act.29  まぶしい


 一文字一文字をゆっくりと噛み砕くように読み、リスティはふと顔をあげた。
 今までメリーナと一緒に絵本の字をなぞっていたカーンが、窓の外に顔を向けている。
「どうしました?」
 様々な絵で飾られた本を驚きと共に見詰めていたのはつい先ほどの話だ。もうそれに飽きたとも思えず、リスティは小首を傾げる。
「……水……」
 この船が進んでいる川は、フロリアム大陸の中でもかなり大きな物に位置付けられている。
 どんな生活をしてきたかはわからないが、名前もまともに与えられなかったのなら、穏やかとは言いがたい過去を抱えているのだろう。
 森や川を見るのがいったい何度目なのか――そんな悲しい問いが胸に生まれた。
 リスティは瞳を伏せる。
 自分は幸運にもその苦痛を味わうことなく過ごしてきたのだと、そう心の中でつぶやいた。
 運命の糸がほんのわずか絡まれば、自分も同じ立場であったかもしれない。
 王都ルーゼンベルグが作った、異形の者。
「カーン……」
「まぶしい」
 キラキラと輝く水面を見詰めて、少年は小さく言葉を発していた。
「オレはあそこを出られたけど、あそこで死んだ仲間もいっぱいいた。競売用に連れ出された仲間も……きっと、もう生きてないんだろうな……」
 ここではない何処かを見るような眼差しで、少年は悲しげに微笑む。
「――どうして、そんな」
 リスティは少年の言葉に驚いて目を見張った。
「……オレたち、短命なんだ。すぐに年取って死んじゃうんだよ。……だから」
 ポツリとそう言って、少年は立ち上がって窓辺に歩み寄る。
「色んな物を組み合わせてるから、長くはもたない――だから、見た目が悪いヤツはどこかで始末されて、売れそうなのは……早めに、売るんだ」
 淡々と語る声はわずかに震えている。それを悟られまいと、彼は部屋を飾る不恰好な動物の置物に触れた。
 体の表面に小さなタイルをびっしり貼られたそれは、おかしな模様を全身に刻んだとても美術品とは言いがたい子供だましの飾りである。
「オレは、これと同じ」
 少年が軽く力を入れると、その動物に付けられた羽根があっさりと折れた。
「ニセモノ。見せかけだけのすぐに壊れる玩具だよ」
「カーン、それは違います」
 リスティはゆっくりと首をふる。
「偽物などいません。貴方は貴方で、その置物とは違います」
「……一緒だよ」
「違います。同じだと思っているなら、傷ついたりはしないでしょう」
 その言葉にハッとしたようにカーンは顔をあげた。
「短命でも人と違っていても、偽物ではありません」
「あ――あんたなんかに!」
 少年は振り向き様にいびつな翼をリスティに投げつける。それはわずかに軌道をそれ、壁に当たって激しい音をたてた。
「あんたなんかに何がわかる!?」
「――わからないと思いますか?」
 動じることなく問いかけられ、その凛とした口調にカーンは一瞬たじろぐ。おそらくは、予想していた反応と違っていたためだろう。
 リスティは小さく溜め息をついた。
「あまり、メリーナを怖がらせないでやってください」
 本を抱えたままガタガタと震える少女に目をやってから、リスティはカーンを見た。
 少年は窓辺で固まっている。
「あんた、いったい……」
「――私も、異形と言えば異形なんです」
 そっとメリーナの頭に手を伸ばし、リスティはその長い髪を梳くように撫ぜた。
「だから少しはわかります。私は運良く日の光の下で生まれ、育つ事が出来た――」
 唖然としたような少年は、まじまじとリスティを見詰める。
 見た目はかなりおかしな格好をしている。それでも、少年にとっては普通の人間≠ニ変わりなく映っている事だろう。
「あんたもキメラ?」
 カーンの問いかけに、リスティは微笑した。しばらく黙り込んでいた少年は、あきらめたように再び窓の外に視線を移動させた。
 そして、目を細める。
「――リ、リスティ」
 人の名を呼ぶのに慣れないからなのか、照れたようにボソボソと呼びかけ、カーンは窓ガラスを指先でトントンつつく。
 リスティが不思議そうに立ち上がった。
「どうしました?」
「……これと同じ物が見える」
「同じ? ……船ですか?」
 カーンが船室の壁を叩くのでリスティがそう問いかけると、彼は小さく一つ頷いた。
 リスティは窓の外を見る。
 しかし、そこに広がるのは光りを反射して眩しく輝く運河と、左右に広がる大森林ばかりである。
 手付かずの自然はあまりに雄大だ。
 バルトと呼ばれる国はこの森の先にあるという話だが、運河が近いのであればいずれ交易で栄えていくかもしれない。未開拓の土地が広がるのなら、それを切り拓いて耕していくのもいいだろう。
 なかなか気の遠くなる話だが、若い国には勢いがある。
 そう遠くない未来、ニュードルが一目を置く国へと成長する可能性はある。
 そこまで考え、リスティはクラウスの言葉を思い出す。
「未開の土地だから……速度が上げられると……」
 それは、航行する船がないという意味の言葉であると思っていたのだが、どうやら船は別にもあるらしい。
 しかし、リスティの目にはよく見えない。
「……船、見えませんが」
「え?」
 カーンはリスティを見上げ、そして窓にへばりついた。
「あるじゃないか、あそこに!」
「……どこに?」
「あそこ!!」
 指をさされた方角に目を凝らすが、リスティには小さな船影すら見えない状態だ。
 カーンは見た目も普通の子供とは違うが、どうやらそれ以外にも色々と違うらしい。
 とても冗談を言っているようには思えない口調からそう判断し、リスティはせめて船影だけでも捉えようと少年の言う場所を見詰めた。
「……船?」
 二人で窓に貼り付いていると、その真ん中に本を抱きかかえたままのメリーナが小さく呟きながら割り込んできた。
「メリーナ、見えるよな、船!!」
 言われて、メリーナはべったりと窓にへばりついた。
「……うん、見える」
 メリーナは指し示された方角を見詰めて大きく頷く。
「青いお船」


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