act.50  日常


 魔獣に騎乗して再出発したいところだが、まだ胃の中がぐるぐると音をたてている。クラウスは手綱を引きながら、口元を引き結ぶレイラを見た。
 気丈にも平静を装っているが、青い顔と眉間のシワまで気がまわらないようだ。
 魔獣の背にすがれば、レイラがさしたる時間もおかずに森へ飛び込んで行くことは明確なので、クラウスは当分は徒歩だなと機嫌よく喉を鳴らしながら歩く魔獣を見上げて溜め息を落とす。
 足も速いし気性は見た目とは違い穏やか。非常に優秀な乗り物なのだが、いかんせん恐ろしくよく揺れる。様々な土地の様々な動物を乗りこなしてきたクラウスでさえ、これはダメだと根をあげそうになった。
「足腰がしっかりして尾も太く安定している。従順で申し分ないんだが」
 隣をいく魔獣は人の歩幅に合わせて調整して歩くことさえ知っている。知能が高いことは容易に想像がつき、その賢さは日常でも戦時下でも重宝されるだろう。
 実に惜しい逸材だ。
「魔獣……これも、王都絡みか」
 ふとこぼすと、レイラが視線をあげた。
「知能が高すぎる。いくら魔獣とはいえ、な」
 クラウスの言葉に魔獣はくるくると喉を鳴らして足を止めた。何度も目を瞬き、ざらつく頭をクラウスに押し付けるようにして甘えている。
 彼はそれを乱暴に撫でながら再び歩き出した。
「キメラという事ですか」
 レイラは考えるように呟いた。
 複数の生き物を魔術で掛け合わせたすえに生まれてきた物を総じてキメラと呼ぶ。短命だが様々なことに長ける生き物だが、いくつもの命を犠牲にして生まれた彼らを受け入れる国はひどく少なかった。
 彼の祖国であるニュードルなどは、キメラどころか魔術自体を禁止している。
「さて、いよいよ王都がきな臭い。セタの運河を辿れば王都へつくが……最悪、そこに行く必要があるかもしれん」
「かまいません」
「……王都がキメラを真に作り、神を降ろすというのなら安全な場所であるとは言いがたい。忠義は買うが、無理をする必要はない」
「それなら、クラウス様も同じでしょう。私はリスティ様の護衛です。あの方をお守りするためにいるのです」
 迷いなく告げる女に、ふとクラウスは瞳を細める。平和な国であるニュードルで護衛を務めているなら、もっとこの状況に動揺してもおかしくないだろう。
 妙に落ち着いているなと感心すると、
「クラウス様こそ、王族とは思えませんよ」
 いざとなれば王都に乗り込む気でしょう、とどこか呆れたような声音で意見してきた。
「別段珍しいことではないからな」
 ポツリとクラウスは口にした。
 クラウスは趣味が高じて――城の者が煙たがっていたと理由もあるのだが――城を空ける場合が多く、幾度となく命のやり取りをしてきた。彼の場合は旅の最中、護衛をつけない。クラウスのような身なりの男が厳つい男を連れて歩けば、すぐに護衛と知られかえって目をつけられてしまうのだ。
 トムとジョニー程度の従者なら道楽息子の一人旅と警戒もゆるくなる。
 ゆるくなったぶん、いざというときに対処もしやすい。
 ただ、リスティの場合は外見からしてすでに目をつけられやすいから、いっそ初めから警護をしっかりしておいたほうがいいとふんで口出しはしなかった。
 それだけの話だ。
「何か、用件があって国を出られたのではないのですか?」
 少し顔色を取り戻したレイラは機嫌よく歩く魔獣を見ながらクラウスに問いた。
「……神探し。バルトがかかわっていると聞いてそこに向かう気だったが――どうやら王都も一枚噛んでいるらしい。この時期にわざわざ動くとなると無関係とは思えん。――ギニアにはかられたか」
 リンゴ畑に住む老人は、除名されたとはいえもともとは王都の魔術師だ。てっきり接点はないとばかり思っていたが、意外にもいまだに繋がりがあるのかもしれない。
「それとも、独断か」
 オデオ神を手にしろというあの助言。世界を掌中にできる力に興味はあるが、それならばオデオ神にこだわる必要はない。
 アルバ神も死と再生を司る神だ。それは無二の力と言ってもいい。
 手に入れるなら双神――あるいは、いずれか一方でも事足りる。
「わからんな。何が望みだ」
 手綱を引きながらクラウスはうなる。オデオ神にこだわる必要などないはずだ。
「……神を探し、どうされるんですか?」
「手にする……つもりだった。今となっては、それよりも重要なことができた」
 クラウスは魔獣の背中を軽く叩く。
「いくらなんでもリスティを見殺しにはできんだろう。勝手についてきたとはいえ、追い返さなかったオレにも非がある」
 もともとは平々凡々に日々をおくっていたのだ。リスティがニュードルにいれば、海賊に襲われる事もなかった。
「そばにいればこんな面倒なことにはならなかったのだが……いまさら悔やんでも仕方あるまい」
「クラウス様」
「あれを平穏な生活に戻したら、また神探しでも神狩りでも好きにやらせてもらう。レイラ、行けそうか?」
 察したようにしゃがむ魔獣に苦笑して、クラウスはその鞍に足をかける。レイラは眉をわずかに寄せながらも頷いた。
「もちろんです」
 迷いなく告げた数分後――彼女は再び魔獣の背から飛び降りて、森の中へと駆けて行った。


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