act.31  去年


 海賊船の船長に会ったところでどうにかなるわけではない。
 第一言葉が通じない。
 しかしこのまま見なかったフリをするほど非情にもなれず、陸はココロを抱き上げたまま男たちに道案内させた。
 男たちはオロオロしながら階段を上がり、船室のドアの一つを開ける。
 中を覗き込みながら声をかけると船室にいる半裸の男が寝ぼけ眼で近づいてきて、陸を見るなり片手をあげて何かを言い、そのまま部屋の奥へと戻っていった。
「……?」
 男たちは隣の部屋のドアも開ける。
 そこには本を片手にした男がいて、彼も陸に何か声をかけてから部屋の奥の机にもどる。次の部屋には筋骨隆々の男が狭い室内で短剣片手に鍛錬に励んでおり、やはり陸に一声かけて鍛錬の続きを再開した。
「……おい、オッサンども」
 明らかに彼らは間違った解釈をしている。
 案内しろと命令したのは船長の元――つまり、海賊の頭のいる場所だ。自己紹介しろと請求したわけではない。確かにこのまま流れに任せれば最終的にはボスのところまで連れて行ってもらえるだろうが、いちいち全員の顔を拝んでいるほど暇でもない。
 元いた森に帰らなければならないのだ。盗賊のご一行と親善を深めている場合ではなかった。
「ボスだよ! 一番偉い人のトコに連れてけ!」
 怒鳴りつけると、男たちはヒッと小さく悲鳴をあげた。
「……なんか、海賊ってさ、荒くれどもってイメージだったんだけどな」
 もっと荒っぽくて、もっと傲慢で気が短い者ばかりだと思っていた。これでは陸のほうがよほど悪人に適している。
「去年、要といっしょに観た映画でさ、海賊ものがあって……」
 要の母親が手に入れたチケットで、結局一緒に行くことになって、彼に「お前なら即採用だ」と笑いながら言われたことを思い出す。
 彼には先見の目があったらしい。
「要に言われた意味、今になってわかった」
 ビクビクしながら前を歩く男たちを威嚇し、陸が溜め息をつく。
「えいが?」
 きゅっとしがみ付いた腕を緩めながら、ココロが陸の顔を覗きこんで問いかける。
「……うん。う〜ん、説明しにくいな」
 陸が苦笑した。
「元の世界に戻ったら連れてってやるよ。一緒に来る?」
 大きく頷くココロに笑って、陸は階段をあがる男たちの背中を見詰めた。
 等間隔に並び続けるドアには目もくれずに進んでいるから、どうやら今度はまともなところに案内してもらえそうだ。
 階段をあがって右に折れ、男たちは突き当たった部屋の前で緊張したように動きを止めた。
 そして、のろのろと腕を持ち上げて後方で控えている陸の顔を振り返る。
 陸は満面の笑みで顎をしゃくって見せた。
 他よりも明らかに大きな木製のドアは、その中央に上半身が人、下半身が獣の半獣の彫り物がしてあった。
「――キメラ」
 ふと思い当たった言葉を呟き、陸は低く唸り声をあげるココロを見る。天使というにはずいぶんと翼の小さな少女は、異常なほどの視力と運動能力を持ち合わせている。それは天使というより、野生の動物を連想させた。
「人工的に作られた命」
 今まで当たり前に思ってきた常識はどれだけ通用するのだろう。日本とも、ましてや地球とも思えないこの世界でどれだけの事ができるだろう。
 ざわりと背筋に寒気のようなものが走った。
 危険な場所にいるかもしれない。
 映画なんかとは違う、本当に命懸けの冒険をしているのかもしれない。
 その事に気付き、陸は息をのんだ。
「りく?」
 ココロが陸の変化を感じとって敏感に反応する。
 彼は少女を見上げ、ニッと笑った。
「大丈夫。――オレから、離れるなよ」
 ココロの身体能力は常人以上だ。しかし彼女自身がそれを上手くコントロールできない観がある。
「なんとかなるって!」
 いまさら引き返せないし、なにより命をもてあそぶ行為は許せない。
 どんな風に生まれたにせよ、その命には生きる権利がある。腕の中で不安そうにしている少女に頷いて、陸は前を見た。
 ゆっくりと開かれていくドアの奥に視線をめぐらせ、陸は目を丸くした。
 他の部屋とは明らかに違う様々な装飾で飾られた部屋の天井には海賊旗が貼り付けてある。人魚を模したのだろう彫刻は大理石のようだ。大きな壷は子供なら隠れられそうだし、壁にかけられている絵画は芸術にはまったく疎い陸でさえなかなかの逸品であると判断できる。
 派手とは言わないが、しかし他の船室に比べれば随分と贅沢なつくりだ。
 そして、室内には椅子に腰掛けふんぞり返っている男が一人。
 見覚えのある顔に驚いたまま歩み寄ると、陸に気付いた男がふっと視線を彼に向けて笑った。
 小型のティラノサウルスもどきで陸をここへ運んだ張本人がそこにいた。海賊だか盗賊だかよくわからないものの頭を務めるような雰囲気ではないと思ったが、実際に陸の目の前に彼がいるのだから読みが甘かったのだろう。
 彼が親しげに言葉をかけてくる。
 しかし相変わらず何を言っているのかさっぱりわからない。
「あんたここのボス?」
 こちらの言葉も理解できないとはわかっているが、陸は口を開いた。
 男は椅子から立ち上がって首を傾げながら近付いてきた。
 陸が再び口を開こうとすると、男は陸の胸当てをトントンつついた。
「――なに?」
 怪訝そうにその先を見ると、そこには雄雄しい鳥のマークが入っている。見ず知らずの男から奪った防具や武器、道具一式は一通り目を通しているが、そこに刻まれた模様までは気にとめていなかった。彼は陸がそれを確認すると大きく一つ頷いてココロに手を伸ばした。
 陸はとっさに少女を庇うように後退した。
 驚いたような男の顔を睨みつけ、
「それより下の牢屋! どうなってるんだよ!?」
 そう怒鳴りつけた。
 男は宙に浮いてしまった手を引き寄せ、不思議そうに陸を見詰める。
「なんであんな酷いこと――」
 そう続けた陸の声にそれ以外の声が重なる。ドアの外でバタバタと走り回る足音が聞こえた。
 陸は一瞬、呆気に取られたように黙った。
 男が陸に何かを言いながら足早に窓に近付いていく。彼はドアを指差してから、テーブルの上に置かれていた双眼鏡を手にして窓の外を見た。
「おい、話途中!」
 陸が慌てて男を追いかける。
 彼の肩を掴もうとして、何かに気付いたかのように陸は彼が双眼鏡で覗いている方角に顔を向けた。
「……ココロ、何か見えるか?」
「みえる?」
「ああ、川の向こう」
「……うん」
 一緒に窓の外を覗き込みながら、ココロは大きく頷いた。
「みえる」
「……何って聞いても、わかんないんだろうなぁ」
 なんとなくがっかりしながら呟いて、陸はハッとして男を見た。彼は大股でドアまで行き、乱暴にドアを押し開けて大声で怒鳴っていた。
「……オレ、あいつに文句いっぱい言いたいんだけどさ、言葉わかんないんだよネ」
 項垂れると、落ち込んでいるのがわかっているらしいココロが手を伸ばしてよしよしと陸の頭を撫ぜた。
「そんでさ」
 心配そうに顔を覗きこむ少女に苦笑して、陸は言葉を続けた。
「ココロ、二択だ。船長が見てたの、ただの景色だと思う? それとも」
 急にバタバタとあわただしくなった船内を見やり、陸は笑顔を引きつらせた。
「獲物の船だと思う?」


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