act.68  扉


 目の前には巨大な扉がある。
 世界を振動させるほどの轟音をたて、それがゆっくりと開いていくのを声もなく見つめていると、扉の向こうに見知った男の姿があった。
「陸!」
 大声で呼ぶと間抜け面を要へ向け、おお、と締まらない返答をした。足早に近づけば、まるで鏡に映したように陸も駆け寄ってきた。
「無事か?」
「オレはな。オレより、お前といっしょにいた女の子は……」
「ああ」
 聞いた途端、陸の表情が苦しげに歪む。その仕草だけでその相手が彼にとって特別な意味を持った相手なのだと知った。
 もともと陸は感受性が高い。すぐに何かを拾ってきては、まるで自分のことのように心配して尽力する。それが彼のいいところでもあり問題点だが、要はあえてそのことには触れないでいる。
 陸はあの子供をここで拾って面倒をみてきたに違いない。すぐに情がうつる彼の事を要は誰よりもよく理解している。そして陸は、いったん懐に入れれば老若男女を問わずとことん大切にするのだ。
 その一部に自分が含まれているのだと十分自覚のある要は、なんとなく釈然としない面持ちながらも笑顔を見せた。
「大丈夫だ、何とかなる」
「……」
「オデオ神を追い出せばいいんだ。そういう事だろ?」
「……そうだと思う」
 歯切れが悪く陸が返す。楽観的な男にしては珍しく、何か別のことにも悩んでいるらしい。
 幼なじみをしげしげと見つめ、要は小さく溜め息をついた。
 腐れ縁の幼なじみと別れていた時間はそんなに長くない。しかし、その間に色々なことがあったのだろう。
「ところでさ」
 思い悩む姿に落ち着かない気分になり、要は軽く声を発した。
「ここは?」
「ん? ……たぶん、神様の」
「ああ、あっち関係か。そう言われると、それっぽいな」
「空間曲げて、意識繋いでる感じ」
 開かれた扉はどこにも固定されていなのだが、倒れる事もなく不自然にそこに立っている。
 要は陸のいる場所に移動しようとし、途中で思いとどまって考え込む。扉は確かに開いているが、そこには見えない壁があるようだった。
「アルバって強いのかなぁ」
「セラフィより強いんじゃない?」
「セラフィ?」
「オレの中にいる神様」
「……礎の女神」
 ポツリと言って、陸は要を凝視した。
「え? なんで?」
「成り行き」
「だって、礎の女神って、その四肢って――」
「諸国を水没させないために犠牲になった神だ。お前にも神様の記憶、あるんだな」
「急に頭の中に湧いてくる。便利ってゆーか、不気味」
 素直な意見に苦笑した。お互いに、どうやら似たような立場にいるらしい。
 この現象が必然であるなら、ニ神が望んで機会を作ってくれたに違いない。あまり無駄にできないなと、要は冷静に判断した。
「とりあえず情報交換な。お前今どこにいるんだ?」
「……んー、船降りて、森進んだ先にあった宿屋。……で、休憩?」
「どこに向かってる?」
「ホルームルクスって霊山に女神伝説があるってお姉さんが……」
「考えることいっしょか。そこの近くに祠がある。ひとまずそこに行け」
「了解」
「で、お姉さんって誰?」
「お兄さんみたいなお姉さんみたいな人」
「なんだよ、それ」
「物知り。リスティって名前の……あ、王子様の目とか欲しがってる人」
 ますます怪しい説明に要は怪訝な顔になる。一体どんな奴らといっしょにいるんだと呆れると、その表情で何かを誤解したらしい陸は慌てて補足した。
「王子様も変な人だから!」
 フォローになっていない。
「あ、でも、ボディガードは普通の大女」
 大女が普通なのかどうか要には判断できない事項である。そこまで聞いて、彼の脳裏には傲慢なルーゼンベルグ王と一見少年のような格好をしたバルトの王女、さらにルーゼンベルグの王を守る女騎士の顔が鮮やかに浮かんだ。
「お前がいっしょにいるの、王子様と……男女と女の剣士?」
「そうそう、そんな感じ!」
「それってオレんとこのメンバーと同じ……」
 地位は違えどひどく似ている。なんでこんなところまで類似しているんだろうと呆れを通り越して感心していると、不思議そうな顔で突っ立っている陸に気付いた。
 陸に簡単に説明すると驚いた顔をされた。多少の違いはあるな、と半ばあきらめたように要は自分の指を見る。
 いまだにしっかり指に食い込んでいるリングは、やっぱり抜けそうにない。しかしもう一度試そう考えていると見慣れた手がぬっと伸びてきた。
 要がぎょっとする。
 扉を開け、互いを遮るものなどないかに見えるが、おそらく二人の間には壁がある。
 それもただの壁ではない。空間と空間を寸断する種類の、人が決して越えられないはずのものだ。
「うわ、綺麗な指輪」
 しかしその壁すら物ともせず幼なじみは手を伸ばし、あまつさえ要の指に喰らいついていた指輪をあっさりと抜いた。
 陸は感心したように目の前で指輪をひるがえす。
 一体どんな条件で抜けたりはまったりしているんだろう。そう悩んだが、神とはしょせん気紛れな生き物なのだ。自分がこの世界に落ちてきた経緯と神を「拾った」流れを思い出し、要は乱暴だがそう思うことにした。
 でなければやってられない。
 選ばれるほどの理由や資格など、何もないのだ。たまたま何かに引っかかり、たまたまここに流れ着いた。せめてそう思っていたい。
 陸が感心して見ているのも神の遺物とやらだから始末が悪いが、これで一つ、厄介ごとが片付いた。
 ホッと胸を撫で下ろした直後、要は目を見開いて怒鳴っていた。
「馬鹿か、お前は!」
 罵倒など慣れたはずの陸は、要の突然の言葉に身をすくませる。
「へ?」
「抜け!」
「は?」
「はじゃない! それ、抜け!!」
 陸はご丁寧にも要をまねて指輪を薬指にはめていた。ああごめん、と、相変わらず見当はずれの謝罪をしながら指輪を抜こうとし、首をひねった。
 ぐいぐい指輪を引っぱっていくうちに、指どころか陸の顔まで焦りで赤くなっていく。奇妙な格好でうなりながら指輪を引っぱっている。
 どうやら抜けないらしい。
 トゥエルの顔を思い出して要はぬるく笑んだ。対の指輪を誰がしているのかを知れば、陸はさぞかし嫌な顔をするだろう。
 婚約指輪という発想はないからまだいいものの、それでも歓迎できる状況ではない。
「陸」
 赤を通り越して青くなる幼なじみに声をかけると、情けなく泣きそうになった顔をあげた。
「取れないー」
「いいからつけてろ、その内はずれる」
「石鹸水とか!」
「で取れてたら、オレはとっくにはずしてた」
「ご、ごめんなサイ」
 素直に頭をさげられたら怒る気にもなれなかった。軽く苦笑して、ふとあたりを見渡した。
 どこからともなく低い音が響いてくる。すぐに世界が軋むようなその音の原因を思い当たり、要はとっさに陸から離れた。
「霊山で」
「あ、ああ」
「砕かせるなよ、女神の四肢。救世主なんてガラじゃないけど乗りかかった船だ」
「そうだな。このままじゃ寝覚め、悪いもんな」
「そーゆうこと。あの子も、助けたいし」
 綺麗な翼を持った少女を思い描いて口にすると、一瞬だけ陸の表情が悲しげに曇った。深く一つだけ頷いて、それからいつもの表情を無理に作って片手をあげる。
「じゃあな、要」
「……またな」
 扉が軋む。
 世界が軋む。
 空気を揺らすその音は、まるで自身の体からあふれ流れるように延々と広がっていった。
 そして糸が切れるように、プツリと途絶えて静寂を生む。


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