act.46  視線


 木々にかこまれた小さなその家に人が訪れることは珍しい。
 たわわに実った果実がぶら下がっているにもかかわらず、そこには人どころか動物さえ寄り付くことがなかった。
 むせ返るような甘い香りがあたりに一面に立ち込める。
 絶えることを忘れた濃厚な芳香は、時として臭気以上に鼻についた。その粘つくような空気を掻き分けるように、小さな家の中を小さな黒い影が二つの水晶を手に移動していく。
 影は水晶を小さな台座に移動させると伸び上がるようにして椅子に腰掛けた。
 浅黒く深い皺の刻まれた手がそっと水晶に触れる。水晶の中心に光が現れ、それは瞬く間に虹色に揺らめいて広がった。
「なんとも奇異な……」
 しゃがれた声で老人――ギニアがつぶやく。
 白く濁った目を水晶に向け、ゆっくりと細めた。
「失敗と思っていたキメラが成長を始めた。――アルバ神の能力か。覚醒には遠いが……」
 水晶は少女を映していた。その背には白く大きな羽が対となって羽ばたいている。少女がここを出たときは、その翼は親指の先ほどの大きさしかなかった。
「まだ覚醒には至らぬが、このままキメラが成長すれば――あるいは」
 神の力は本来、人間の器で扱いきれるものではない。安定しない能力は些細なことで暴走し、制御することすらできなくなる。
 人の器では余るのだ。
 だから、人以上に巨大な未知なるものを取り込めるだけの器を作った。
 その多くは失敗作で、時を待たずして崩れ果てていった。なんとか形になった者の中には、使用してはならないと言い渡されていた素材≠熨スく含まれていた。
 水晶に映った少女も使用してはならない素材で作られたキメラだ。失敗作だと思って廃棄したはずの彼女は、アルバ神と共に行動している。
 使える、とギニアはわらった。
 失敗作ではあるが、その能力値は意外にも高い。アルバ神と共にあるのならそうさせておけばいい。
 いずれ役に立つ。
 そう判断し、ギニアは視線をもうひとつの水晶にむけた。
「オデオ神」
 整った顔の少年が映った。本来求めていた神の力を宿す少年は、どこか困惑したような表情であたりを見渡していた。
 その少年の視線が一箇所で止まる。
 つられて見てみると、淡く透ける女が立っていた。
 ギニアは震えながら水晶を両手で包み込んだ。
「なぜ、お前が……」
 そこにいたのは、彼のよく知る女だった。


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