act.70  迷路


 リンゴ畑から脱出したニュードル国王一行は、そのまま王城へと戻った。一夜明けた現在、トムとジョニーは肩を並べて仰け反りそうな食事を前にすっかり硬直していた。
「なんじゃ、口に合わんのか?」
 フォークを握りしめたままの二人を、国王であるジルは不思議そうな顔で見つめている。
 広い部屋には呆れるほど長いテーブルが一台置いてあり、テーブルの上には美しく花が生けられていた。陶芸で有名な国から取り寄せた皿は値段を聞くのもおこがましいほどの一級品で、ナイフとフォークは顔が映るくらい磨きこまれている。
 部屋には給仕をする下女が何人も控え、料理は料理長自らが運んできた。
 一般人が体験できないような食事風景である。
「は、いや、……うまそうです」
 トムとジョニーは慌てて皿の上の見た事もない料理を口に運んだ。しかし、緊張しすぎて味などさっぱりわからない。苦労して呑み込んで、作り笑顔をジルに向けてから二人はちらりと顔を見合わせた。
 確かに結果的には命の恩人という事になるのだろう。
 しかし平凡すぎるほど平凡な暮らしに慣れてしまった二人には、この待遇は窮屈すぎた。柔らかな寝台での睡眠はあまりに浅く、用意された服は派手の一言。クラウスのほうがよほどまともに思えてくる。
 同時に溜め息をついて、そして視線を移動させる。成り行きとはいえ、エリオットまでこの朝食につき合わされているのだから不憫な気がした。
「しかし、王族血縁者だったとは」
「人は見かけによらないよな、トム」
「そうだな、ジョニー」
 しかも王都ルーゼンベルグとニュードル双方の血を引いているというから驚きだ。隊長という身分にも耳を疑ったが、人はつくづく見かけによらないもんだ、と従者二人は深く頷く。
 多少緊張はしているものの、エリオットは他と見劣りしないくらい礼儀正しく会食に参加している。
 食い散らかされた互いの皿を見て、トムとジョニーは苦笑いした。
「それで、息子はどうしてる?」
 一番に聞くべき話題をいまさら出して、ジルはそう問いかけてきた。
「あ……いやぁ、はぐれまして」
 フォークを持ったまま頭をかいて、トムはジョニーの脇をつついた。二人にくっついてきているアルバ神の一部から流れてきた情報によれば、状況はあまりよくないらしいのだが、それを素直に父親であるジルに伝えることは躊躇われた。
 クラウスの体には時限式の毒がある。アルバ神の力を以ってすれば抜けなくはないのだが、問題はアルバ神の本体を取り込んだ少年にあった。
 トムとジョニーは再び同時に溜め息をついた。
 見殺しにすることはできないが、簡単に助けられるという状態でもない。
「あの、一応無事みたいです」
 ジョニーは慌ててそう付け足した。
「ふむ、無事か」
 安堵したようにジルはグラスに手を伸ばした。しばらく静かに食事がすすみ、次々と出される食事に目を丸くしながらも口に運ぶ。
「……魔術師は」
 ポツリとジルが口にして、言葉を濁した。
 原形すらとどめていなかったあの惨状は、とても真っ当な人間の仕業とは思えなかった。殺すことを楽しんだとしか考えられない。一輪だけ添えられた花は弔いではなく、軽賤きょうせんし嘲笑うかのように映った。
「国王陛下」
 トムは姿勢を正して低頭した。
「どうか内密に。……混乱を招くかもしれません」
 必死で敬語を選んでしゃべっているせいか、声が微妙に裏返ってしまう。ジルは、ふむ、と難しい顔でそう言ったきり顎鬚を梳くように撫でた。
 やがて、
「あれはそこにおるのか?」
 淡々と問いかけた。立ち込めた死臭はぬぐえない。そこと言うのは比喩で、あれというのはクラウスの事――ジルは、まだ表に現れていない異変を指して、二人を見つめた。
 返答に窮してトムは頭をさらに深くさげ、ジョニーは唇を噛んで視線をテーブルに落とした。
「……そうか」
 二人の反応から、ジルは一つの言葉を導き出す。
「まぁ、あれも無駄に旅好きというわけでもあるまい。心配はしておらんよ。お前たちもご苦労だったな」
 ねぎらいの言葉に従者は驚いて顔をあげる。ジルは頷いてから、エリオットに視線を移した。
「こんな状況だ、其方も祖国に戻ったほうがいい」
 静かな声にエリオットは動きをとめた。
「帰してくださるのですか?」
「隊長一人捕らえたごときでこちらの利にはならん。それよりも、急ぎルーゼンベルグ王に其方の知る顛末を連絡してくれたほうがこちらとしても助かる」
「それは……」
「捕らえる気なら、食事になど誘わんよ」
 重ねて告げられてエリオットはようやく頭をさげた。
「感謝します」
「いや、礼を言うのはワシのほうじゃ。其方らが魔術師に会うために森に行かねば、あの森で野垂れ死んでおったかもしれん」
 素直にそう認める男に驚きを隠せない顔を向ける。見た目は平和ボケしていそうな雰囲気なのに、なかなかどうして大した器である。
 では、とさっそく立ち上がる男に、ジルはポンと手を打った。
「つかぬ事を聞くが独り身か?」
「はい」
 不思議そうに頷くと、
「年頃の娘がおるんだがどうじゃ?」
「陛下!?」
 ぎょっとして控えていたアントニオが悲鳴をあげた。
「急に何を……!」
「なかなかこれと言う相手が見付からなくてなぁ。別に、国交は考えておらんのだが、ホレ、姉君の娘の息子なら、末娘も安心してやれるというもんじゃ」
「しかし、陛下! あまりに唐突です!」
 娘のほとんどは政略結婚で他国に嫁いでおりいまさら唐突も何もないのだが、アントニオは真剣な顔で抗議してくる。
 ジルはちらりとアントニオに視線をやってからエリオットを見た。
「昨日の態度といい今日の態度といい問題はない。……あとで会ってみんか?」
「はぁ」
 呆気にとられてエリオットは頷いた。
「しかし、自分は隊長とはいえ名門の出ではないので……一国の王女をいただくには分不相応ですが」
「身分など気にせんよ。それに其方が気に入らねば断ってくれてもかまわん。会うだけ会ってやってくれ」
「……そうおっしゃるなら」
 エリオットが頷くとジルは給仕の女を呼びつけて案内を頼んだ。二人が出て行ったドアを満足げに眺めていると、アントニオが呆れ顔でテーブルに近づいた。
「一体なにを急におっしゃるんですか」
「なに、ワシを前に怯まぬとは、見上げた男だと思ってな」
「……陛下」
「うむ。あとで姉君に連絡でも入れるとしよう、さぞ驚くぞ」
「……話が進むとお考えですか?」
「シャルレーゼは母親似で容姿がいい」
「それは存じ上げております」
「そろそろ結婚してはどうかと聞いたら、なんと答えたと思う?」
「……」
 機嫌よく聞かれ、アントニオは踵を返した。
「聞きたくありません。まったく、あなたという方は……」
 大げさなほど肩を落として遠ざかっていく。そんなやり取りを唖然と眺めて、トムとジョニーはお互いをつつきあった。何だかよくわからないが、とんでもない一面を目撃してしまった気がしてならない。
 そして、その光景になぜかホッとする。
「なぁトム」
「ああ、ジョニー。オレたちも、自分の仕事をしなきゃならねぇな」
 急かされるように二人は椅子から立ち上がった。
 王の許可なく席をはずすなど無礼極まりないことは重々承知で頭をさげた。
「オレたち、その……」
「行くのか?」
 短く聞かれて耳を疑った。
 色々な言葉が省略されているにもかかわらず、真剣なジルの眼差しが何を指しているのかがわかる。
 生きてここに帰ってこられるかはわからない。少し前ならば、確実に逃げていただろう。
 人並みか、人より劣るかもしれない二人は、はにかむように笑っていた。
「こんなオレたちでも、必要だって言ってくれるんですよ」
 神と呼ばれた者が、言葉ではなく思いでそう告げてくる。
「だから、行かなきゃって……なぁ、ジョニー」
 トムが隣を見ると、大きくジョニーが頷いた。そんな二人をじっと見つめてジルは微苦笑する。
「……そうか。戻ってきたら、食事の続きでもどうじゃ」
「そりゃもう、ぜひ」
 破顔して礼を言い、照れたように肘でお互いをつつきながら部屋を出た。この部屋に続く道を再び歩けたなら、それは最高の栄誉になるだろう。そんな思いが胸に満ちる。
 上等な絨毯を敷き詰めた廊下を踏みしめた足が、ふいに草に触れる。
「え?」
 異口同音でもれた声が大気に溶ける前に、二人の視界から惜しみなく金をつぎ込んだと知れる彫刻を飾った廊下が消えた。
 足に触れた草を踏みつけた瞬間、二人の眼前には森が広がる。その急速な変化に驚愕し、ほぼ同時に後退した。
 背中を衝撃が襲い、次に鈍い痛みがきた。
 振り向くと、そこには巨大な樹木が生えている。
「……トム」
「なんだ、ジョニー」
「お、オレ、城の廊下を歩いてたはずなんだけど」
「オレもそのつもりだったぜ、ジョニー」
 悠久の時の中で育まれたことを知らせる大木の幹は苔むしている。これほどの大木はニュードル領土には存在しない。思わず二人で幹をまじまじと見て、それから頭上を仰いで緑が生い茂る枝を眺めた。
「……でかいな」
「すげーな。なんて木だろう」
 首を動かしてようやく枝の先を確認し、トムは反対側も見た。しかし、全長が大きすぎてうまく把握することさえできない。
 城がすっぽり入ってしまうほどの枝振りだ。すでに常識の範疇は超えている。
 二人は幹を軽く叩いてから視線を巡らせ、そこが城の廊下どころか、未開の大森林であること察知した。
「神様、なんか言ってるか?」
「……別に……森を進めって……なんか、ぼんやりしてきてねーか?」
 くるぶしほどの草を踏み倒して二人はしぶしぶ歩き出す。前後左右には木が生えているが、なんとなく道らしいものもある気がする。分かれ道らしき場所に来るたびに心の中でアルバ神に問いかけたが、神の返答はなく、逆にその気配は刻々と薄れていった。
「どうする?」
「あー、適当に行くか。助け待っても来そうにねぇからよ」
「だなぁ。じゃあ次の道は左で」
「じゃ、次は右な」
 この状況なら不安に思ってもいいのだが、トムとジョニーはアルバ神からの返答が望めないと知ると、持ち前のいい加減さを遺憾なく発揮して歩き出した。
 入り組んだ道は延々と続いている。途中で何度か休息を取り、二人は何かに呼ばれるような奇妙な感覚を覚えてあたりを見渡して方角を決めた。
 やがて、小さな丘に辿り着く。
 木と草しかないと思っていた二人は、そこに人が倒れているのを見て駆け出した。
「……女の子だな」
 顔を覗き込んで確認した。年のころは14、5歳といったところだろう。長い黒髪が大地に流れている。着ている服はヒラヒラのドレスなので、どこかいい家に住んでいたのかもしれない。そう思ってから、興奮気味に二人の視線は彼女の背に向かった。
 肩甲骨のある場所から異質なものが飛び出している。
 ゴクリと喉が鳴った。
「トム、オレ、初めて見たんだけど」
「オレもだ」
 少女の背中には水鳥の持つような純白の翼がある。翼は綺麗にたたまれていたが、呼吸に合わせて小刻みに揺れる様子はとても作り物には見えなかった。
 広げればどれだけの大きさになるだろう。これくらいあれば、実際に空を跳ぶ事もできるに違いない。
 人では有り得ないその生命を、魔術師たちはこう呼んだ。
「――キメラ」
 少女はどこか苦しそうな表情で両膝を抱えて眠りについていた。


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