命だから被害は小規模ですんでいるが、あまり歓迎されるものではない。
「それでも」
 リスティはそう言ったきりうつむいた。
 朝から顔色が冴えないその横顔をちらりと見て、クラウスは溜め息をつきながら魔獣の喉を乱暴にさすった。
 どうやらカーンとメリーナの死について責任を感じているらしかった。市場でおかしな者に買われれば、死ぬよりひどい目に合うことは容易に想像がついた。とくに見目のいいキメラは希少価値が高く高値で売買される「商品」なのだ。所有権を得た者は、短命であるキメラを「無駄なく」使うことを模索する。
 破壊神に喰われたことは悲劇としか言いようがないが、あの二人にとっては生き地獄が短くすんだだけ幸運だっただろう。
 高い地位にいるクラウスは、財に物を言わせる者がいかに貪欲であるかを知っている。人と違うものを持つことが彼らにとって自慢であり、人より優位に立つことが何よりも好きな愚か者ども。
 クラウスは暗く澱んでいく思考を切り替えるようにわずかに頭を振った。
 隣にいる少年はニュードル国王がもっとも信頼をおく大臣家の嫡子だが、一歩間違えれば市場で「商品」として扱われていた可能性がある。
 これからも、両性具有であるリスティは金に目のくらんだ者たちから隠れて生きていかなければならない。そう思うと色々不憫な気がした。
「破壊神についてはおいおい話そう。伝承が残る場所まではまだかなりかかるのだろう」
「はい。馬の様子がこれなので……少し、時間がかかるかと」
「それなら旅が始まるまで休んでおけ」
「え?」
「体のつくりが違う分、負担も大きいだろう。無理せずオレか――ああ、レイラのほうが適任か。とにかく相談しろ」
 当然のことを口にするとリスティの顔が見る見る赤く染まっていった。その様子から、あまり労わられたことがないのだなと勝手に推察する。カルバトス候は、こんな人間相手に跡継ぎ云々を愚痴っていたのかと軽くめまいがしそうだった。
 無事にニュードルに帰ったら、まずカルバトス候に文句を言う必要がある。人間には得手不得手というものがあるのだから、養子でも何でももらって勝手に体裁をつくろうのが一番いい方法だ。
 直接伝えるのは角が立つが、まぁ大きな代償の替わりに支払うのがそれなら安いものだとクラウスは一人納得する。話を切り出すきっかけさえあれば後はなんとでもなる。
 難点をあげるならクラウス自身が危険に巻き込まれ、無事に帰れるかどうかが不明なところだ。
 さらに魔獣の代わりにおいてきた従者二人も気になる。要領はいいほうだからさほど心配はしていないが、それでもやはり気がかりであることは確かだ。
 なかなか悩み事が多い。
 クラウスが小さくうなりながら何気なく陸を見ていると、彼はまだ馬の食事を与えている真っ最中だった。
 与えると言ってもただ容器の草を食わせるだけだ。普通なら失敗しようがない。
 しかし彼が差し出す草は気に入らないのか、馬は容器を倒したり蹴飛ばしたりと大騒ぎだった。
 先が思いやられて溜め息がもれる。
「クラウス様」
「ん?」
「……最後までお供して宜しいでしょうか」
「好きにしろ。どうせ何を言ってもついてくるんだろう。お前は物知りだからいてくれたほうが助かる。……オレこそ、邪神の毒にてられた身だからお荷物にしかならんかもしれん」
 淡々と返すとリスティが少し驚いた表情をしてから楽しげに笑みを浮かべた。
「では、お相子という事で」
 久しぶりに聞く言葉にクラウスも表情を緩める。近くで大騒ぎする男がいなければ、さぞいい場面であったろう。
 少し苛立ちながら首をひねると、いつの間にか陸の頭部が馬の口にすっぽり覆われていた。
「……!?」
 草食の馬が人を食べるわけはない。しかし、あまりの光景にそれをすっかり失念していた一同は、それから一時間ほど大騒ぎをしていた。


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