act.37  館


 見事に拉致された要はラビアンとともに巨大な扉の前にいた。
「……どこここ」
 すでにいい飽きるほど言った問いかけの言葉さえ虚しく空気に溶けていく。
「王都ルーゼンベルグのどこか」
 ラビアンは冷静にそう答えた。王都ルーゼンベルグの所有する船は、通常のそれよりも遥かに速度が出るらしい。
 バルトとの距離はかなりあるとラビアンは語ったが、太陽がわずかに傾きかけた頃には目的地らしい場所に辿り着いていた。
 目の前には観音開きの巨大な門がある。
 黒い門扉はトゥエルが立つと左右に大きく開かれた。
「王様なら宮殿に行くんじゃないの?」
「行けん理由があるんだろ」
 困惑して問うと、当然とばかりにそんな返事がきた。身分はわれているが得体のしれない男――要にとって、褐色の肌の王は隣の王女よりよほど扱いにくそうに映っている。
 セタと呼ばれる運河でほんの一瞬再会をはたした幼なじみは、いったい今頃何をやっているのだろう。
 無事であるのは素直に喜ぶべきことなのだが、あの服装にツッコミを入れたくて仕方がなかった。
 別れてほんの数時間しかたっていないにもかかわらず、なぜか甲冑を着ていた陸。その彼が海賊に襲われている客船にどうやったら乗り込めるのか――
「本当、何やってるんだアイツ」
 小さくそうぼやいた。だが要ももちろん人のことを言えた義理ではない。
 バルト城の中で着せられていた服よりは控えめとはいえ、ヒラヒラのシャツはどうしても目立つし、大きなリボンもかなり洒落になっていない。
 ゆったりとしたパンツは足首で締まっていて、見るからに馬鹿っぽい。
 おそらく陸も要の格好と、そして高速船に乗り込んでいたことに驚いただろう。
 助けろと怒鳴りはしたものの、この状況からはとても救助がくるとは思えなかった。ひとまず彼からの救助はないものと計算して、なんとか自力でこの窮地を脱しなければならない。
 要はちらりと後方を見た。
 そこにはジョゼッタと呼ばれる金髪の女剣士と重装備をほどこした剣士が三人いた。頭部を守るようなつくりの兜は鼻の位置まであり、表情すらわからない。
 不快な音を響かせる甲冑の男たちに、要は溜め息をついた。
 簡単に逃げ出せそうにないなと、ひどく後ろ向きな答えが出る。
 要があきらめたように前方に視線を戻すと、悠然と白い石の絨毯を歩く男の後ろ姿が見えた。
「見事だな」
 眼前に広がる光景に、ラビアンが吐息をつく。
 黒い巨大な扉の奥には色とりどりの花が咲き乱れていた。そのどれもが小振りなのだが、庭を埋め尽くす柔らかな花の絨毯は、硬質な石の絨毯と見事に調和している。
 その中に女性の石像がいくつもある。それは少女だったり淑女だったりと様々だが、総てが同じ女性をモチーフに作られたもののように要の目には映った。
 石の絨毯はどっしりとかまえた館に続いていた。完全なシンメトリーで作られた赤レンガの建物はどこか懐かしい雰囲気さえただよわせていた。
 トゥエルはまっすぐにその館に向かう。
 要は男の背をほんの少し見詰めてから、熱心に建物と庭を観察した。
 逃げるのなら、多少の知識はつけておいたほうがいい。安全に建物から出られても、塀を越えなければ意味がないのだ。
 高く築かれた塀にうんざりし、要はトゥエルとラビアンに続いて館のドアをくぐった。
 広い玄関に足が止まりそうになる。そこは高級ホテルのエントランスを彷彿とさせ、吹き抜けの天井からは豪奢なシャンデリアが覆いかぶさるようにしながら輝いていた。
 落ちぶれているとラビアンは言ったが、とてもそうは見えない。
 慌てたように駆け寄ってくる数人の美しいメイドは、トゥエルに短い言葉をかけ、ある者は来た通路を戻り、ある者は小走りで一室のドアを開け、またある者は男の着ていた上着をうやうやしく受け取った。
 トゥエルはメイドが開けたドアをくぐり、窓のそばまで行くとようやく足を止めた。
「ここに私が招待された理由を聞こうか?」
 ラビアンが褐色の肌の男に問う。ひどく対照的な二人は、しかし横柄な態度と人を小馬鹿にした表情がよく似ている。
 要はラビアンを見た。
 気位の高さはこんな状況でも変わらないらしい。逆らわないほうがいいと言っておきながらの態度に呆れを通り越して感心すらしてしまう。
 要が小さく溜め息をつくと、トゥエルが興味深げに黒瞳をむけた。
「その男、出身は?」
 突飛な質問に不本意ながら動揺した。出身と聞かれても、異世界と言うわけにはいかない。
「バルトの南の生まれだ」
 答えを探す要のかわりにラビアンが簡潔にそう口にする。
 トゥエルは冷酷に微笑んでラビアンの前に立った。少年の姿をした王女は男に比べるとずいぶん小さいのだが、威圧するように見下ろしてくる視線に動じた様子はない。
「お前の持つその荷物は?」
 トゥエルは言うなり、ラビアンから皮のリュックを取り上げた。
「やめろ!」
 とっさに要が止めにはいるが、すぐさまその動きは止まった。首には剣が当てられていた。彼はそのまま、剣を辿ってそれが女の手に握られているのを確認した。
 美人と表現して差し支えない女なのに、触れれば斬れる抜き身のナイフのようなその闘志が、彼女を女ではなく戦士へと変えている。
 逆らえば首が飛ぶと、瞬時に理解した。
「ジョー、余計な事をするな」
「しかし」
 ジョゼッタは主の言葉に動揺したが、すぐに小さく頷いて剣を鞘に収めた。彼女はそのまま二歩後退して仁王立ちになって待機した。
 トゥエルの意見は絶対らしい。
 そう思って安心している目の前で彼がリュックをゴソゴソ探り始めた。褐色の腕はすぐに引き抜かれ、小包を取り出す。
 トゥエルは丁寧に梱包されていた小包を乱暴に引き破っていく。
 そしてその中にあったのは――
「って、オレの携帯!」
 見慣れた折りたたみの携帯は、バルト城で着替えさせられた時に取り上げられていた。まさかそれをこの場で見ることになるとは思いもよらず、要は大声で叫んでからハッとして口を閉ざした。
「お前のか?」
 物珍しそうに携帯を眺めながら、トゥエルはそう問いかける。その手が、乱暴に携帯をいじくり回すお蔭で小さな通信機器はか細い悲鳴をあげ続けている。
「……」
「どう使う?」
「……貸して」
 放っておいたら破壊されると確信して、要はしぶしぶ手を伸ばした。
 電源を入れると見慣れた待ち受け画面が現れる。それは未来のバルト城。映っていてはならない景色。
 要はとっさに待ち受け画面を別のものに変更してから、数歩さがって携帯を目の高さにまで持ち上げた。
 もうヤケだと思う。
 これがただの役に立たない機械だと思ってもらえればいい。――実際、受信できる電波がないのだから本当に役に立たない。携帯の画面はいまだに地球外という文字を刻んでいた。
 要はそれを切り替えて、
「チーズ」
 と、そっけなく言ってからボタンを一つ押した。
 軽い音とともに、世界が一つ切り離される。
 そこには、不思議そうにこちらを見るトゥエルとラビアンが映っていた。これはなかなか面白いかもしれないと不謹慎に思いながら、要はその画面を二人に向けた。
「これは――カメラ」
 投げやりに言うと、画面を覗き込んだ二人がほぼ同時に驚いたように顔をあげた。
「絵があるぞ。いつのまに描いた?」
 予想通りのラビアンの言葉に微苦笑する。カメラなんて便利なものがない世界なら、やはり絵筆を持って肖像画を描くのが一般的なのだろう。
 コマ送りで世界を残す事もできる異界の機器はきっと魔法の道具に違いない。
 そう考えた瞬間、自分がとった行動が軽率だったのではないかという思いが胸のうちに生まれた。
「なるほど、面白い」
 携帯の画面と要の顔を交互に見た男が、ゆっくりとそんな言葉を吐き出した。


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