act.69  変り種


 ふっと目を開け、陸はすぐにそれを閉じる。
「夢かぁー」
 自覚はあったものの、実際にそれを確認するとひどく疲れた。もぞもぞと硬いベッドから身を起こしてきしむ体をほぐすように肩を回す。
「えーっと、なんだっけ? ホ……ホなんとかの霊山の祠に行って」
 要と交わした会話を反芻する。夢の中ですんなり出た地名は、目覚めた後では妙に言葉にしづらかった。
 忘れてしまわないように記憶を掘り起こして溜め息をつく。
 果たして役に立つのかどうか。あれが願望だと指摘されれば素直に納得してしまう陸は、人知れず肩を落とした。
 ひとまず誰かに相談しようと狭い室内を見て、そこでようやく誰もいないことを知る。クラウスと呼ばれる王子が眠っていた寝台はきちんと整頓されていた。
 昨夜、リスティも同室にしようとしたクラウスに、陸は断固として反対した。年齢を聞けば17と答えられ、緊急時でもないのに同室などとんでもないと主張する。
 勢いあまって理由を説明すると、その場に微妙な空気が流れた。
 リスティが両性具有と知っていたならあの反応はなかったような、と陸は呑気に首を傾げる。
 ボディカードのレイラだけは神妙な顔をしていたが、どうやらまずい発言だったらしい。今頃それに気づき、陸は寝台から降りて手早く用意された服に着替えた。さすがに王都の甲冑で歩き回るのはまずいと判断したクラウスの配慮である。
「にしても、変な王子様だよな」
 どうも日常らしいが、陸が脱いだ甲冑をしげしげと眺めながら延々と感想を述べている姿はなかなかおかしなものだった。
 結局四人で旅をすることになったんだっけと確認するように思い出し、調度品の少ない室内を見渡すと、洗面器のようなものが寝台の脇の小さな机の上においてあるのに目をとめた。眠る前に聞いてみたところ、それは顔を洗うため用意されているらしい。水道はなく、水は川か地下水をくみ上げるのが一般的で、森の中の宿屋には井戸があった。
 顔を洗って添えてあった布で乱暴に拭いてから部屋を出る。
 目まぐるしく状況が変化している。
 要と別れ、ココロを拾い、甲冑を奪ったことによって盗賊と間違われて賊の船に乗り、客船を襲うことに反発すれば逆に捕まって――。
 そこで、リスティに会って始めて言葉が通じるようになる。
 自身の変化と状況の変化は、アルバ神によるものなのか、ひどくタチの悪い偶然なのかはこの際どうでもいい。
 陸は投げやりにそう考えた。
 今一番気になるのはココロのことで、次は幼なじみの安否である。
 ひとまずその二点が解決すれば後はどうとでもなれ、とすら考えていた。
 解決の糸口など想像もつかないが、今は霊山とやらに向かう必要がある。朝食をとって早々に出かけようと決めて不快な音をたてる廊下を移動した。
 その途中で陸は足を止める。
 何か言い争うような声が聞こえる。そういったことに敏感な男は、すぐさま当たりをつけて歩き出した。声は室内から漏れている。聞き覚えのあるそれに驚いて、陸はドアのひとつを勢いよく押し開け――そして固まった。
 陸がいた部屋よりさらに狭いその部屋には、ベッドとテーブルのセットしかない。
 一台きりのベッドには人影が二つあり、折り重なるように倒れこんでいた。
「失礼しました!」
 状況を理解するよりも早く陸はドアを閉める。
 心臓が早鐘をつくように脈打っている。思いっきり覗いてしまった室内は、おそらく情事の真っ最中だ。混乱しながら、何だあの二人はそういう関係だったのかと納得しかけ、クラウスがリスティの体の異変に気づいていなかったことを思い出して首を傾げた。
 恋人同士というならあの驚きは有り得ない。
 しかし室内は非常に色っぽい状態になっている。
「なんで?」
 疑問符を浮かべながらつぶやくと中から助けを求められ、陸ははっとして再びドアを開けた。
 真っ青になって押し倒されるリスティを見て、ほとんど条件反射でクラウスを引っぺがして壁際に押さえ込んだ。
「何やってんだよ、あんたは!」
 合意の上ではないらしいことだけ理解して怒声をあげると、押さえ込まれたクラウスはしれっとして口を開いた。
「両性具有は初めて見た」
 婦女子の股間を覗いておいてぬけぬけとそんなことを言う。もろもろの理由から陸も拝見させてもらったが、これとそれとでは明らかに状況が違う。
 ふつふつと怒りがわいた。
 神聖視するつもりはないが無理やりというのは納得がいかない。しかもこういうデリケートなことを無神経に扱うのは配慮がなさ過ぎる。
 自分がその原因を作ったことなどすっかり忘れ、陸は拳を握った。ひとまず腹に一発入れておくかと思った矢先、背後からその拳をとめるようにリスティが手を伸ばしてきた。
「大丈夫です。少し混乱しただけで」
「や。殴っといたほうが本人のため」
 真剣に言われたので真剣に返したが、リスティの手が去る気配はなかった。陸は溜め息とともに拳を解いてクラウスを解放した。
「カルバトス家にはお前以外に嫡子となる者はいないな。こうも隠したがるわけか。……くだらんな」
 襟を正しながらぽつりとクラウスが口にする。
「くだらないって何だよ?」
 癪に障って噛み付くと、クラウスは陸に視線をやった。
「リスティは名家を継ぐ人間とは思えん。馬を操り剣を手にするくらいなら花をで、人を使って画策するより茶と談笑が似合う。公もそれくらいはわかっているだろう。だが、子息が一人しかいない。しかもその跡取りの体には欠陥があって世間体が立たない。隠し通さねば陰で何を言われるか、さぞ気が気ではなかったろうな。その焦りはわかるが、事実を隠してもカルバトス家が繁栄するはずはなかろう」
「よ……よくわかんないんだけど?」
「本人のやりたいようにやらせないカルバトス公――リスティの父親が馬鹿者だということだ」
「はぁ」
 わからない持論を出されて陸は曖昧に頷く。ちらりとリスティを見ると、何の反応もなくうつむいたままだった。
 両性具有というのは珍しい。
 だが、そこまで神経質になる必要があるのだろうか。
 確かに人生を左右するほどの一大事には違いないが、クラウスの口調や表情は、まるでリスティを――普通とは少し違った人々を全否定するような雰囲気さえある。
「それで」
 陸は思わずクラウスを見つめた。
「あんたはどうなんだ? そういう人種は認めないの?」
「それこそくだらん」
 ふんと鼻で軽く笑われた。リスティが安堵したのを気配だけで感じ取り、それでなんとなく彼も安堵して肩の力を抜いた。
 保護されなければいけない人間が煙たがられるのには納得がいかないが、こちらはこちらで事情があるらしい。
 ぼりぼり頭をかくと、その手が不意に掴まれた。
「なに!?」
 まさか男に手を握られるとは思ってもみない陸は、慌ててクラウスから離れようとしたが、彼の手はしっかりと陸のものを掴んだままだ。
 その視線が指に集中していることにひどくうろたえた。
「なんなの!?」
 力任せに手を引くと、クラウスは柳眉を寄せて陸を凝視する。
「その指輪は?」
「指輪?」
 繰り返して陸は自分の指に視線を落とし、そして妙な声を上げた。
 夢の中に出てきた指輪が夢から覚めたあともそこに喰らいついている。抜こうと思ってしっかり掴んでひねってみたが、指の皮が引きつるような感覚があった。
「なんじゃこりゃ――!?」
「契約の指輪」
 ついっと近寄って、リスティはそう口にした。
「契約……?」
「神話の時代の遺物です。どこでこれを」
 クラウスに答えてから、リスティは陸に視線を戻した。
「知らない! ってか、たぶん夢の中! 要のものー!!」
 うわぁ怒られる、と陸は青ざめた。しかしそこまで考え、思い切り首をひねる。
 夢で会った要の指から拝借したのは確かだが、それはあくまで夢の範疇を越えていない。現実ではないのだ。
 だが、指輪はなぜか陸の指にある。質感も本物そのものだ。
「……夢、だよな?」
 口の中で結論の出ない問いをする。半分は現実であって欲しい。しかし、もう半分は夢であって欲しかった。
 赤く染まったあの部屋で、少女はひとり、涙を流すこともできずに泣いていたのだ。
「神様の指輪なの?」
 リスティに短く聞くと肯定された。
「対の指輪です」
「二個あるんだ? ……なんで?」
「神話ですが」
 リスティはそう前置きをした。
「浮気性の神に腹を立てた女神がそれを作らせた、という逸話があります。模様がどんどん替わっていくでしょう? それは移り気をたしなめる意味があるとか」
「あ、本当だ」
 小さな指輪には見事な模様が刻まれ、それは刻々と変化している。雄大な大自然が描かれた指輪の中には、まるでひとつの世界が存在するかのようだった。
「でも、それならひとつでいいじゃん」
「よりよい相手なら浮気する気にもならないだろう、という説があったそうで、それは相性のいい者を選び、互いが呼び合う珍品だそうです」
「呼び合う……」
「別名が運命の指輪。転じて、婚姻の印とも言われてます」
「……あの」
「はい」
「オレ、コレの相手知らないんですけど?」
 皮膚に同化しているんじゃないかと思うほど、指輪はびくともしなかった。


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