act.36  小包


「船でどこ行く気だよ!!」
 そう声をかけると、白銀の髪をひとくくりに縛り、王女とは思えないほどラフな格好をしたラビアンが首をひねって要を見た。
「ご主人様に黙ってついて来い」
 どこまでも横暴な物言いに、要が拳を握る。女でなかったら間違いなく殴っていただろうその顔には高慢な笑みがあった。
 相手が陸だったら絶対に大喧嘩だ。体力に自信のない要は口喧嘩に発展させる場合が多く、人がいいのか流されやすいのか、陸はいつもそれに付き合っている。
 あいつのほうがまだ100倍ましだぞと、要は嘆息しながら白銀の髪の少女を見た。
 その視線が、ふと川に向く。
 川といっても、そのサイズは異様なほどでかい。
 遥かかなたにようやく対岸が見えるようなそれは、大運河といっても差支えがないほどだ。それなのに水は濁りなく澄み、奇妙な形の魚が悠悠と泳いでいる。
「……本当、どこだよここ」
 うんざりしたように川を眺めていると、上品で優雅な曲線を持つ船が近付いてきた。大きな白いマットいっぱいに風を受け、滑るように水面を移動している。
 船体自体はさほど大きくはないが、それでも様々な技術を駆使して作られた一隻であることは容易に想像がついた。
 時間が逆行しているかと思ってしまうほど違和感のある服、見慣れぬ建物。町には外観を損なうような電線はなく、当然電化製品なんて一つも見当たらない。道を走るのは多少毛足の長いロバのような動物がひく馬車≠ナ、物陰からこっそり様子を窺っている小動物は猫のようにすばしっこいが、微妙に記憶にある生き物とは違う形をしていた。
 町を抜けると畑があり、そこは総て手作業で管理させている。時々見かけたのは、なんとなく牛を彷彿とさせるどっしりとした体型に低い唸り声をあげるような動物で――しかしそれは、どう見ても牛ではなくて。
「……」
 己の知識があまり役に立たないことを嫌というほど思い知った要は、まっすぐに近づいてくる船舶に険しい表情を向けた。
 今まで得た情報を総動員させてわかることは、あの船が明らかにこれまで目にしてきたものとは異なっているという事実。
 ただがむしゃらに生きているのではないかと錯覚しそうな人々とは違うイメージが、前方の船から見て取れた。
「……ラビアン」
 目的地も告げないままに歩き続けてきた王女は、要の押し殺したような声に眉をひそめつつ振り返った。彼は真紅の瞳を見詰め、それからゆっくりと川へと顔を向けた。
 つられたラビアンが、水を切るようにして進んでくる一隻の船を見つけて眉根を寄せる。
「なんだ、あの船」
 どうやらこの国の王女である彼女の記憶にもないものらしい。
「……こっち、向かってきてるんだけど」
 見ればわかることを思わず伝えると、ラビアンは大げさに肩をすくめてみせた。
「おおかたどっかの金持ちが作らせた船だろう。セタの運河は景色がいい。遊覧にはうってつけだ」
 気にとめた様子もなく、彼女はわずかに落ちた歩調をもとに戻してそう告げる。しかし、要はそんな彼女について歩きながらもまっすぐ向かってくる船から視線を外すことができなかった。
「そんなことより、急がないとクイーン・ロザンナ号に間に合わない」
「……なんでその船に乗る必要がある?」
 どうせ答えは返ってこないだろうと思いつつ、要は投げやりな口調で聞いた。
「聞きたいか?」
 意外なことにラビアンは足をとめて要を見た。
 ガキのクセに嫌な聞き方をするなと思いながら要はこっそり溜め息をつく。着飾って口を閉じていれば人形のように美しく愛らしいだろう少女――しかし、その彼女は少年と見紛うような服装と横柄な口調でせせら笑うように口元をゆがめている。
 一国の王女とは思えないその態度に、可憐で高潔だと思っていた中世ヨーロッパの姫君のイメージは総崩れ状態だ。
 夢を抱いていたわけではないが、あまりにも想像とかけ離れている。
「別に聞きたくない」
 そっぽを向いて答えてからラビアンの隣を通り過ぎると、彼女の手が要の腕を掴んだ。
「少し届け物がある」
 ニッと笑って、ラビアンは肩にかけた皮の袋を見た。聞きもしないときに限って答えようとする彼女は、随分とひねくれ者な感じがする。
 要はちらりと荷物を見た。
 何が入っているかを聞いても答えが返ってくる確率は低い。
「ああ、そう」
 要は努めて興味のないそぶりで彼女を見詰め返した。情報が欲しいなら、相手から上手く引き出すコツを覚えたほうが手っ取り早い。
 幸い彼女はそのコツが掴みやすい人間のようだ。
「中身が聞きたくないのか?」
「どうでもいいよ」
「小包だ」
「……ふぅん」
 その包みの中身を言わなきゃ意味がないだろうと、要は小さく心の中で突っ込む。もう少し早く相手から情報を仕入れる話術を身につけないと、無駄な時間ばかりが増えてしまう。
 そう考えた時、ふと辺りが陰った。
「なんだ?」
 ラビアンが要の腕を放して顔をあげる。
 真紅の瞳がわずかに見開かれるのを確認してから、要も同じ方向を見た。
 さほど大きくないと思っていた優美な曲線を描く船体がすぐ目の前にあった。遠方からは本当に大したことはないと思っていたが、それでも小さいと言うには抵抗のある船だ。
 それは音もなく岸に横付けされていた。
「……この川どうなってるわけ?」
 このサイズの船が陸地ギリギリに来られるわけがない。人工的に作られた波止場ならまだしも、この川はどう見たって人の手は加わっていないだろう。
 しかし、船は手を伸ばせば触れられるほど近くにある。
 要は水面を見た。
 澄みきった水はあまりに深く、まるで底なしのようにすら映る。
「この川はその昔、谷だったという言い伝えだ。何百年、何千年に一度、水をたたえては失う神の意志の宿る運河。部分的に崩れて砂地になっているところもあるが、だいたいは底さえ見えない死の入り口だ」
 ラビアンは緊張したように小さくそう告げる。
 初めてまともな返答が来たなと思いながら、要は彼女を見た。
「――逃げる?」
「当然だ」
 要の問いにラビアンが小さく頷いた瞬間、空を切る音とともに二人の目の前に何かが降り立った。
 燃えるような紅蓮の髪が大きく揺れる。
 しなやかな肢体が大きく動くと同時に褐色の皮膚でおおわれた筋肉も移動する。
 それが男であることはすぐにわかった。剣を片手にあの高い甲板から躊躇いなく飛び降りた彼は、低い体勢から流れるような身のこなしで剣をかまえた。
 男が顔をあげる。
 獰猛とさえ映る黒瞳をわずかに細め、彼は口を開いた。
「バルト国王女か?」
 と。
 要の隣で、ラビアンが息をのむのがわかる。男の低いその声音は、威圧するような強い意志さえ伴っていた。
「人違いだ」
 押し殺したような声でようやくそう返すと、褐色の肌の男は冷ややかな笑みを向けた。
「くだらん嘘などつくな。首を持って帰る気はない」
 野生の獣を連想させずにはいられない男がそう囁く。その声はどこか優しく、限りなく不気味だった。
 男は焦りを隠せないようなラビアンを一瞥し、要に視線を移し、そして己が飛び降りた船体を見た。
 船体の一部が外れ、そこからゆっくりと階段が伸びてくる。
「トゥエル様!」
 甲板から身を乗り出すようにして、甲冑を身にまとった女が青ざめた顔をして叫んでいた。美しい金髪を振り乱して叫ぶその姿から、彼の身を案じていることが知れた。
「お怪我は!? トゥエル様!」
 女の叫び声を聞いて、ラビアンは表情を硬くした。
「……王都ルーゼンベルグの王か」
 どうやら有名人らしい。ラビアンの言葉に、褐色の肌の男は軽く鼻で笑って剣先で下りてきた階段を指した。
「斬られたくなければ船に乗れ」
 彼女の性格から考えれば反発すると思ったが、じろりと男を睨みつけてから、彼女はすんなりと階段に向かって歩き始めた。
 つまり、逆らわないほうがいい相手であると彼女が判断した――そう思わずにはいられないその表情に、要もわずかに緊張する。
「……お前もだ」
 低い命令に逆らう事もできず、要もラビアンのあとを追うように船に乗り込んだ。これでどんどん目的地から遠ざかってしまう計算になる。
 いったいいつもとの世界に帰れるんだと自問自答したくなる。
 褐色の肌の男――トゥエルが船に乗り込むと階段はすぐに収納され、進航が始まる。広い甲板には要とラビアン、それにトゥエルと彼の身を案じるように擦り寄る数人の美女、先刻の声をあげた金髪の女剣士、さらに屈強な男たちがいた。
 甲板は広いがなんとなく狭く感じてしまうのは、警戒するように向けられる視線で居心地が悪いためだろう。
 要は怯える様子もなくトゥエルを見ているラビアンに小さく声をかけた。
「なんでこんな事になってるんだよ?」
「知るか。バルトは小国だから、私をさらって益があるはずはない。ましてや、落ちぶれたと言われているがあそこにいるのが王都ルーゼンベルグの支配者なら、なおのこと現状が把握できん」
「……あれ、本物?」
「あの容姿の男がゴロゴロしていると思うか?」
 そっくりそのまま返してやりたくなる言葉を吐いて、ラビアンは溜め息をついた。
「残忍な男だと聞いた。父殺しの大罪を背負ってなお、一国の王として君臨するほどの男だ――今は、逆らわんほうがいい」
 少女がそう呟く。
 年下の彼女は、やはり王女なのだと要はそう思った。剣を向けられた状態で、それを向ける相手がどんな男かも知ったうえで、冷静な判断をくだすことができる。
 次の機をうかがうために待つことを知っている。
 要は視線を床に落とす。
 そして。
「……陸?」
 不意に懐かしい気配を感じ、弾かれたように視線をあげた。
 要はとっさに船首に走り寄る。想像以上の速度で進む船の前方には、二隻の船があった。その一隻はずいぶん趣味の悪い青い船で、所々赤い模様が描かれている。もう一隻も、お世辞にもセンスがいいとはいいがたいゴテゴテに装飾のほどこされた船だった。
 赤斑の青い船からいくつものロープやはしごがかけられ、どう見ても一般人とは思えない男たちがもう一隻に移動していた。
「海賊船……?」
 唖然と要がその光景を見詰める。
 剣を振り回して乗客を追い回すその姿は、遠くからでもはっきりと確認できた。
 その中に、懐かしい気配が紛れている。
「陸――!」
 とっさに呼びかけると同時に、旅客船らしい窓の一つが大きく開く。
 そこには、なんだか見慣れない格好をした幼なじみの姿があった。
「何やってるんだ、お前!!」
 思わず要がそう叫ぶ。大きく両手を広げ、窓を開けたままの姿勢で固まった陸は要を見上げて驚きに目を丸くしていた。
「学芸会か!?」
 開口一番、陸はご丁寧に指をさしながら大声を張り上げる。確かにまともな姿でないことは認めるが、それにしたってあんまりなセリフだった。
「どこ行くんだ!?」
 おぉいと間抜けな声を出して大きく手を振る幼なじみはどんどん遠くなっていく。船の航行速度は落ちることなく、そして、互いの距離は広がる一方だ。
「助けろ、この馬鹿――!」
 思わずそう怒鳴ると、陸の顔が一瞬引きつった。
 ――どうやら、ようやく状況を把握してくれたらしい。
 後方で物珍しそうに要を覗き込んでいる褐色の肌の男の視線を感じながら、彼は八つ当たりと知りつつもあっという間に米粒ほどに小さくなってしまった船に乗り込んでいる呑気な幼なじみをひっそりと恨んでいた。


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