act.40  どきどき


 陸は男を見下ろして唸り声をあげた。
 甲板で散々捜したときには見付からなかった男が目の前にいたからだ。
「……いつから?」
 小首を傾げる。
 そして、高い位置にある窓を見てヤバいと心の中だけでつぶやいた。
 船員が寝静まったころを見計らって脱走しようと思っていたのに、思い切り寝過ごしてしまったようだ。明るくなり始めた空が小さな窓から見えた。
 ロウソク一つ置かれていない室内が見渡せるようになった理由にやっと気付き、床に転がされたまま眠りこけている海賊船の船長を見詰めながらどうしたもんかと考え込む。
 ここに連れてこられた時、ドアは施錠されていた。今もきっとそうされているだろう。
 そして、捕らえられた自分たちと一緒にボスである船長がここにいるという事は――
「……裏切られちゃったか……」
 なんとなく悪人には見えない男の寝顔に微苦笑する。
 荒くれどもを制するには多少力不足だったのかもしれない。
 そう思って視線を移動させると、リスティの姿が目に入った。見た目は性別不明――そして、実際には男でも女でもある人間。
 染色体が一つ余分という事なんだと、陸は一人納得する。
 お隣さん一家は美形ぞろいで、性別不明の人間は見慣れていた。実際本当にどう判断していいのかわからない相手というのは初めてだが、パニックを起こすほどの驚きはなかった。
 そもそも、自分がここにいること自体がミステリーだ。
 彼女が彼≠セろうと、この現実にくらべればかすんでしまう。ただ、陸にとって目の前にいる相手は確実に彼ではなく、どちらかというなら彼女≠ノ属する。
 見た目がなんとなく少年の細さではなく少女の儚さを思わせるのだ。
 緊張するように押し黙るリスティに、陸はニッと笑ってみせた。
「オレのことは陸でいいよ。あんた日本語話せるんだよな? 助かる〜」
 明るく声をかけると、
「……王都の人間ではないんですか?」
 確認するような口調でリスティはそう問いかけた。
「王都?」
 聞き慣れない単語に陸が思わず繰り返すと、リスティは陸の胸を指差して口を開いた。
「その紋章が王都のもの」
「……あ」
 なるほどと、陸が納得した。彼の胸には雄雄しい鷹のような鳥のマークが入っている。これがその王都の紋章なら、リスティがそう判断するのも頷ける。
「でも、……あれ? 王都って、どんなとこだよ?」
 陸は思わず床でのびている船長を見た。彼は、甲冑のその紋章を指でつついて妙に親しげにしてきたのだ。
 王都というくらいだから、きっと大きくて立派な国なのだろう。その国の人間が、海賊船の船長と会っているというのはひっかかる。
「このオッサン、このマーク……知ってるみたいな……」
 戸惑いながらリスティに言うと、少し間をあけて彼女≠ヘ口を開いた。
「有名な紋章ですから」
「いや、仲間っぽく」
「……」
「……変だよなぁ」
「……王都の紋章には階級があります。それはたぶん将校以上――詳細を知っているのは……」
 リスティも船長を見る。
 小さく身じろぎしながらも男はいまだに寝息をたてている。
「だよなぁ」
 リスティの意見に頷くと、
「あなたの鎧ではありませんね?」
 そう問いかけられた。どうにか言い訳を探そうとしたが、真摯に見詰められると誤魔化す言葉さえ思い浮かばず、陸はあきらめたように頷く。
 体にはなんとか馴染んでくれてはいるが、確かにあまり様にはなっていないし――それに、自分が身につけている物に書かれたマークがなにかを知らないのはあまりに不自然だった。
「目立たないように……ちょっと借りて」
 陸はモゴモゴと答えた。
 ばったり出くわした弱そうな男を気絶させ、身包み剥いでとっとと退散したのだ。甲冑を奪われた彼は今頃どうしているのだろうと、少し複雑な気分になった。
 服を貸してくれと言う言葉すら通じなかったから強奪したが、パンツ一丁で放り出したのはさすがに悪いと思っている。
 しかも、要を見つけたらすぐに返すつもりだったのに、思惑外れてどんどんおかしな方向に進んでいる。
「……これ、逆に目立ってる?」
 情けなく聞くと、リスティにコクリと頷かれた。
「目立ちます。普通、王都の紋章入りの鎧をこんな所で着ませんから」
「……目印だったのかなぁ。ああ、なんかそうかも」
 船長を見ながら陸は溜め息をつく。
 これを着ていなかったら海賊船に乗ることもなかったのかもしれない。だが、それでは要が船で連れて行かれたことにも気付けなかった可能性があるわけで、そうするとまったく検討はずれの場所を捜しかねない――
 しかし、このままでは出発地点からどんどん離れていってしまう。
 迷子になったらその場所を動くなというのが、要とのあいだにある暗黙の了解だ。
 きっと要だって、意地になって旅の始まりである場所に戻ってくるだろう。
 このままでは行き違う可能性が高い。
「うぉおぉ! なんかドツボ!」
「……王都と海賊は?」
 頭を抱えて唸るとリスティの声が聞こえた。一瞬切れかけた理性が戻り、彼は顔をあげる。
「鎧見てオレを連れてきたんだから、なんか関係あると思う。この鎧の持ち主用に普通の部屋用意してあったし、悪趣味な毛皮渡してくれたし。それよりオレ、要捜さなきゃいけないのに〜」
「……かなめ?」
「そうそう! イっちゃってる系の王子様!! 最近芸風変えたんだな」
 しかもかなり奇抜なほうに。
 意外と大胆だなと陸は感心する。ああいったチャラチャラした格好を何よりも嫌っていると記憶していたが、この異常事態に理性の箍が外れたらしい。
 間違ったところで納得していると、下から腕を引っぱられた。
「りく」
 見詰めた先にはココロがいた。
「……ここから出ないとな」
 不安そうな表情のココロの頭をワシワシ撫でて、陸はわずかな違和感に首を傾げる。
 何かが違う。
 なんだろうと思って注視して、しかしその正体が掴めずにしばらく沈黙した。なんとなく、前よりほっそりしているような気がした。
 一晩食べないだけでそんなに細くなるはずがない。
 けれどやはり全体的に線が細くなっているような感じだ。だが、それ以上に何かが引っかかる。
 そして、その違和感の正体に気付いて目を見開いた。
「ココロ!?」
 とっさに名を呼ぶと、パッと少女の顔が嬉しそうに輝く。その顔が、以前より近い場所にあった。
「お、おま! お前成長してないか――!?」
 10センチはのびている。翼ばかりを気にしていたが、体もそれに伴って成長しているらしい。
 しかもなんだか、昨日は薄汚れていて少年っぽい雰囲気だったのに、今は確かに少女の容姿で見上げてくる。
 そして、その姿が意外と可愛かったり。
「うをぉお〜! ロリコン反対〜!」
「ろり?」
 自分自身に叫んでいると、ココロが邪気なく笑った。それを見て、陸がいっそう奇妙な声をあげる。
 明らかに怯えた様子のリスティが避難するように離れていった。
 その影に重なるように、今までピクリともしなかった男がのっそりと起き上がる。
 彼は首を左右にふって盛大に鳴らし、縛られたままの腕に気をとめず大きくひとつあくびをした。
「うるさくて寝られん……」
 開口一番、呑気この上ないセリフを吐いた。


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