act.43  フレーム


 食事をとり、一息つくと紅蓮の髪の男か近付いてきた。
「来い」
 横柄に命令して立つように促す。
 要とラビアンは顔を見合わせ、逆らわないほうがいいと判断して立ち上がった。部屋には屈強な兵士が数人控えており、その中にはジョゼッタという名の女兵士の姿もあった。
 少しでも反抗的な態度をとれば迷わず剣を抜くだろう。
 悠々と広い廊下を歩き出した王都ルーゼンベルグの国王は、廊下の角をいくつか折れる。王が寄留するには規模も小さく質素ではあるが、そんなこととは知らない要はただその圧倒的な建造物に感心するばかりだ。
「……どこが落ちぶれてるんだ」
 十分に絢爛豪華な屋敷を歩かされ、思わずそう愚痴った。マイホームと呼ばれる小さな家を購入するために大半のサラリーマンは一生を費やすというのに、目の前を歩く偉そうな男はたいした苦労もなくこんな建物を所有できるのだ。
 ひどく理不尽な気がする。
「おい、お前」
 ラビアンは少しだけ歩調を速めて要の隣に移動した。背後からついてくるジョゼッタに気を配りながら、
「神様なら何とかしろ」
 そんな事を言ってくる。
「やれたらやってるよ」
「役たたずめ」
 皮肉っぽく言われ思わずラビアンを睨みつけると、一見少年のような格好をした彼女はどこか楽しげな表情で笑っていた。緊張はしているようだが、それ以上に好奇心のほうが強いらしい。
 要は呆れたように隣の少女を見詰め、ふっと視線を移動させた。
 何かがいる。
 今廊下を歩くのは、先頭を行くトゥエルと要、ラビアン、さらに後方のジョゼッタ――その四人だけなのに、確かにもう一つ別の気配がある。
 不快ではないがすんなりと受け入れることのできない気配。
 チリチリと広がるそれに神経を集中させて要は息をのむ。
 要はもともと霊感があるとか、際立って勘がいいというわけではない。
 どちらかというなら鈍い部類だ。
「……もうここに来て、変なことばっかり」
 要は肩を落とす。歩くたびに強くなる気配は、とても人のものとは思えなかった。それはひどく不確かな、けれど圧倒的な意志を以って空気に混じっていく。
 ――何が望みだ。
 心の中で小さく問いかける。
 その瞬間、その問いに反応するように気配がざわりと動いた。
 トゥエルがドアの前で止まり、その中に吸い込まれていく。
 要は迷うように足を止め、怪訝そうに見詰めてくるラビアンの真紅の瞳に促されるように部屋の中に足を踏み入れた。
 ――ようこそ。
 脳の奥に直接声が送り込まれる。
 ――ようこそ、破壊神。その身には、いまだアルバの力が宿っているのね。
 安堵するような女の声が、そう続けた。
 要はとっさにあたりを見渡す。
 何かを言おうとして、そして不思議そうに向けられる視線に気付いて唇を噛んだ。
 ――聡明な子。
 女の声が柔らかくささやく。要はその声の主を探すように視線を彷徨わせ、トゥエルの背後で止めた。
 部屋全体を何かの気配が包む――それが、男の背後で凝縮している。
 ――誰?
 心の中で問いかけると、女は小さく笑ったようだった。
 ――この地を守るため、太古に柱となりし者。
 名を語るでもなくそう返した女の声に、要は悪寒のようなものを感じた。柱の意味を問いただそうとして、結局それもできずに沈黙する。
 トゥエルは要に不審げな目を向けてから近くにあった棚を探り始めた。
 その男に寄り添うようにして、気配が揺らめいている。
 決して悪には成り得ない、ひどく透明な気配。獰猛な男とその気配の落差に、要は疑問を抱かずにはいられない。
 ――どうしてそこにいるの?
 要は問いかける。
 すぐに答えが返ってきた。
 ――巫女を母に持ち、大地に愛されし者だから。――彼女も。
 すっと気配が動く。要は白銀の王女に視線を走らせ、すぐにトゥエルに――その背後に、それを戻した。
 ――オレたちをここに連れてきたのはあんた?
 ――いいえ。貴方たちは落ちてきたのです。
 落ちてきた。
 確かにその通りだと、要は溜め息をついた。
 陸橋からママチャリで陸と一緒にダイブした。そして辿り着いたのが訳のわからない世界。
 滑稽すぎて笑いすら出てこなかった。
 ――落ちてくるときに、たゆとう神をすくい上げてしまった。
 それが、アルバ神とオデオ神。
 馬鹿げた話だと思いながらも、心のどこかが麻痺して女の言葉を信じようとする自分がいた。ここは異界で、王様がいれば女王様がいて、海賊だって実在する。
 そして神も存在するのだ。
 人知を超えた者がいる世界なのだ。
 ――陸は、無事なのか?
 その世界に共に落ちてきた幼なじみは海賊に襲われている船内にいた。
 無事なのか、そうでないのかは今までなら痛みで判断できた。彼の受ける痛みがそのまま要の中に流れ込んできて、それがある種の基準になった。
 それなのに今は、かくたるものが何もない。
 ――早く、探し出さないと。
 ――会えば神の力が覚醒する。彼が、望むとおりに。
 ――彼?
 ――魔術師。
 女の声がそう返す言葉に、少女の声が重なった。
「だから、魔術師に会いに行こうと思っただけだ」
 はっと要がラビアンを見た。霞がかかったような頭を軽く振り、要は視線を彼女とトゥエルに向けた。
 彼の近くに女の気配はなかった。まるで夢でも見ていたかのように、その部屋には人間≠フ気配しかない。
 要は現状を把握できずにただ押し黙った。
「これを、魔術師に?」
 トゥエルは棚を探っていた手を止め、テーブルの上に放置されていた携帯を見た。
「珍しいものだ。調べさせればわかるだろう」
 物怖じせずラビアンは薄い胸を張る。
 トゥエルはフンと鼻で笑って何かを手に取り振り向いた。
「そんなちっぽけなものを調べる必要はない」
 嘲笑のようなものを浮かべ、トゥエルは近付いてきた。
「やってみなければわからんだろう。リンゴ畑の老人は、王都屈指の魔術師――禁呪を使い、王の逆鱗に触れたと聞く。真意を見極めさせるならちょうどいい」
 負けじと皮肉に笑ったラビアンに、トゥエルは鋭い視線を向けた。
「王都が不穏な動きをしていることなど知れ渡っている。いまさら何を隠す?」
 挑発する少女に、男は獰猛な笑顔を向けた。
「ではいいことを教えてやろう」
 男の手がひらめく。
 彼の手にしていたそれは、銀で装飾をほどこされた鏡のようにも見えた。ただ、額があってもガラスがはまっていない。
 トゥエルは唖然とする要にそれを向けた。
「神話の時代の遺物――お前は、誰だ?」
 ささやくその声に呼応するように、灰色によどんだ額縁のすみから色があふれ出す。
 外側から中央に向かって瞬く間に映し出されたのは、要の後ろに控える景色そのものだった。
 そう、そこには誰もいない。
 映し出されなければならないはずの自分の姿さえない。
 声もなく見詰めていると灰色の世界は消え、要のいない部屋が映し出され――そして、その中央が奇妙な具合に揺らめいた。
 そこから一気に闇が広がる。
 漆黒はすぐに侵食やめ、闇は黒衣へと変化した。
「――誰……?」
 ようやく搾り出した要の声に反応するように、闇色のフードをすっぽりとかぶった鏡の中の人物は、不気味なほど静かに口元に笑みを刻んだ。


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