act.33 拒絶
船がスピードをあげる。陸はぎょっとして窓に貼りつき、顔を引きつらせた。
眼下では船体の左右に穴が開き、そこからオールが出て力強く水をかいている。オールを操るのはさぞ屈強な男たちだろう。速度を増す船に、陸はそう判断せざるを得なかった。
しかも海賊船は、ココロが必死で見ている方向へまっすぐ進んでいる。
陸は船長らしき男がテーブルに残していった双眼鏡を手にし、同じ方向を見た。
「……うわ、船だ……」
くっきりと見える船体に、陸は思わずそう呻いた。船首に両手を広げた半裸の女性の像がくっついた船など今までに一度も見たことがない。
派手なマストにはなんだかよくわからない模様が描かれ、船体自体にも何かしらの装飾がほどこされているようだが、全体的な印象は――
「安っぽい船だな?」
遠くからでもこけおどしの派手さがわかり、陸は瞬時にそう判断する。乗っているのはさぞセンスの悪いヌケ作か、まんまと騙されたアホ作か。
「って、無駄なことはよせ!」
あれじゃ大して金にならないと判断して、陸は船長らしき男に声をかけた。
が、すでに室内には誰もいない。開け放たれたドアの向こうには、剣や弓を持ってバタバタ歩き回る船員が見えた。
体の一部のみを守るように作られた甲冑を着た男たちの体には、生々しい傷跡がいくつも残されている。骨に達するほど深くえぐられたのだろう傷跡を持った男もいれば、片目を失った者もいた。
しかしそれを別段気にした様子もなく、彼らはそれぞれの役割を果たすように忙しそうにドアの前を横切っていった。
活気というより殺気に満ちている船室の外は、すでに戦いが始まっている。
「クソ……!」
流さなくてもいい血が流れる。
陸はもう一度双眼鏡をかまえ、ターゲットとなる船を見た。
「……クイーン……ロザンナ……号?」
船体に刻まれた文字がそう綴っている。
「……? あれ、どこの字?」
日本語ではない。英語とも違うようだし、それ以外の字なんて皆目わからない。
だが、陸の眼にはどう見てもそれがクイーン・ロザンナ号≠ニ読める。英語の教科書を見ると、彼はいつもその文字を日本語に置き換えることに躍起になる。彼にとって英語は言葉ではなく記号なのだ。
その記号を解読するには一文字一文字の意味を調べ、それを繋ぎ合わせて言語として成り立つようにしなければならない。
日本語のように言葉としてそのまま受け入れることはできないのだ。
そして、船に刻まれた文字も彼にとって記号であるはずだった。
単語を理解しなければ読めないはずのもの。
「……なんで読めるんだ?」
首を傾げてもう一度双眼鏡を向けてみても、やはり結果は同じだった。言葉が通じないのだから字も読めないはずなのに、読めないはずの字が理解できる。
陸は顔を引きつらせながら双眼鏡をテーブルの上に戻した。
現状が把握できない。
今のままの状態を放置しておくことはあまりに気味が悪い。すぐにでも誰かにこの状態を伝え、何がどうなっているのかの助言が欲しい。
「ココロ」
不安を殺して、陸は少女を見詰めた。
ココロは陸の動揺に敏感に反応し、小さな手で彼の頭をよしよしと撫でている。この船にいた経緯から、少女のほうがずっと不安に違いない。
それでも慰めようと手を伸ばす少女に、陸は何度目かの苦笑を向けた。
「もう一回船長探すか」
小さく問いかけて、陸は再びちらりと窓の外を見た。
「――って、速すぎ!!」
ついさっきまでは双眼鏡を使っていたにもかかわらず、センスの悪い船はすでに肉眼で確認できるほど近くにいた。
どうやら向こうにも、風力以外の航行手段があるらしい。オールは出ていないが、こちらの船の推進力だけでここまで短時間にあの距離が埋まるとは思えない。
「りく、ふね」
「ああ、船だなオイ」
ココロが指をさす。
それは、クイーン・ロザンナ号と書かれたどうしようもなくセンスの悪い船とは別の方向だった。
「ふね」
そう繰り返すココロに首を傾げながら一応彼女の指す方向に目をやるが、やはり陸の目には何も映らない。そうするうちに、どんどんクイーン・ロザンナ号との距離が縮まってきて、陸は慌てて窓から離れた。
ひとまず船長を探してこの状況を何とかしなければならない。
「言葉通じないの不便!」
知らない土地なのだから言葉が通じたほうが不気味なのだが、そう文句を言わずにはいられない。文字が読めるなら、せめて何らかの伝達手段があってもいいはずだ。
「オレが字を書いて――どーせ日本語しか書けねーよ!」
一人で突っ込んで、彼はココロを抱いたまま船長の部屋を後にした。
海賊船の船内は、どこに隠れていたのだと問い詰めたくなるほど人がいた。その誰もが怒鳴りながら武器を片手に走り回っている。
趣味の悪い毛皮を着ているお蔭で仲間と間違われているのか、子供連れの陸はかなり目立っているが誰にも声をかけられることなく慌しい廊下を進んだ。
船長の元まで案内した男を捜そうかと思ったが、臨戦態勢へと突入した船員たちの中からその顔を発見するのは難しく、陸は甲板へ通じる階段を探した。
戦いが始まるのなら、船長は甲板にいる可能性が高い。
そう思って立ち止まってあたりを見渡すと、目の前に無駄に装飾をほどこした槍が突き出された。
陸が目を見張る。
槍を突き出した豊かな髭の大男が怪訝そうに顎をかいて、今度は剣を差し出す。
その意図を悟り、陸が首をふった。
男は何かブツブツ言いながら、大振りの剣を陸の目の前によこす。
「だから、いらない! オレ海賊じゃないから!」
思わず口を開くと大男は驚いたように目を見開き、そしてさらに細い剣を差し出してきた。
どうあっても間近に控えた戦いに参加させたいらしい。しかし、運動神経が他者より多少勝っているとはいえ、陸はもともと元気に学校に通い、弁当と間食をこよなく愛するごくありふれた高校生なのだ。
剣や槍を持たされ海賊と一緒に金品を強奪しろと言われ、すぐにそれを実行にうつせるほど神経は太くないし、型破りな性格でもない。
「とにかくいらない!」
突っぱねると、大男はガリガリ顎をかいた。
今度は小さな短剣を差し出す。
陸は苛立って腰をバンバン叩いた。あまりに目立たないがそこには剣がぶら下がっている。
それを見て大男は大げさに目を見開き、何かを大声で言いながら陸の背をグローブのような巨大な手で叩いた。
陸はココロを抱きかかえたままつんのめり、慌てて壁に手を付いて体勢を立て直す。
文句を言おうと振り返ると、大男は様々な武器を船員たちに手渡して叱咤激励をしている最中だった。
「なんなんだよ!」
文句の言葉さえ通じないことを思い出して陸はヒリヒリする背中をさすって再び階段を探し始めた。そして、すぐに船員たちが一定の方角に向かって進んでいることに気付く。
その先には、階段があった。
陸はココロを守るように腕の中に抱きなおし、その人ごみの中に紛れて階段に向かう。センスの悪い青い毛皮を羽織った男たちの目は血走り、中には雄叫びをあげる者もいた。
その声に驚くココロを落ち着かせるように、陸はその髪をそっと撫でる。
ふと手に当たった彼女の背中の突起が前よりも少し大きくなっているような気がして眉根を寄せた。
体はさほど変わっていないのに、翼だけが成長しているようだ。
「う〜ん?」
もみくちゃにされながらも服の上からそれを確認すると、ココロは驚いたように陸を見上げた。
「服買うとき、翼出せるようにしとかないとな」
「ふく?」
「そうそう。可愛いのあるかな」
そう言って小首を傾げると、後方から強く押されて体が大きく傾いた。慌てて足を踏み出して顔をあげると、そこには双眼鏡で見た以上に微妙なセンスの船体があった。
船首の半裸のお姉さんはなかなかスタイルもよく美人なのだが、マストの柄や手すりにほどこされた模様、甲板に置かれた木製の彫刻などのバランスが最悪だ。
めぼしいものを片っ端から積み込んだだけという印象がある。
しかし、甲板にいる人間たちは決して貧乏な身なりではなかった。
高価そうな光沢のいいドレスを身に纏った婦人は大きな羽飾りのついた帽子をかぶり、キラキラ輝く手でこちらを指差して目を大きく見開いている。
うら若き女性もやはり贅沢な身なりで、大きく開いた胸元を宝石で飾っていた。
小太りの紳士、いかにも切れ者といった風情の若者、ふわふわのドレスを着た少女、落ち着いた雰囲気の老女――
誰もがそれなりに贅沢な生活をしているだろうと思われた。
そして。
男の声が雄々しく響いた瞬間、クイーン・ロザンナ号の乗客は悲鳴をあげながら逃げ出した。