act.49  思い出せない


 トムとジョニーは仲良く川沿いを歩きながら、目の前を行く半裸の男を見た。
 キメラを見た事があるという男は、乱世が来ると言い切った。酒場での戯言なら冗談と笑い飛ばしている所だが、相手は素面しらふな上に、見た目と反して学があるようだった。
「キメラって、本当にいるのかなぁ」
 ひょろひょろと歩く背だけが高い男が心もとなげに問い掛けると、隣の髭面の小男は青々した顎を無造作に掻いた。
 ニュードルの第四王子の従者を務めているが、彼らはなんとか字が書けて読める程度の知識しかない。難しい事を言われればすぐに降参する準備があるくらい学問に暗く、ましてやキメラという未知の生物に関しては、伝説と隣り合わせの生き物であるという認識しかなかった。
「いるかもしんねぇな」
 トムは青髭から手を離す。
「昔は神様だっていたんだからよ、キメラだって、そりゃいるだろう」
「神様が本当にいたら、どうなるんだろうな」
 キメラの利用用途が神を降ろすための依代であると告げたエリオットは、その会話が終わったきり黙々と歩いている。
 ようやく話しかける口実ができたと思いきや、今度は完全な拒絶だ。暴君のせいで道中を共にする事になったその不幸はあきらめ、せめて楽しくやっていきたいのだが、エリオットにはそんなゆとりはないらしい。
 これほど血相を変えて海賊船を追いかける男も珍しいとトムとジョニーは顔を見合わせた。事情を聞く事ができなかったため、彼らはエリオットが、海賊に身包み剥がされたと思い込みひたすら同情している。
 このまま会話らしい会話がないまま旅を続ければ、彼はさらに焦りを募らせてしまうに違いない――と、お節介にも従者たちは無駄にやきもきしている。
 気晴らしには楽しい会話が一番いい。けれど会話の糸口が見付からない。
 二人はしばらく考えるように歩き、そして唯一使えそうな話題に辿り着いた。
「キメラ作れる魔術師っていったら王都だよな」
 トムがそう言うと、前方を歩いている男の肩がわずかに反応した。トムはジョニーに目配せして、会話を続けるように促してみる。
「クラウス様が怪しいって言ってたヤツだよな」
 ジョニーがわざとらしいほどの大声で相槌を打つと、トムも大きく頷きを返した。
 小言の多い小姑王子だが、馬鹿というわけではない。あれでなかなか思慮深いところもあるし、気が利くときもある――が、だいたいは多大な迷惑を振りまいてはとばっちりの火の粉が飛んでくる。
 従者は軽く肩を落とした。
 置かれた立場を思い出してしまったのだろう。しかしすぐに立ち直って口を開いた。
「旅の前に会ってたのも、王都の魔術師だった」
 ジョニーが言うとエリオットの歩く速度が落ちた。しめしめと顔を見合わせ、二人はさらに会話を続けた。
「馬鹿野郎、ありゃ王都の魔術師じゃねぇよ」
「だって、魔術師がいるのなんて王都くらいだろ? 今じゃ祈祷師が主流……」
 ない知識を総動員してジョニーが首をひねっていると、トムはからかうように舌を鳴らした。
「王都から追い出された魔術師がいるんだよ。破門……じゃねぇや、追放されたヤツが」
「……追放」
「おうよ。それこそ禁呪を使った馬鹿がいたんだよ」
 エリオットの歩く速度が完全に落ちた。話し掛けてもまともな答えが返ってきたためしはあまりないが、興味のあることは少しずつだが口にする。
 厄介な性格だが、彼らの主人よりは扱いやすい。どうやらこの話題は気になるらしく、微妙に反応がいいことにも手ごたえを感じた。
「それって、あそこのヤツだろ?」
「ん?」
「えーっと、リンゴ畑の……。なんだっけ?」
 ジョニーが首を傾げ、トムは仕方ないなぁと苦笑した。大詰めの言葉を忘れたのであっては舞台が成り立たない。舞台役者になった気分でトムは胸を張った。観客は耳だけを傾けるそっけない男一人だが、締めるところはきっちり締めるに限る。
 そして、トムは最後の言葉を言おうとして、ふっと口を閉ざした。
 リンゴ畑には黒衣をまとった魔術師がいる。クラウスの話だと、王都から流れてきた老人らしい。
 名前は。
「う……ん?」
 名前は――
「なんだったかな?」
 トムとジョニーは互いに目配せしながら首を傾げる。ここは格好よく語るべき場面なのだが、そういえばクラウスも、その老人の名をめったに口には出さなかった。
「確か……三文字」
「そうそう、えーっと……」
「ほら、珍しい名前って言ってたじゃねーか!」
「う〜ん」
「……なんだったかなぁ」
 すっかり歩くのを忘れてうなっていると、エリオットもつられて足を止めた。そそがれる視線に気付くことなく、ああでもない、こうでもないと記憶の糸を懸命にたぐり寄せる。
 しかし、なかなか上手くいかない。
「ぎ、ぎ、ぎ……」
 出そうで出ないもどかしさに地団駄を踏みかけたとき、
「ギニア」
 助け舟が出た。
 トムとジョニーは同時にエリオットを見て、盛大な拍手で感謝の意を表明した。そのなんとも間抜けな姿を前に、エリオットは複雑な表情をする。
「ギニアが生きていたのか」
 眉根を寄せたままこぼし、空を見上げた。
「――抑えておくか」
 彼はそう言うなり従者二人に視線を戻した。
「その、リンゴ畑を知っているか?」
「そりゃ、ニュードルの国土だからよ?」
「案内して欲しい」
「――へ?」
 きょとんと目を見開き、半裸の男を凝視する。
「でもあんた、服と魔獣は」
 問うと苦虫を噛み潰したような表情で溜め息をついた。
「主より拝領した大切なものだが、状況が状況だ」
 不満そうに呟き奥歯を噛みしめている。よほど不本意なのだろうその表情を見て、トムとジョニーはほんのわずかだけ思考をめぐらせる。
 そして、すぐに結論を出した。


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