act.39  証明


 早朝、クラウスは川沿いを黙々と歩いていた。
 義賊と呼ばれる海賊たちは、確かに悪人ばかりではないようだった。何艘か陸に横付けされていた避難用の小船を思い出し、彼はそう考える。
 怪我をおった者はいるが命を絶つようなことはせず、代わりに身包みはがされ川に突き落とされていた。
 これは考えようによっては親切だった。
 水中で服を着ていればその抵抗で動きが鈍り、無駄に体力を消費させる。服がなければそのぶん泳ぎやすいのだ。
 そして、彼らはクイーン・ロザンナ号の避難用の船のロープを切って落とした。
 ただの良心の呵責かしゃくかもしれないが、それで命を繋げた者もいる。
 川に突き落とされた乗員は、ほぼ全員岸に辿り着いているはずだ。
「義賊が……王都ルーゼンベルグとどう繋がる?」
 海賊船が去った方角を見詰め、クラウスが瞳を細めた。
 略奪で混乱をきたす甲板で、海賊船から乗り移ってきた海賊の中に一人だけおかしな行動をとる者がいた。
 少女を抱きかかえたまま仲間を甲板から水面へ突き落としていた少年――
 その少年がまとう甲冑の胸には、王都の紋章が描かれていた。少年の行動が奇異だったのは、動揺する海賊たちの反応からもわかった。
 仲間割れかとも思ったがそれにしても奇妙だった。
 それに、少年が操る言葉はいまだかつて一度も耳にしたことのないもので、立場上いろいろな教育を受けているクラウスさえも理解できなかった。
「リスティならわかるかもしれんが」
 語学が異様に長けている少年とも少女ともつかない顔を思い出し、ふっと息をつく。
 その耳に従者の声が飛び込んできた。
「クラウス様! このままここを進むと……!!」
 言葉につられて振り返ると、ぜえぜえと息を切らせる小男と青白い顔でついてくる痩せた背の高い男が目に入ってきた。
「放っておくわけにはいかないだろう」
 リスティは甲板から川へ投げ捨てられてはいない。
 彼女の護衛であるレイラが岸に辿り着いたクイーン・ロザンナ号の乗客の襟首を捕まえて一人ずつ確認したからこれは間違いない。
 そのあと濡れた服を搾って、乾かす暇もなく着衣して川沿いを歩いている。
 前を突き進むレイラの肩は完全に怒っている。
 身長が高いせいもあり、歩幅もかなりある。主人を守れなかったことに対する後悔と憤りで、彼女が歩く速度はどんどんあがっている。
 そのうちきっと走り出すだろう。
 船から投げ捨てられなかったという事は、リスティ自身に何らかの価値があると思われているからに違いない。
 それはまず間違いなく、いい種類の物ではなかった。
「落ち着け、あそこにはカーンとメリーナも残っているはずだ。商品を傷物にはしないだろう」
 努めて冷静に言葉を発すると、レイラがものすごい形相で振り返った。
「たとえ髪一筋の傷だとしても」
 女とはとても思えない声音で、女騎士は大国の第四王子を睨みつけた。
「それをあの方に負わせた者を私は許さない」
 怒りで悪鬼のような表情の女に従者二人は主の背後に隠れて怯え、隠れられている男は半ば感心するように瞳を細めた。
 偶然彼女だけがクイーン・ロザンナ号に間に合ったとばかり思っていたが、それは偶然というより、忠誠心と努力の成せる業だったに違いない。
 経緯はわからないが、その思いだけはしっかりと伝わってきた。
「しかし、あの船に追いつくのは厄介だぞ」
 クイーン・ロザンナ号は遊覧船とさして違いはないが、海賊船は別格だ。水を切るように進む船体は明らかに通常の船のそれとは似て非なるものだ。
 おそらくは、高速船と呼ばれるべき種類のもの。
 海賊たちが目ぼしい物をクイーン・ロザンナ号から引き上げ海賊船に移れば、まず間違いなく人の足では追いつくことはできない。
 クラウスの言葉を聞き、レイラは悔しそうに唇を噛んでようやく足をとめた。
「何か足になるものが……」
 言いかけたとき、動物の鳴き声が聞こえた。
 炸裂音のようなものが小さく響き、それが次第に大きくなる。
 四人が森を見ると、木々の間から何かがまっすぐ近付いてきた。それがまわりにある枝を次々とへし折っている。低い木は根こそぎ引っこ抜かれていた。
「……あれは?」
 唖然とクラウスが誰ともなく問いかける。
 見慣れた家畜とは違う。短く太い首に凶暴な口――口は幸い開かないように金具でしっかり固定され、それが手綱に繋がっていた。
 短い足は太く、しっかりとしたかぎ爪が地面を掴んで後方へと押しやる。重心を取るためだろう尾も、異様なほど長かった。
 その生き物は、全身をウロコで覆われていた。
「魔獣の類でしょう。……人が乗りこなすとは珍しい」
 レイラはちらりとクラウスを見た。感心したように魔獣を凝視する王子の後ろには、やはり従者二人が怯えた目をして隠れていた。
「魔獣」
 見る見る近づいてくる生き物は、森を抜けた所で手綱を引かれてたたらを踏むように大きくよろめいて止まった。
 あまり慣れていないらしい。
「すまん、おかしな船を見なかったか!?」
 魔獣に乗った男は川を見渡しながらそう声をかけてきた。
 その格好を見て、レイラが思わず視線を足元に落とす。クラウスは、意外と女らしいところもあるのだなと心の中だけでつぶやいて男を見上げた。
 彼は、腰布を引っかけ薄い肌着を着ただけの格好だった。全裸ではないが、かといって人前に披露する物ではない。
 じろじろ見ていると、彼は慌てたように口を開いた。
「怪しい者じゃない! ちょっと……そう、ちょっと夜盗に襲われて、服と荷物を取られたんだ! 証拠にホラ……」
 言いかけて、彼はパタパタと体を叩いた。
 そして、自分がまともな服すら着ていないことに気付いてガックリ項垂れる。
「とにかく怪しい者じゃない。船を捜してるんだ。見かけたら教えてくれないか?」
 真剣にそう懇願している。
 クラウスとレイラは顔を見合わせて、それから頷いた。
「教えてやってもいいが、交換条件だ」
 クラウスの言葉に男は小首を傾げた。まさかそうくるとは思っていなかったらしい。
「出来るものならやりたいが、この通り何もなくて……」
「あるだろ」
「は?」
 ニヤリと笑ってクラウスは魔獣を見た。近くで見れば見るほど、立派な足腰をしている。これならしばらく走らせても問題ないだろう。
 その視線の意味を理解して、男は青ざめて首を振った。
「これはダメだ!」
 彼はそう言って魔獣の首に抱きつく。
「船の方角を知りたいのだろう? 安心しろ、ちゃんと返す」
「そんなものあてになるか!」
 涙目で怒鳴っている。何かよほど嫌な目にあったのだろうかと考えていると、
「こちらはニュードルの第四王子クラウス・ヴァルマー様だ。約束をたがえたりしない」
 そうレイラが助言してきた。
「ニュードル!? そんな大国の王子がこんな場所にいるわけないだろ!」
 非常にもっともな反論が男から返ってきた。
 確かに、大国の王子がこんな辺境の地で散歩をしているはずがない。しかもそこにいる四人の服はしっとり濡れており、どう贔屓目ひいきめに見ても王子様ご一行≠ニいう雰囲気ではないのだ。
「クラウス様、何か証明になるものは……」
 レイラがそう言ってクラウスを見る。しかし、身につけていた金になりそうなものはすべて船上で盗られてしまったし、身分を証明するために使う特殊な加工の施されたペンとインクは船内に置きっぱなしだ。
 いま身分を証明できるものなど何一つない。
 さて困ったとクラウスが唸る寸前、レイラが身を一瞬かがめた。その手が何かを拾い上げ、瞬きするよりも速くその何かを男の喉元に突きつけた。
「剣は海賊に盗られているが、これでも代用は十分だ。喉を突き破られたくなくば、そこから降りろ」
 硬質な声のレイラの手には、少し太めの枝が握られていた。それはその魔獣が折った木の枝の一つ。
 今のレイラにとっては武器としての役目すら担うものだ。
「どんな形にせよ、そこからは降りてもらう」
 レイラの鬼気迫るその姿に男は気圧されたようにのろのろと降りた。
 レイラは手綱を引き寄せでクラウスを見た。
 この魔獣で四人を運ぶことは困難だ。けれどここで考えあぐねていては海賊船との距離がどんどん広がっていってしまう。
 そして結論に達する。
「魔獣を返すまで、その二人を好きに使っていいぞ」
 顎で指した先にいた従者二人は、顔面を見事なほど硬直させていた。


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