act.45 リズム
強靭な足が大地を掴み蹴り上げる。半裸の男が操っていた時はどこかおぼつかなかった魔獣は、ただ騎乗する人間が変わっただけだというのに驚くほど従順になった。
クラウスは手綱を握り締める。
跳躍力があるためにその一歩は人間の十歩ほどに匹敵し、俊敏ゆえに速度もある。
ただ問題は、その背中が異様に揺れるという事だ。
一定の間隔で上下にゆすられ続け、障害物があるとそれが微妙にずれる。
決まった速度でゆすられるのも辛いが、間隔がずれるのはもっと辛い。
胃の内容物が逆流しそうになって口を引き結ぶと、振り落とされないようにクラウスにしがみ付いていたレイラが彼の腹部を強く抱きしめた。
クラウスは無言で手綱を引く。
魔獣は大きく仰け反りながら足を止めた。
これ以上乗っていれば間違いなくとんでもなく惨めなことになる。幸い隣が川なので最悪の場合はそこに飛び込めばいいのだが、ようやく乾き始めたにもかかわらず、またずぶ濡れになるのは敵わない。
「失礼いたします……!!」
顔面蒼白でクラウスを見たレイラは、魔獣の背から飛び降りるとそのまま林に向かって駆けて行った。
どうやら彼女も現状はさほど変わらなかったらしい。
女とは思えない力で強く締め付けられた胃をゆっくりのばすように、クラウスは魔獣から降りて背伸びをした。
この魔獣は速度こそ出るが、どうも乗り物としては不出来なようだ。
もう少し乗り心地をよくしてもらわないと延々と揺れ続けていては身がもたない。溜め息混じりに魔獣を見ると、つぶらな瞳を向けてきて小首を傾げてきた。
フンフンと鼻で荒く息をする魔獣を見上げ、クラウスは手をのばした。全身を覆っているのかと思ったウロコは喉の下だけとても細かく、ウロコというよりは皮膚といった雰囲気だ。
クラウスは無言のまま手をのばしてそこに触れた。ひんやりとしてゴワつくそれは初めての感触だった。
それをいささか乱暴に撫でていると、初めは警戒していた魔獣が息を整え喉を鳴らし始めた。
「ここは気持ちいいのか」
なるほどと納得する。
さらに手をのばし、彼は巨大な口を戒めていた金具を確認する。幸い、金具をはずしても手綱は固定されたままになるらしい。
されるがまま大人しくている魔獣を見て、クラウスはその金具を取り外した。
金具を地面へと落とすとガバリと大きく口が開く。
口の中には体に似合わないくらい小さな歯びっしりと生えて、その奥には臼歯が並んでいた。
「……草食か」
健康そうな口腔を覗き込んでクラウスはつぶやく。肉食だった時のことはあまり考えていなかったのだろうのんびりとした口調だ。
クラウスが手綱を引くと、魔獣は素直に従って歩き出す。川べりまで行き顎をしゃくると、魔獣は巨大な運河とクラウスを交互に見てから水面に顔を突っ込むようにして水を飲み始めた。
「頭もいい。あとは乗り心地だけか」
それが一番問題なのだが、それを改善させるのは至難だろう。魔獣の類は他の動物よりも知能が高い。知能が高いからこそ人に従うことを嫌う傾向にある。
ゆえにここまで人に従う魔獣は稀なのだ。これ以上を求めるのはなかなか難しいだろう。
「だが、お前のお蔭でずいぶん進んだ」
たらふく水を飲んだらしい魔獣は顔を上げた。
喉をわずかに鳴らして、何かに気付いたように森に視線をやる。
「クラウス様!?」
枝をへし折りながらレイラが森から飛び出した。彼女はクラウスと魔獣を見てとっさに低く身構えた。
すばやく武器となるものを探すその姿を見て、魔獣が低く唸り声をあげる。
「レイラ、落ち着け」
クラウスはポンポンと魔獣を軽くあしらうように叩いた。体を覆うウロコは喉もとのとは違い驚くほどの硬度をもつらしい。岩に触れるような感覚に苦笑して、クラウスはレイラを見た。
「これは草食で害はない」
「しかし」
「警戒するな。お前が殺気立つとこれも気が立つ」
レイラは考えるように唇を噛み、そして頷いた。クラウスの言葉に従い殺気を瞬時に消し去るあたり、護衛ではなく傭兵の姿を連想させる。
レイラが警戒を解くと、魔獣もすぐさま緊張を解いた。
そしてゴツゴツの頭をクラウスに摺り寄せてくる。
「……あの、懐かれてませんか?」
困惑するレイラに、クラウスはただ苦笑を返した。