act.58  シーズン


 季節を問わず、甘い香りを放つ森がある。
 その森は、暖かい季節が近づけば枝に小さな芽を膨ませ可愛らしい花を咲かせて収穫の先触れを皆に伝えていた。
 しかしここ数年、花は絶えず咲き乱れ、たわわに実をつけた枝が異常なほど四方に伸びていた。
 ここに好んで足を運ぶのは彼――ニュードル国王、ジルの息子であるクラウスだけであった。
 ジルはアントニオを従えて森の手前で足を止めた。
「陛下! 御身自ら出向くなど……!!」
「真意を測るなら自分の目以上に信じられるものなどない。……しかし、気味の悪い森だな」
 武器を構えようとする騎士たちを片手で制し、そこで待つように言ってからジルは森へと足を踏み出す。
 動揺する騎士に視線を向けてから、アントニオは慌てたようにジルの後を追った。
 彼も彼の主も護身の剣など持ち合わせてはいない。武器を何ひとつ携帯しないで、魔術師がいる森へと――それが住む建物へと歩いている。
「危険です!」
「騎士を連れていては話にならん」
「ですが、丸腰では殺してくれと言っているようなものです!」
「……アントニオ」
「はい」
「ワシはまだ死ぬ気はない」
「自分もであります。せめて一人息子に嫁が来るまでは……!!」
 目に涙を溜めながら拳を握っている。ジルは彼の息子であるリスティを思いだし、あれでは女のほうが嫌がるだろうと同情した。
 個性的ではあるが、リスティは国一番の美女と歌われた母に似ている部分が多い。父親に似なかったのは大いに結構だが、容姿以上に奇抜さも母譲りなようで顔をあわせるたびに感心したり苦笑したりと反応に困る。
「……まあ、それも頑張れ」
「なにを言っておいでです、陛下もですよ」
「ワシ?」
「独り身で暇をもてあましている息子がいたでしょう」
「あ〜……ああ」
 いたなぁ、と肩を落とした。第四王子はいつも頭痛の種だ。悪い子ではないのだが……ないのだが、どうにも手に負えない。
 その息子がなにやら企んで出て行ったものだからリスティも後を追い、話の流れでリンゴ畑まで足を運んでいる。
「クラウスはなぁ……どこかによい姫はおらんかのう。あれはワシに似て容姿端麗じゃし、器量はあれじゃが……ん?」
 ジルは視線を感じてアントニオを見た。
「なんじゃ?」
「いえ」
「言いたいことがあるなら言ってみろ。ホレ」
「いえ、とんでもない」
 ツカツカ歩きながら肘でアントニオの腹を突くと、大きな咳払いが返ってきた。どうせ容姿端麗に引っかかったのだろう。ずんぐりむっくりな己をよく知っているジルは苦笑して歩く速度をあげた。
 悪臭と大差ないほどきつい芳香が鼻腔を突く。
 ジルはいったん足を止めてあたりを見渡した。そして、近くにある枝に手をのばしてへし折った。
「行くぞ」
 枝を振り回す主人に驚きながらもアントニオは素直に従う。しばらく歩いてから足を止めて、彼は再び木に近づき、先刻折った枝をかざした。
 アントニオは不思議そうにジルの手元を覗き込んだ。
「なんですか?」
 見詰める先で、ジルが折った枝を初めから折れていた枝につけた。
 アントニオは目を見張る。ぴったりと重なる二つの折れた枝は、別の枝同士ならありえない。
 しかし同じ枝だと断言できない理由があった。
 アントニオは自分が歩いてきた道を振り返って確認する。ここには整備された道はないが、獣道のようなものならある。
 二人はその道をまっすぐ進んできただけだ。ひきかえしたりなどしてはいなかった。
「……これは?」
「ふむ。祈祷師を連れ来るべきだったな」
「どうされるので?」
「迎える気はなさそうだ。このままでは交渉もままならん、いったん戻って祈祷師を連れてこよう。行くぞ」
 枝を捨てて歩き出すと、すぐにジルは立ち止まってあたりを見渡した。空気が変わった気がする。
 甘い大気に何か別のものが混じっている。
 ジルは小走りで移動し、そして再び足を止めた。
 ちらりと森を見やり、彼は大きく溜め息をつく。
「すまん、アントニオ」
「なんでしょか!?」
「……」
 ジルは空を見上げた。葉の隙間を縫うようにして光がこぼれる。
「どうやら、閉じ込められてしまったらしい」
 その手で折った枝は彼の足元に転がっていた。

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