act.51  ここだよな


 ところ変わって、こちらは巨万の富と広大な土地、肥大した人口を抱え繁栄を約束された大国ニュードルの無駄に広く豪華な執務室。
 国王、ジル・ヴァルマーは、幼少のみぎりに料理長自慢の料理の奪い合いをした旧知の右腕、アントニオ・カルバトスの手元を覗き込んでいた。
「ここにあるのか?」
「左様で」
 書棚の一部を緊張したように指差し、アントニオは手を伸ばした。
 右から三冊目の本に指を掛けてそれを倒し、奥へと差し込む。すると、隣の壁の模様が浮き上がってきた。
「よくできとるのぉ」
 見事にハゲあがった頭を撫でながら感心するジルの声に、自慢げにアントニオは胸を張りつつ壁の模様を引き出した。
 そして、わずかに目を見開く。
 中には手紙の束が入っていた。
「……なんじゃ」
「は、ははははははは」
 白々しく笑いながら、不審げなジルの目から隠すように引き出しをそっと閉める。
「ここだよな……いや、しかし今のはオリビエ嬢からの恋文……」
 両手を壁についたままボソボソと口にして、アントニオはハッと顔をあげた。
「こちらです、陛下!!」
 今度は見事な細工の書棚に小走りで移動してしゃがみ込み、一見するならただの模様である個所に手を掛けた。
 アントニオはジルの見守る中、隠し引き戸を静かに開けて、再びそっと閉めた。
「ここ……だったと思ったんだが、なぜ、リンダの手紙があるんだ?」
「アントニオ」
「はい、国王陛下」
「お前がもてるのはよくわかった。奥方を亡くされ独り身もさぞ寂しかろう、妾もおらんというのは張り合いもない」
「はぁ」
「……嫌味か。」
「は!? そのような事は断じて!」
 ピタリと会話が止まる。嫌な沈黙が続き、ジルが再び口を開いた。
「正室にも相手にされずに久しいワシに対する、それは新しい嫌がらせか?」
「とんでもございません!!」
 青くなって首を振って否定した。恨めしそうに睨みつけられるので、アントニオは知らずに両手も付け加えて精一杯否定を続ける。
 広い室内の片隅でしばらく奇妙なやり取りをしていると、ジルが深い溜め息をついて肉付きのいい撫で肩を落とした。
 どこに行ってもこれ以上ないほど目立つジルは、白いファーがたっぷりついた赤いマントを床に引きずりながら座り込んで深い溜め息をついた。
「陛下、ご、誤解です! 私は書状をお見せしようと――」
 言い訳しながら机の引き出しを開けると、そこには探していた手紙が入っていた。なぜこんなところにと思いながらも、アントニオは安堵してジルに向き直った。
「こ、これです! イリジアの宰相宛て!!」
 掴み出して、ジルに突きつける。
「いざという時の為に、偽物も用意しておいたのです! もちろん、宰相に届いたときを考慮し、よく見なければわからないよう記述も完璧に!! それはこちらに!!」
 言って、アントニオは引き出しを探った。
 しかし、引き出しの中には何もない。確かいっしょに作ったはずの偽の手紙も保管しておいたはずだが、封蝋したそれはどう探しても引き出しからは出てこなかった。
 アントニオは引き出しを覗き込む。
 塵一つない内部に目を見開くと、
「すみません」
 おずおずと馴染みの声がかけられた。
 アントニオは声の主を探し、執務室長である白髪の小柄な老人に視線を留めた。
 彼は離れた位置からすまなさそうに一礼し、口を開いた。
「引き出しのものなら、館を出る前にリスティ様が持ち出されました」
「……持ち、出した?」
「お止めしたのですが、宰相宛てなら何かの役に立つだろうと」
 アントニオは老人の顔を凝視し、次に開けっ放しの引き出しを見、最後にジルへと視線を移動させた。
 その顔が面白いくらいに引きつっている。
「そんなにまずいものか」
 ジルが手にした書簡を眺めながら問うと、アントニオはなんとか笑顔を作って頷き、よろよろと壁に固定された巨大な本棚にしなだれかかった。
「クエルとは旧知の仲で」
「三人でよく馬糞を投げ合って城壁の外に吊るされたのぉ」
「……ちょっとよけいな事を、ちょっと脚色して書いたもので」
「ほう」
 途切れ途切れに告白する大臣を、国王は同情するように見詰めた。主人と一緒で感情の起伏が激しい男は、国の中枢に位置するにもかかわらず微妙に気が小さい。
 人前では威風堂々と己の仕事を完璧にこなす男ではあるが内実は小心者――それをよく知るジルは、今晩は寝付けないだろうなと、そんなことさえ心配している。
 アントニオはその場に正座して、涙目をジルに向けた。
「リスティになじられそうで、今から息子の帰りが楽しみであります」
「……そうか。まぁ頑張れ」
 同情しながらジルはアントニオの肩を叩いた。お互いに息子の事では頭が痛い。ジルにはクラウスのほかに6人息子がいるのだが、どれもこれも偏りすぎていていつも頭痛の種になっている。
 ジルは溜め息を噛み殺し、封書に視線を落とした。
 上質な紙は、クラウスが見たらさぞ喜んで評価を下しそうな透かしが入っている。ジルは封蝋を剥がし、手紙を取り出した。
 それからふっと表情を変える。
「ここに記されている事は事実か?」
 いつになく真剣に問われ、アントニオは姿勢を正した。
「はい、かくたる証拠もそろっております。王都がキメラを作る理由も、おそらくは」
「……それで、イリジアの宰相宛てに?」
「祈祷師の話によれば、凶事の先触れはその地域一帯であるとのこと。しかし、神を降ろすなどというのは夢物語にすぎず、いたずらに情報が漏洩ろうえいすれば混乱を招くだけなので、使者はいまだにやっておりません」
「イリジアの近くにおこったばかりの国があったな」
「ああ、はい、バルトという……」
 そこまで言って、アントニオは目を見張った。
「クラウス様が向かったのも、確か」
「奇妙な符号だ。さて、偶然か必然か」
 国王はそのまま黙り込んだ。
 偶然か、必然か。広大なニュードルの領地には、確か王都から流れてきた老人がいた。それを、クラウスは気にかけてはいなかったか。
「奇妙だな。……できすぎている」


←act.50  Top  act.52→