act.38  朝のできごと


 目を開けると、あたりが薄明るくなっていた。
 手を動かすと痺れが走り、それが刺すような疼きをともなった痛みを誘う。
 リスティは小さく溜め息をつく。視線の先には少女を膝の上に乗せたまま眠りこける少年の姿があった。
 その彼の手首も後ろでしっかり固定され、少女もやはり同じ状態なのだが、寄り添うようにして眠るその姿はまるで親子のようで不思議と心がなごむ。
 実際にはこの状況があまり歓迎すべきないものであるとわかっているにもかかわらずだ。
 リスティはあたりを見渡した。
 そこは客船の一室。昨日海賊に襲われた船は結局たいした抵抗もできずにのっとられ、金になりそうなもの以外は川へと投げ捨てられた。
 殺さないだけ良心的かもしれないが、セタの運河は古くから底がないと言われ、神の意思が宿るとされている。
 しっかりと服を着込んだ上品な乗客たちが川に突き落とされ無事に岸まで辿り着いたかどうかは謎だった。
 一部では対岸が見えないところもあるほどセタの運河は広い。
 クラウスやレイラ、それにメリーナたちはどうなったのだろう。同じように川に突き落とされてしまったのかと思うと、ゾッとした。
 深すぎるあおは、すでに何色と表現する事もできないほど暗い。あの中に沈めば、永遠に光を見ることなどできないだろう。
 外の様子を確認しようとしたリスティはすぐにそれを断念した。
 見上げた窓はずいぶん高く、とても届くような場所ではなかったのだ。
「りく」
 小さな呼び声と共に、少女が顔をあげた。
 着ているものはみすぼらしいが、その容姿は可憐といってもいい。
 リスティはうっとりと見詰める。
 少年の膝の上に乗ったまま、少女はどうにかして彼を起こしたいらしい。
「りく?」
 見上げる目がうるうるしている。頭を彼の胸に何度もぶつけているが、彼の口からは心地良さそうな寝息がもれていた。
 ずいぶんと肝がすわっている。
 昨日リスティを海賊から救った少年は、大海陸というらしい。
 王都ルーゼンベルグの紋章の入った甲冑が彼のものでないことは、その場に駆けつけた海賊仲間の言葉でわかった。
 そしてどうやら、海賊と王都に何らかのつながりのある事も。
 それを知ってしまったリスティは陸という少年と、彼が連れていたココロという名の少女――さらに、見知らぬ大男とともにこの部屋に監禁された。
 そして一晩。
 浅い眠りを繰り返したリスティは、ようやく訪れた朝に安堵の息をはく。
「りく」
 趣味の悪い毛皮を肩にかけ、陸という少年が爆睡し始めてからこの部屋に連れてこられた大男は昨日と同じうつ伏せの状態で眠っている。それを気味悪そうに見詰めていたリスティの耳に、少女の声が届いた。
「りく」
 どうやらうまく言葉を話せないらしい。一生懸命頭をすりつけて彼を起こそうと奮起するその姿は本当に可愛らしく、リスティは知らずに微笑みを浮かべた。
 少女はいつまでたっても起きる気配のない陸の顔を見上げる。
 そして、大きく口を開けるなり彼の鼻に噛みついた。
 リスティが声をあげるよりも早く、少年の悲鳴が長く尾を引く。
「こ、ココロ!!」
「りく!」
 陸が起きたのが嬉しいらしく、ココロは満面の笑みで彼を見上げる。その笑顔をむけられ怒る気もそげたように、彼は溜め息をついた。
 彼の鼻にはしっかり歯型がついている。赤い鼻をすすりながら、
「ココロ、腕に力入れてみろ」
 と、陸が顎で手首をさした。
「ま、なんかこんな事になっちゃったし、要見付かったし――あれ? 要ってどこ行ったんだろ」
「かなめ」
「速い船に乗ってたイっちゃってる王子様風の」
 ずいぶんひどい例え方をしながら、陸が首を傾げた。
「助けろって言ってもなぁ、場所教えてくれないと。ココロ、ひとまずロープちぎって」
「ろーぷ」
「手首縛ってるヤツ。ホラそれ。ぐっとしてみな?」
 顎でさしながら陸がそう言う。捕まっているというのにどこかのんびりした会話をしているが、少女にむかってロープをちぎれとは無茶な話だ。
 リスティは痺れている手に力を入れ、すぐにあきらめた。
 そして少女の手首を見て唖然とする。
 そこには確かに引きちぎられたのだろうロープがわずかに絡まっているのみだった。
「よしよし、オレの外してくれ」
 彼は自分の肩越しに手首を見てココロに言った。少女はすんなり膝からおりて少年の手首を縛るロープを解いた。
「サンキュ」
 外された手首をひねり、彼はわずかに眉根を寄せた。
「手が痺れてる……ってことは、痛覚……」
 ボソリと呟き、唸り声をあげている。
 どうやら痺れていること自体に驚いているようだった。夜中にわずかながらでも圧迫され続けていたのだ。痺れていて当然のはずだ。
 そんなことを考えていると、陸の手が不意に少女の背中に回る。何かを確かめるように布越しの小さな背に触れ、再び唸り声をあげた。
「成長してるよな〜」
 困ったようにそう言った彼の視線が、ようやくリスティに向けられた。
「大丈夫、お姉さん?」
 問いかけて近付き、細かい作業はあまり得意ではないらしく悪戦苦闘しながらロープを解く。
 一息ついた彼は、床の上で伸びている男を見て絶句した。
「船長……」
 そこにいた男は、どうやら知り合いらしい。


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