act.48  メモ


 小窓に足をかけて振り返ったココロに変わらず引きつったような笑顔を向けて、
「ドア開けて」
 陸はそう言葉をかけてひとつきりある開かないドアを指差した。そして、小首を傾げたココロを見て、彼女がまだ言葉をうまく理解していない事を思い出す。
「じゃ、ロープとか……ま、何でもいいからとりあえずお前だけでも外に出ろ。やばかったら隠れてろよ?」
 なおも小首を傾げるココロに出て行くようにジェスチャーで伝えると、それだけはなんとか理解し、不慣れな様子で大きな翼を動かして窓の外へと飛びたっていった。
「よし、外からの救助は絶望的っと」
 ふわりと落ちてきた純白の翼を空中で器用に受けとめ、しみじみと口にして陸が頷いている。
「あ、あの子……」
 声を震わせるリスティに、陸は頭をかいた。
「天使っぽくない?」
「――キメラですか?」
「……なんかそれ、あんまり好きな名前じゃないんだけどな」
 翼を見て驚いたリスティは、真剣な顔を陸に向ける。
「どうしてあんな子供といっしょに……」
 キメラである彼女との出会いをどう説明しようかと悩んだ陸は、はたと思い出した。海賊船の中に牢屋があることを。そして、そこにはココロと同じような者たちが閉じ込められ、命を落としていた。
「そうだ、オレあんたに言いたいことが!!」
 ガッと振り向いた瞬間、陸の目の前には両手を合わせる男の姿があった。
「いいもの拝ませてもらった」
 感慨深げに手をこすり合わせている。
「もうちょっと育ってくれた方が、オレ個人としては非常に好みだ」
「あんたの好みなんて聞いてねぇ――!!」
 瞬時にツッコミを入れ、ついでに男の後頭部を思い切りはたき、陸は彼を睨みつけた。
 常識や良識があるようには思えない少女は、布を縫い合わせた服を頭からかぶっているだけだった。
「ごめんココロ、保護者失格」
 壁に寄り添って本気で落ち込み、交番を探すのを忘れた時点でとうに保護者失格だという事にすら気付かない陸は、周りの視線も気にせずいじけている。後頭部をはたかれたワンズは緩んだ顔をしたまま頭をさすり、困惑したリスティは陸とワンズを交互に見つめた。
「あのキメラは?」
 ようやく問いかけると、陸がぱっと壁から離れた。
「そうだ、オッサン!! 下の牢屋に入れられてたのもそうなんだろ!?」
 陸の言葉にワンズは驚いて苦笑した。彼はその視線を小さな窓に向けて深く息を吐き出した。
「あれは、失敗作」
「失敗……?」
「売る為に運んでたんだが、もたなかったんだ」
 ワンズの言葉に脳裏で何かが弾けた。陸は男の胸倉を掴み、強引に引き寄せた。
「そんなふうに扱っていいわけないだろ?」
「……献体はもとより、長く生きられないと余命を言い渡されたものばかりだ。人と家畜と、それ以外を組み合わせてアレは作られている。魔術師たちが生み出した芸術品だ」
 陸が拳を振り上げるとリスティが止めるように彼の腕にすがりついた。
 その細腕で陸の拳が止まるわけがない。抵抗する様子のないどこか自嘲気味に笑う男を見つめ、陸は苛立ちを吐き出すように溜め息を落とした。
「理由が?」
 胸倉を掴んだまま問うと、ワンズはそらした視線を上げた。
「研究施設にいたところで苦痛は増すばかりだ。オレに権限などない」
「……虐待されてるみたいだった」
 船底は腐臭に満ちていた。一日二日の出来事ではない。その真意を量るために問いかけると、ワンズはしばらく考えるように黙り込み言葉を選ぶように口を開いた。
「船の統率は失われた。義賊が逆賊となり、本物の賊と成り果てる――自分が力ある者と勘違いした輩は、それが過ちだと気付くいとまもない。今のオレには権限がないんだ」
 だから止められなかったとでも言いたいのか、ワンズは皮肉っぽく口をゆがめた。
 捕らえた者と同じ部屋に閉じ込められているのだから、あながち彼の話も嘘ではないのだろう。この船で会った人間を思い出し、なるほど彼がその器でなかった事を納得した。
 船長であるはずの男は、すさんだ感のある船とは明らかに違う空気を持っていたのだ。
「キメラを運ぶ海賊?」
「不景気だからな」
 ワンズがポツリとこぼしたとき、陸は胸倉を掴む手をようやく緩めた。
「運搬と略奪をかねて一石二鳥」
「……働けよ」
「そういうわけにもいかない。金がいるんだ、大量の金が。――あの国は、すでに内乱を抑える力はない。もとより敵の多い国だから、火種はすぐに業火となる」
「海賊やって大金が集まるわけないだろ」
 あきれたように告げ、陸は緩めた手を離した。殴ってその場でうさを晴らすことはできるが、自嘲気味な笑みを見せる男の瞳が急速に陸の中の怒りを沈静化する。
 背を向けてガリガリ頭をかくと、ワンズは再び小窓に視線をやった。
「焼け石に水だろうな、おそらくは。それでも必要だとおっしゃる」
「――誰が?」
 不意に割り込んできた第三の声はワンズに向けられていた。
「あ、お姉さん」
「……リスティです」
 小さく咳払いして訂正し、リスティは真剣な表情を作る。そうかそうかと頷いて、今度は男を見やった。
「オッサン」
「ワンズだ」
 鋭く訂正された。
「……じゃ、オレ」
「りく」
 自己紹介をしようと口を開けた瞬間、ふいにひとつきりのドアが開いて彼の名を呼ぶ声が響いた。
「そうそう、大海陸って言って……」
 言葉を切って、彼は不思議そうに出入り口に視線をやる。ついさっき部屋を出た少女がそこに立っていた。
「お前、意外と賢かったんだな」
 言葉なんてたいしてわかっていないだろうにと感激していたら、ココロの背後から顔を突き出す者が二人いた。
 漆黒の髪に妙に鋭い瞳――そしてとがった耳に牙のある少年。
 もう片方は、少年とも少女ともいえる、ひどく着飾った子供だった。
「リスティ!!」
 少年の顔が歓喜に染まる。
「ケガないか!? ゴメン、どうやって助けようか考えてたらこの子供が」
「カーンとメリーナは? 怪我はありませんか?」
 確認するようにリスティは問いかけ、頷く二人に安堵の息を吐いた。状況はよく呑み込めないが、陸は手招きでココロを呼び寄せて少し近くなった頭をグリグリ撫でた。
「怪力も役に立つな」
 ドアには折れた木の棒と壊れた鍵がかかっていた。初めからドアを壊すように指示すればよかったのかと苦笑して、ふとカーンと呼ばれた少年が何かを持っている事に気付く。
「それは?」
 顎でさして問うと、少年はリスティに意見を求めるような表情をした。
 よろりと可憐によろめいて、彼女なんだか彼なんだかわからない相手は嘆くように顔を伏せた。
「役に立つと思って拝借してきた書状です」
「……役に立たなかったの?」
「白紙でした。生きて帰ったら父上の耳元で、毎夜恨み言を並べて差し上げましょう」
 言葉の中身を聞き流し、ふぅんと呟きながら陸はカーンから封筒を受け取った。取り出した便箋は確かに白い。けれど所々がごわごわとしていて、奇妙な感じだった。
 陸はしばらくそれを眺め、納得したように頷いた。
「これ、水につけるかあぶりだすと字が出てくるんじゃないの? ガキの頃によくやったなぁ。リンゴの汁でやったんだけど、あんまり面白いから大量にリンゴつぶしたら母ちゃんに殴られて夕飯抜きにされて、要の家でご飯食わせてもらった」
 懐かしく語っているとリスティは目を見開いた。
「役に立つのですか、その書状!」
「さぁ。……火おこすにしても荷物取り上げられてるし、どうにも……」
 できない、と続けようとした直後、視界のすみがオレンジ色に染まった。ぎょっとして見詰めた先には、飄々としたワンズの姿がある。
 彼は服を一枚脱ぎ、その一枚に火をつけて口元をゆがめた。
「この人数で安全に逃げ出すことは無理だ。船内を混乱させるなら、これも手段のうち」
「自分の船だろ」
「……仕方ない。義賊が海賊になるわけにはいかん」
 訳のわからないことをつぶやく男に呆れながら陸は紙を火に向ける。これがダメなら次は水かなと考えていると、幸いなことに白い紙はゆっくりと変色していった。
 見た事もない記号のようなものが茶色く浮き上がる。
 読めないはずの文字は言葉として認識され、陸は困ったなぁと心の中でうめいてから口を開いた。
「えぇっと……豊穣の月、七日目。……スタンリー子爵の奥方は今日も美しかった」
「……」
「豊穣の月、九日目。ジュラルドとエイミは恋仲らしい」
「……」
「収穫の月、二日目。どこぞの娘が水浴びをしていた。今日もいい天気だった。明日も行こう。……三日目。老婆が水浴びをしていた。もう行くのはよす」
 目の前にいるリスティの顔が見る見る歪んでいく。真っ赤になったそれは怒りで満たされ、やがて紙のように白くなった。
「収穫の月、六日目。旅芸人がすりよってきた。美人だった。悪い気はしない」
「……それは?」
「それって?」
「それはなんですか?」
 何と言われても、と陸は苦笑をもらしそうになる顔を引き締める。
「なんだろう、覚え書き? ずっと日にちと、色っぽい話が書いてあるけど」
「……あの色ボケジジイ、涼しい顔してこんなくだらない物をしたため、あまつさえイリジアの宰相あてにとっておくなんて……!!」
 ずいぶんと口汚く罵ったリスティにようやく苦笑を返し、陸は視線をとめた。
 手紙のすみに小さく書き記された文字があった。
 少し神経質な文字はこう綴っていた。
 王都が内々に動いている。リンゴ畑から吹く風は死臭まとい世界を覆う。
 ――心せよ。
 と。


←act.47  Top  act.49→