act.52 細い


「……リンゴ畑」
 陸は口の中で小さく繰り返す。
「へぇ、リンゴってこっちでもあるんだ」
 変な魚や変な生き物を見ていたせいか、共通するものがあるというイメージがなかった。赤くなくて形が妙かもしれないが、その名に相当するものはあるらしい。
「……食いモンじゃなかったりして」
 大きくなっていく炎をぬるい笑顔と共に見詰め、陸は手紙をたたむ。
「リンゴ畑?」
 リスティとワンズが同時に口を開くと、陸は手紙をリスティに返しながら頷いた。
「手紙の端に書いてあった。王都が動いてて、リンゴ畑からよくない風が吹くから気をつけろってさ。……さっぱりワケわからん」
 リスティの身形からすれば、奇抜ではあるが手紙の送り主がそれなりの財を持っていることがわかる。その男がどこかの国の宰相に宛てた手紙となると――しかも、わざわざその内容を隠したとなると、箇条書きのこの手紙もただのメモ書きとは思えない。
 考え込んでいると、ワンズの顔がこわばっている事に気付いた。
「そーいや、オレが仲間って勘違いされたってことは、この船も王都と無関係ってワケじゃないんだろ」
 甲冑のマークを指でとんとんと叩きながら問うと、ワンズは気まずそうにそっぽを向いた。甲冑に刻まれたのが王都を示すものなら、すでに答えは出ている。
 それなら、次に確かめる必要があるのは記された場所だ。
「リンゴ畑」
 難しそうな表情でリスティが繰り返す。
「そういえば、ニュードルにもリンゴ畑があります。……クラウス様も、確かそんなことを……」
「クラウス?」
「ニュードルの第四王子です」
「……王子様。ニュードルって?」
「フロリアム大陸でもっとも大きな国」
 次はフロリアム大陸とは何だと聞こうとして、陸は質問を呑み込んだ。こんなところで設問に明け暮れる暇はない。これから必要になる知識かもしれないが、それを全て聞いているほどの時間はなかった。床を焼いた火は、すでに壁を伝って天井を焦がしている。
 難しい顔でそれを眺め、ワンズが深く溜め息をついた。
「行くか」
 黒煙が天井を埋め始めた。わずかに廊下へ流れ出したのを確認して、出口へと向かう。
 ワンズは大きく息を吸うと、がなり声を上げた。
「大変だ、火事だぞ――!」
 芝居がかった大声に、そこにいた者が耳をふさぐ。ココロを含めるキメラたちは、泣きそうな顔でワンズを睨みつけていた。
「耳がいいのも大変だな……」
 同情しながらココロを抱き上げる。以前より少し重くなっていることに気付き、笑顔が引きつった。どうしても弟たちと同じ扱いをしてしまいがちだが、ココロは女の子なのだ。
 陸はココロを下ろして手を差し出した。
「走れるな?」
 戸口まで行くと、煙に気付いた船員が騒いでいる声が聞こえた。炎はどんどん上の階へと移動する。床から漏れてきた煙と熱に、さぞ混乱している事だろう。
「逃げろ!」
 階段に向けて叫ぶと、せわしなく走り回る足音に怒鳴り声が混じった。
 陸は出かかった部屋の天井をちらと見上げる。
 火の回りが速い。天井に到達した炎は瞬く間に燃え広がり、黒煙をあげながら頭上を覆い尽くしていた。
「うわ、ヤバ」
 陸は同じように頭上を見上げるココロの手を引きながら、背後から付いてきているリスティにも手を伸ばした。
「レディファースト」
「……レディ?」
「女性優先」
「私は女では……」
「いや、オレにとっては」
 にしゃっと邪気なく笑ってみせると、リスティは戸惑いながらも部屋を出て他の者に続いて廊下を歩き出した。
 熱気が迫ってくる。轟々と音をたて始めた室内からココロと一緒に出て、煙が移動を始めたのを確認する。
 陸にはここが船のどの部分なのか皆目見当はつかないが、幸い、先頭を行くワンズはこの船の船長だけあって通路をよく理解している。混乱するような声が四方から響くなか、いくつかの階段を通り過ぎ、彼は細い通路に差し掛かる手前の階段をのぼり始めた。
 子供たちがそれに習ってついていくと、リスティが細い通路の奥を見詰めて足を止める。
「あれ……」
 薄闇の中には無造作に荷物が放置されていた。
「あ、さっきの手紙、そこにあったんだ。リスティの部屋にあったヤツみたいだったから」
 持ってきたのだと、カーンが振り向きざまに答える。リスティは階段をのぼらず細い通路を直進した。
「おい!」
「すぐ追いつきます、先に行ってください」
 階段に言葉を投げ、リスティは荷物に手を伸ばす。剣を手に持ち、さらに何かを探すようにその場を引っ掻き回す。
「意外とむちゃくちゃ」
 唐突にかけられた声に、リスティは飛び上がるほど驚いて視線を隣へやった。
「なに探すの?」
 大きな荷物を脇にどけながら陸は苦笑している。見た目は電波系のお嬢さんで、やることも突飛で面白い。
 どこか楽しげに荷物を寄せていく陸に、緊急事態だがリスティは真剣な表情を少しだけ緩めた。
「剣を」
 手に持たれたのはしっかりとした作りの装飾の少ない、いかにも実践向きな長剣である。
「もう一本?」
「はい、これは私の護衛の物。捕まって奪われたのでしょう」
「ああ、金目のものとかも色々盗られて川に捨てられてたよな」
 甲板から川に突き落とすなんてずいぶん乱暴なやりかただったし、中には怪我人もいた。だが、とどめを刺さなかっただけは親切だと陸は思う。
「まあ、自分から川に飛び込ませたほうが楽って気もするけど」
 荷を探りながら呟いて、小さな声を上げる。
「ココロ、ココロ、服があるぞ!」
 ひらひらのドレスである。
「ゴスロリ――! ほらほら、頭につける……ヘアバンド? も?」
 ちなみに、彼が叫びながら手にしたレースたっぷりのその飾りはヘッドドレスというのだが、あまり縁のない彼は呼び名すら知らない。
 ごそごそ探っていくうちに、下着から靴まで揃っていることがわかった。しかも、1着や2着という単位ではない。
 それはメリーナのためにリスティが選び、クラウスが支払ったものだが、そんなこととは露知らず、陸はまともな服に大興奮している。
 それを横目で見ながら、リスティは小さく笑って剣を探す。薄暗いために視界が悪い。さらに煙が流れてきていっそう探し物が見付かりにくい。
 リスティは手を伸ばし闇の中をまさぐる。そして、手にひやりと冷たい感触を認め、指先に触れたものを掴もうと身を乗り出した。
「うわ、煙が……!」
 陸はココロを引き寄せる。ひとそろえある服から一番質素なものを選び、荷物のいっぱい入った袋をひっくり返してカラにすると、その中にココロ用に選んだものを積め込んだ。
「いただきます」
 袋を持ち上げて礼だけいっておく。おそらくは船の一緒に沈んでしまう略奪品だ。良心は多少痛むが、利用はさせてもらおうとひとつ頷く。
「ばれたら謝ろうな!」
 打算的な保護者はココロにそう提案して、それからリスティに視線を戻した。
 奥に手を伸ばしたままの格好で、リスティはぴたりと止まっていた。どうしたんだと問おうとその肩に手をかけ、線の細い体がぐらりと揺れるのに驚いた。
「お姉さん!?」
 慌てて引き寄せると、その手には2本目の剣がしっかりと握られている。よく見ると、剣と一緒に小さな袋が指に引っかかっていた。
「どうしたんだ!?」
 叫んでから、はたと気付く。目に染みるような白煙は黒煙と混じり、異臭を運んできている。背後でココロが小さく咳こむのを耳にして、陸は青い顔色の少女を抱き寄せた。
「大丈夫か!?」
 視界は確かに悪い。たち込める煙は有毒かもしれない、と初めてそう思った。陸はこの世界に来てから、妙なことが自分に起こっていることを理解している。そのなにかが彼の体に再び作用して一人だけ無事なのかもしれない。
「ココロ、歩けるか?」
 灰色の煙の中で問い掛けると、少女はしっかりと頷いた。
 色々役に立ちそうな物を拝借していきたい所だが、陸は躊躇せずリスティの手から剣と小さな袋を取ると、それをココロに持たせてその体をかつぐ。ココロ用の服も反対側に担いで、ココロの手をしっかりと握った。
「逃げるぞ」


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